三隈(艦これ) 単語


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ミクマ

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ごきげんよう、三隈です。
最上さんはどこにいらっしゃるのかしら?

三隈(みくま)とは、帝国海軍が保有していた重巡洋艦「三隈」をモデルとした、『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場するキャラクター(艦娘)である。
担当声優は中島愛氏。図鑑番号はNo.116、三隈改はNo.117。

私が概要言ったって、いいわよね?

黒髪のツインテールで前髪は分けてあり、おでこがよくみえる髪型に、「最上」同様の小豆色のセーラー服を着用している。基本的な一人称は「私」、時折「くまりんこ」というのはご愛嬌である。自分のことをくまりんこ言う辺りちょっと痛・・・いえ、なんでもないです、はい

ドロップによる獲得としては、当初は出現箇所が4-3だけで、これのために4-3を回る提督が多かった[1]。後に5-2でもドロップされるようになり、今では他に瑞鶴や夕雲といった他のレア艦娘が引けることや、ステージ自体の難易度の低さからそちらのほうを回る提督も多い。とはいえ、今でも初風掘りに次いで、三隈掘りは高レベル提督にとっても骨の折れる作業であると言えよう。

2013年12月24日に実装された大型艦建造では最低値での出現が確認されており、資材集めに余裕があるのであればこちらで狙った方が難度は低いかもしれない。最上型重巡という事で建造時間は1時間半であるが、最低値では4時間以上の戦艦が出やすいので中々根気がいる。

史実では重巡洋艦のまま戦没した三隈だが、艦これでは改造すると重巡洋艦から航空巡洋艦になる。これは同じ最上型の「鈴谷」「熊野」姉妹も同様である。
さて、「三隈」は航空巡洋艦になると、重巡が搭載できる主砲の中では最高の性能を持つ「20.3cm(3号)連装砲」を持ってくる。これは現時点では開発不可の代物で、入手するには三隈を改造するか衣笠を改二(レベル55)になるまで育てるしか無い。
ちなみにこの「20.3cm(3号)連装砲」は、衣笠改二の実装までは三隈のみの持ち物だったため、提督達からは通称として名前を縮めた3号砲、もしくは三隈砲と呼ばれており、これを目的として「牧場」を営む提督も存在する。
しかし、後に前述の通り「三隈」より出やすい「衣笠」に改二が実装されると共に三隈砲を持ってくるようになったことから、三隈牧場の存在価値が危ぶまれている。とはいえ、レベル30で三隈砲を持ってくる「三隈」と違い、「衣笠」改二の必要レベルが55であることから、完全に終わったかと言われると微妙ではある。また、衣笠そのものもそれほど頻繁にドロップするわけではなく、どちらも一長一短であると言える。

それはさておき、「三隈」は改装すると立ち絵と台詞が変わる。飛行甲板をサーフボードのように持ち、台詞も改装前よりも自信を持ったものが増える。手に入れた飛行甲板をとても大事にしている模様で、提督に取り上げられた時には返してくれと懇願してくる。改装後は殆どの能力が向上するが、一方で火力と燃費は悪くなる。また、瑞雲を運用するに当たってボーキサイトも消費する、敵に潜水艦がいると攻撃が吸われる等の特徴があるので、上手な使い方が求められる。

「私がクマクマ言っても、良いわよね?」「み・・・・・・・・くまっ!」と喋っている辺り、球磨に影響されている節がある。
公式四コマのこたつ回(単行本2巻収録)では、球磨、三隈、阿武隈、熊野で揃ってこたつに潜り込んでいた。

まぁ!史実の情報ですの?三隈も見てもいいかしら?

「三隈」は1931年12月24日 三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)にて、計画排水量8636トン、水線全長190.5m、60口径15.5cm3連装砲塔5基を備えた二等巡洋艦として起工された。
余談ではあるが、二等巡洋艦とは今で言う「軽巡洋艦」にあたる。艦これで重巡洋艦に分類されるのは、15.5cm三連装砲塔を20.3cm連装砲塔に変えたことにより、ロンドン海軍軍縮会議規定の主砲6.1インチより大きく8インチとなり対外的には二等巡洋艦だが実質的には一等巡洋艦となったことが背景とされる。

1934年5月、佐世保鎮守府長官や皇族といったお歴々の見守る中で進水した。
付けられた「三隈」という名前は、大分県を流れる三隈川に由来する。重巡なのに川の名前なのは、前述の通り、浸水時点では軽巡扱いだったためである。

