三浦大輔とは、横浜DeNAベイスターズに所属している番長である。
|
ニックネームは「ハマの番長」。トレードマークはリーゼントだが、性格は真面目である。自分に厳しく他人に優しいナイスガイ。
高田商業高等学校を経て1991年ドラフト6位で横浜(当時は横浜大洋ホエールズ)に入団。
1995年から先発ローテーションの一人になり、1998年には優勝と日本一に貢献する。
2004年はアテネ五輪の日本代表として出場し、銅メダル獲得に貢献した。翌年2005年には初めてタイトル(最多奪三振、最優秀防御率)を獲得した。
2008年にFA宣言をし、阪神が獲得に動くがファンや球団の熱心な声を受け、「強いチームを倒したい」と残留を表明。
中々援護に恵まれず、2005年は7回2失点以内に抑えたにも関わらず、勝ち星が付かなかった試合が9試合もある。しかし、決して打線のせいにはせず、打たれた自分が悪いと語る真のエースである。
2010年から2011年序盤での不調から引退すら囁かれたが、2011年後半戦から見事復活。
5勝6敗・投球回数111と1/3回・防御率2.91の成績を残し、19年連続勝利の球団記録を更新した。
2012年は当初三浦は中10日でローテーションに組まれていたが、開幕3戦目で阪神からチーム初勝利となる勝ち星をあげると4月11日のヤクルト戦では完封勝利。5月からはこれまで通り中6日で投げることとなった。
7月4日の巨人戦で見事に通算150勝を達成。この試合のヒーローインタビューで「横浜に残って良かった」という名言を残した。前半戦は援護に恵まれる試合も多く、リーグトップの9勝に次ぐ8勝4敗で折り返す。3年ぶりにオールスターにも出場し、かつてのチームメイト相川とバッテリーを組みイーファスを投げ球場を沸かせた。キャリアハイも期待されたが、後半戦からいきなり援護に恵まれなくなり、得意の阪神戦で大量失点したりと勝ち星が遠ざかる。9月25日には2005年以来の150球越えの力投をするも報われず、後半戦はわずか1勝に終わり、最終的には9勝9敗で終了。2009年以来の2桁勝利はならなかった。
三浦大輔 応援歌 |
(2012年終了時点)
通算:21年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 473 | 75 | 22 | 152 | 156 | 0 | 0 | .494 | 2893.0 | 797 | 2241 | 3.54 |
急上昇ワード改
最終更新:2024/03/29(金) 21:00
最終更新:2024/03/29(金) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。