上園啓史(うえぞの けいじ)とは、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(投手)。背番号61。
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1984年6月30日生まれ、福岡県福岡市出身。
東福岡高校では吉村裕基と同級生だった。2年春の甲子園に出場したが、登板機会はなし。立教大学のセレクションに落ちて武蔵大学に進み、2年からエースとなって3年次にはチームを一部昇格に導いた。4年次には日米大学野球選手権の日本代表にも選出される。
2006年の大学生・社会人ドラフト3巡目で阪神タイガースに指名され入団。背番号41。
1年目の2007年は開幕当初こそ二軍だったが、6月に一軍昇格して先発ローテ入り。6月20日の楽天戦で田中将大と投げ合ってプロ初勝利を挙げ、そのまま閉幕までローテで投げ続けた。規定投球回数には遠く及ばなかったが、17試合で8勝5敗、防御率2.42の好成績を挙げ、新人王のタイトルを獲得する。
2年目はオープン戦から不調で開幕一軍を逃し、5月に一軍昇格。ローテ入りして4勝を挙げたが、7月下旬に2試合続けてKOされ二軍落ちし、そのままシーズンを終えた。9試合で4勝0敗、防御率3.14。翌2009年は一軍登板は僅か1試合、二軍でも4試合しか投げられず、すっかり影が薄くなる。
2010年は開幕ローテ入りし2年ぶりの白星も挙げたが、6月以降は専ら中継ぎでの起用になった。25試合で3勝4敗、防御率4.75。
2011年は小林宏之の入団で背番号47に変更。一軍登板なしに終わり、オフに松崎伸吾とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。背番号は引き続き47に。
2012年は開幕ローテ入りしたものの、1試合登板しただけで登板機会が雨で流れるなどして二軍落ちし、そのまま一軍に戻ることなくシーズンを終えた。2013年は背番号を61に変更。
ルーキー時代、直球がジャイロボールではないかと言われ、パワプロでも特殊能力としてジャイロボールを持っていた。そのため今でもネット上では上園を指してジャイロボールと呼ばれることがある。
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最終更新:2025/12/07(日) 11:00
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