大東亜戦争開戦後は、妹にあたる熊野が率いる第七戦隊の一員となる。緒戦の南方作戦に投入され、蘭印作戦における輸送船の護衛や陸軍の上陸支援をこなした。続いて1942年の3月1日に発生したバタビア沖海戦では同僚にして姉の「最上」とともに、米海軍重巡洋艦「ヒューストン」と豪海軍「バース」を撃沈する戦果を挙げた。
その後、インド洋に進出しセイロン島(現スリランカ)沖海戦にも参加。この時は「最上」「三隈」「鈴谷」「熊野」の最上姉妹揃い踏みであった。

モガミンはどこ?彼女には気をつけないと。

1942年6月5日のミッドウェー海戦には、第二艦隊所属で姉妹共々出撃。
「赤城」「加賀」「蒼龍」が相次いで炎上し、最初のプランが大失敗した司令部はプランB乾坤一擲の反撃狙いの夜戦を企図し、第七戦隊に対して、夜戦時に邪魔しに来るであろうミッドウェーの陸上飛行場を、砲撃して黙らせることを命じた。
しかし、その時点で第七戦隊はミッドウェー島から夜のうちに辿り着けるかどうかも判らないほど離れていたのに、司令部は島の近くにいると思って飛行場砲撃命令を下したのだった(第七艦隊の参謀は「司令部は空母を沈められて血迷ったか?」と発言している)。

何度も命令を確認し、第七戦隊の位置を繰り返し打電しても、命令撤回は来ず、仕方なく第七戦隊は35ノットの全速力でミッドウェー島に向かう。随伴していた第八駆逐隊(「荒潮」「朝潮」)はこの速度について来れないため、艦隊から分離させた程だった。

しかし、夜半になって作戦中止が決定。それが第七戦隊に伝えられたのは、砲撃可能地点まであと2時間ほどのところまで来てからだった。
最上姉妹は仕方なく反転し、旗艦「熊野」を先頭に「鈴谷」、「三隈」、「最上」と続く単縦陣で第二艦隊との合流を目指していた。この途中で、戦隊は右舷に敵潜水艦(米潜水艦「タンバー」)を発見。
旗艦「熊野」は信号灯により「左緊急45度一斉回頭」を命令したが、それでは回避角度が足りないと判断し、無線で「緊急左45度一斉回頭」を命令。
後続艦の「鈴谷」は、信号灯と無電で伝えられたため、左緊急回頭は1度なのか2度なのかの判断に迷い混乱し、その間に「熊野」と衝突コースに入ってしまったので、咄嗟に「鈴谷」は面舵に転じ、単縦陣形から右方向に出て行ってしまう。

3番目にいた「三隈」は「鈴谷」が右方向に去ったことに気づかず、左に曲がる「熊野」を「鈴谷」と思い込み、衝突の危険を感じてさらに左に舵を切った。
最後尾の「最上」は「鈴谷」の離脱に気づかず、加えて「熊野」を「三隈」と誤認し、左45度1回、左25度1回に変針したあと、右45度面舵に転じて「三隈」(と思っていたが実は「熊野」)の後を追いかけた。

こうして、右に曲がりつつ28ノットで進む「最上」の前を、左に曲がり続ける「三隈」が横切る形となってしまい、互いに気付いた時にはもう避けようがなく、「最上」は「三隈」の左舷中央部に衝突してしまう。
この時点での被害は「三隈」よりも「最上」のほうが被害が酷く、「最上」は左方向に艦首がつぶれ、「三隈」は艦橋から煙突の下に長さ20m、幅2mの破孔が生じ、左舷燃料タンクの破損、油の尾を引くようになる。

お願い…見ないで…沈むところなんて、誰にも見られたくはないの

羅針盤の妖精栗田少将は『十一時三十分、右45度に浮上中の敵潜を認め緊急回避中、四番艦最上は其艦首を以て三番艦三隈に衝突、最上前進見込み立たず、三隈支障なし。地点…最上援護中』と連合艦隊旗艦「大和」に報告すると共に、「最上」「三隈」にトラック島泊地への退避を命令。2隻の重巡は、その警護を命じられた駆逐艦「荒潮」「朝潮」(やっと追いついてみたら大惨事になっていたでござる)と合流し、退避行動に入る。

