三浦大輔 単語

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三浦大輔みうら だいすけ1973年12月25日-)とは、横浜DeNAベイスターズに所属した永遠の番長である。2019年から再び横浜DeNAベイスターズの一軍投手コーチを務める。

概要ヨ・ロ・シ・ク!

奈良県出身。ニックネームは「ハマの番長」。トレードマークリーゼントだが、性格はである。自分に厳しく他人に優しいナイスガイ

高田商業高等学校を経て1991年ドラフト6位で横浜(当時は横浜大洋ホエールズ)に入団。

大洋・横浜・DeNA時代ヨ・ロ・シ・ク!

1995年から先発ローテーションの一人になり、1998年には優勝日本一に貢献する。この年から引退に至るまで背番号は18だった。


2004年アテネ五輪日本代表として出場し、銅メダル獲得に貢献した。翌年2005年には初めてタイトル最多奪三振最優秀防御率)を獲得した。


2008年FA宣言をし、阪神タイガースが獲得に動くがファンや球団の熱心なを受け、「強いチームを倒したい」と残留を表明。


2005年には中々援護に恵まれず、7回2失点以内に抑えたにも関わらず、勝ちが付かなかった試合が9試合もあった。しかし、決して打線のせいにはせず、打たれた自分が悪いとった。


2010年2011年序盤での不調から引退すら囁かれたが、2011年後半戦から見事復活。5勝6敗・投球回数111と1/3回・防御率2.91の成績を残し、19年連続勝利の球団記録更新した。


2012年は当初三浦は中10日でローテーションに組まれていたが、開幕3戦阪神からチーム勝利となる勝ちをあげると、4月11日東京ヤクルトスワローズ戦では完封勝利5月からはこれまで通り中6日で投げることとなった。
7月4日読売ジャイアンツ戦で見事に通算150勝を達成。この試合のヒーローインタビューで「横浜に残って良かった」という名言を残した。前半戦は援護に恵まれる試合も多く、リーグトップの9勝に次ぐ8勝4敗で折り返す。3年ぶりにオールスターにも出場し、かつてのチームメイト相川亮二バッテリーを組みイーファスを投げ球場を沸かせた。キャリアハイも期待されたが、後半戦からいきなり援護に恵まれなくなり、得意の阪神戦で大量失点したりと勝ちが遠ざかる。9月25日には2005年以来の150球越えの投をするも報われず、後半戦はわずか1勝に終わり、最終的には9勝9敗で終了。2009年以来の2桁勝利はならなかった。


2013年6月12日千葉ロッテマリーンズ完封勝利し、球団最年長完封記録更新(それまでは小山正明が所持)。
を欠く投球とムエンゴが重なり9勝13敗と負け越したものの、チーム最多勝シーズンを終えた。
なお援護率は2.87と3点を割り、両リーグでワースト3位の低援護であった。
チーム最年長の身で最も投球回を投げた投手であり、チームで他に規定投球回に到達したのはルーキー三嶋一輝だけ。投壊状態のチーム番長に負担がかかりまくった結果、リーグ最多被安打被本塁打・最多失点・最多自責点・最多敗と不名誉な五冠を頂く羽に。
防御率も3.94と辛うじて3点台に留まったものの、流石に40を前にして理出来ない体になってきている。


2014年シーズンからは投手コーチも兼任することになった。
先発4月11日東京ヤクルトスワローズ戦。失点を積み重ねてしまい味方打線が後1歩まで迫るも追いつけず敗戦となりスタートとなる。その後もずるずると負けが重なり途中2軍落ちを挟む4連敗と不調が続く。オールスター前の7月13日ヤクルト戦に5回1失点の好投でようやく今季初勝利を挙げる。
後半戦に入ると7月27日ヤクルト戦で8回1失点の好投で2勝。続く8月7日巨人戦。8回まで失点の投球を見せ味方打線もそれを援護する10得点完封勝利前の9回表に先頭打者の阿部慎之助に甘く入ったどん中のストレートスタンドに運ばれてしまう。完封勝利こそ逃してしまったが、その後はしっかりと抑え3勝を挙げ。苦手巨人相手に自身9年ぶりの対巨人勝利チームとしては8年ぶりDeNAとなってからは初の巨人3タテに貢献した。


2015年5月5日ヤクルト戦で初先発。6回3失点で勝利投手となり、プロ野球タイ記録となる23年連続勝利を挙げた。5月20日ヤクルト戦では23年連続安打記録を達成し、投げても8回失点の好投を見せ勝利投手となった。
23年連続安打投手として初となり、王貞治氏をえて歴代5位の記録である。(1位は27年連続の中日谷繁元信)。同年末、山本昌をはじめとする年上の選手が相次いで引退。42歳にしてNPB最年長選手となった。


2016年7月11日中日戦で初先発。4回6失点で敗戦したものの2回裏の打席で自身の持つ投手としての24年連続安打記録した(ギネス世界記録認定)。9月16日阪神戦にも先発したが5回途中2失点で敗戦投手
そしてベイスターズ初のクライマックスシリーズ進出を決めた翌日。9月20日 15時に開いた会見にて、25年間続けた現役を引退すると発表した。29日、ホーム終戦となるヤクルト戦にて前人未踏の24年連続勝利を賭け最後のマウンドへ臨む。この試合ではDeNAの選手全員背番号18をつけた。7回のマウンドで雄平相手に三振を奪った後、マウンドを降りた。その三浦の最終登板は、6回1/3投球10失点で惜しくも敗戦投手となったが、満員の観客に現役最後の雄姿を見せ付けた。 試合後のセレモニーではスワローズの選手からも花束の贈呈があり、南場オーナーより「横浜ナンバー」と位置づけられた背番号18のユニフォームが手渡され、終わりには矢沢永吉サプライズビデオレターが流された。最後のグランド1周の際にはライトスタンドの観客の前で胴上げが行われ、引退試合史上最多であろう18回も宙に舞った。

彼が18年間背負い続けた背番号18」は、横浜ナンバーとして「チームを牽引し、チーム徴としてふさわしい選手」がつけるべき番号として事実上の準永久欠番認定された。

三浦引退により、大洋ホエールズ時代からの現役選手は居なくなる。1998年横浜優勝経験者についても、当時一軍出場のかった多村仁志鶴岡一成2016年限りでの引退を表明したため、残ったのは巨人相川亮二のみとなった。

引退後ヨ・ロ・シ・ク!

2014年から2016年までDeNAコーチを務める。2017年から2018年までは球団のスペシャルドバイザーを務めた。

2019年からは再び一軍投手コーチを務める。

その他ヨ・ロ・シ・ク!

応援歌ヨ・ロ・シ・ク!

球団 レス No プレイヤー
横浜
DeNA
応援歌のピコカキコ一覧#383 9637
9637

成績ヨ・ロ・シ・ク!

通算投手成績ヨ・ロ・シ・ク!

通算:25年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率 WHIP
NPB 535 78 23 172 184 0 0 .483 3276 882 2481 1430 1309 3.60 1.23

タイトルと表彰ヨ・ロ・シ・ク!

タイトル
最高勝率 1回 1997年
最優秀防御率 1回 2005年
最多奪三振 1回 2005年
MVP 4回 200年8月2005年8月2007年7月2014年8月

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