だが、先ほど発見していた敵潜水艦「タンバー」は第七戦隊発見の報告をしており、それを受けてスプールアンス少将の率いる米軍機動部隊が出動し、さらに砲撃されなかったミッドウェー島からの爆撃機部隊も発進する。
こうして、米軍艦載機・爆撃機が三隈達に襲い掛かる。

距離的に、先に到着したのはミッドウェー島からの爆撃機部隊だった。その攻撃はほとんど効果を挙げなかったが、爆撃機隊は引き上げながら機動部隊に「戦艦2隻、および炎上中の空母1隻、重巡洋艦3隻見ゆ」と報告する。
スプールアンス少将は、この報告から、そこにいるのは南雲機動部隊の残党だと信じ、殲滅するべく艦載機部隊を発艦させる。

言うまでも無く、正しくは「最上型重巡2隻、朝潮型駆逐艦2隻」であるが、米軍は最後までそれに気付いていなかった。

機動部隊艦載機の攻撃が始まると、「三隈」は駆逐艦2隻を「最上」の護衛に残し、単独で味方航空機の勢力圏内に移動を開始した。これはウェーク島日本軍基地の航空機行動圏内に引き込んで決戦を挑もうという思惑であり、三隻は「三隈」の思惑を感じ取ったと言われる。

また、日本軍側も何もしなかったわけではなく、「三隈」達が米機動部隊に襲われているという話を聞いた、近藤中将率いる第二艦隊は、残兵力をかき集め「最上」「三隈」の救援に向かう。だが、既にミッドウェーの激戦を経た後で燃料弾薬が尽きかけており、艦隊の速度も20ノットしか出せず、随伴していた軽空母「瑞鳳」では敵機動部隊への特攻も話し合われたほどの有様であった。

現実は無情である。
第二艦隊の救援は遠く届かず、米艦載機は悠々とまず「最上」を攻撃。「最上」は後部砲塔に深刻な損害を受け、艦中央部で火災が発生。米艦載機は「最上」が炎上したことで撃沈確実と見て、「三隈」への総攻撃を開始する。
ろくな反撃もできず、多数(乗組員は20発被弾と証言)の爆弾を被爆した「三隈」は、艦長が重傷を負い指揮系統が乱れた上、左舷缶室、右舷機械室に爆弾を受けて全機関が停止。さらに火災により搭載していた酸素魚雷が誘爆し、それが致命傷となる。指揮を引き継いだ副長が総員退艦を命じるが、その副長も直後に爆弾の直撃を受けて帰らぬ人となった。
大火災となった「三隈」を見かね、「荒潮」「朝潮」が救助に現れるも、米軍の攻撃の手は休まらず、後部砲塔が爆弾で吹き飛ばされ、海面の生存者は執拗な機銃掃射を受けた。「朝潮」は内火艇やカッターを下ろして漂流者の救助活動を行うが、その「朝潮」も米軍の攻撃を受け続け死者・重傷者が続出した。「荒潮」は一端退避するも、遠ざかる「三隈」にはまだ攻撃が加えられていたという。
ようやく米軍の攻撃が止んだ日没後、「朝潮」が救助活動の為に現れたが、既に「三隈」の姿はなかった。米軍も「三隈」の沈没の瞬間は確認しておらず、誰にも知られずに沈んでいったことになる。

「三隈」は、太平洋戦争において帝国海軍で最初に損失した重巡洋艦となった。
しかし、もし「熊野」の回頭命令が適切であったら、もし「熊野」「鈴谷」が分離せずに3隻がかりで「最上」を守っていたら、「三隈」は失われずに済んだかもしれない。
だが、この貴重な戦訓は、ミッドウェーの大敗による混乱の中に失われてしまい、顧みられることは無かった。
1942年8月10日、除籍。

一方の米軍は、大破炎上し廃墟と化した三隈の写真撮影を行っており、この写真を分析、最上型の主砲が換装されていることに気が付いたという。

静画も三隈の十八番なの!

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  • ランカ・リー(中の人繋がり)

脚注

  1. *4-3のマップ名「リランカ島空襲」の「リランカ」は、「スリランカ」のもじりであると同時に、三隈担当声優の中島愛氏がマクロス・フロンティアで演じた歌姫「ランカ=リー」ももじっているとされており、4-3は三隈のためのマップとも言われていた。

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