中央銀行の国債直接引き受け 単語

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国債の貨幣化とは、経済学における用語で、政府が発行した自国通貨建て国債を中央銀行が直接引き受けて、国債を新規発行通貨に変えることをいう。

中央銀行の国債直接引き受け」「マネタイゼーション(Monetization)」「財政ファイナンス」「ヘリコプターマネー(ヘリマネ)」といった類似表現がある。これらはすべて同じ意味を持つ。

日本では財政法第5条によって規定されており、国会の議決があれば行うことができる。


一部の有識者は、買いオペレーション(中央銀行が民間金融機関の所有する国債を買い上げること)を「国債の貨幣化」と表現しており、用語の混乱が見られている。
 

概要

政府が発行する国債には、他国通貨建て国債と自国通貨建て国債の2種類がある。このうち、自国通貨建て国債を中央銀行(日本なら日本銀行、アメリカ合衆国ならFRB)に直接引き受けさせて、国債を自国通貨に変えてしまう。国家の持つ通貨発行権を行使して、新たに通貨を作り出す政策である。

新たに通貨を作り出して利益を得ることを「シニョレッジ(seigniorage)を得る」「通貨発行益を得る」と表現することがある。

国債の貨幣化において作り出される通貨は中央銀行預金(日本なら日銀当座預金)である。政府は、新たに得た中央銀行預金を使って財政支出する。そうすると民間銀行が持つ準備預金が増えて、民間銀行の貸出限度額が増え、インフレ圧力がかかる(準備預金制度の記事でそのことが解説されている)。


日本においては、1929年頃からの昭和恐慌の際に当時大蔵大臣だった高橋是清が大規模に行った。当時は世界中でデフレを伴う恐慌となっていたが、国債の貨幣化を高橋是清が大規模に実行したことで、世界で最も早くデフレから脱出することに成功した。

緩やかなインフレを容認し、デフレ脱却を最優先すべきと論ずるリフレーション派の論者たちは、デフレ下における国債の貨幣化を強く主張することがある。

インフレ圧力を掛ける政策なので、インフレ嫌いの人たち(インフレ恐怖症とも呼ばれる)が徹底的に敵視する政策であり、「禁じ手」「絶対にやってはいけない」「悪魔的手法」「日銀の歴史の中で最も遺憾な政策」と常に激しく非難される。
  

国債の貨幣化に関連する法律

国債の貨幣化が法に抵触しているかどうか、確認しておきたい。先に結論を言うと、禁止されてはいるが但し書きを付けて許可されている。このため、賛成派も反対派も法律を持ち出して自分たちを正当化しようとする傾向がある。
 

財政法第5条

国債の貨幣化を扱うのは財政法第5条である。 

財政法第5条 すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。


条文の前半で、国債の貨幣化を禁じている。国債というのは中央銀行に直接引き受けさせてはならず、市中の銀行などに売りさばくべきである、と定めている。これを「国債の市中消化の原則」という。

ところが、条文の後半で「ただし」とひるがえっている。国会の議決があれば、国債の貨幣化をしてよいと定めている。
 

日本国憲法第83条、第85条

財政法の上に位置する法というと、日本国憲法がある。憲法第七章は財政についての条文がまとめられており、いずれも「国の財政は、国会が決める」と定めている。これを財政民主主義という。その中でも第83条と第85条は、財政民主主義を明確に定めている。
 

日本国憲法第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

日本国憲法第85条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。


これらの条文が、財政法第5条の後段の「ただし、国会の議決があれば、国債の貨幣化をしてよい」の根拠となっていると言える。
 

旧・日本銀行法第22条

1942年に日本銀行法(日銀法)が施行された。そのなかには国債の貨幣化を許容する条文がある。
 

旧・日本銀行法第22条第1項 日本銀行ハ政府ニ対シ担保ヲ徴セズシテ貸付ヲ為スコトヲ得

旧・日本銀行法第22条第2項 日本銀行ハ国債ノ応募又ハ引受ヲ為スコトヲ得


このページこのページで旧・日本銀行法の条文を閲覧できる


これらの条文は1997年まで55年間の長きにわたり生き続けた。1997年6月に日本銀行法は全面改正され、新・日本銀行法として現在まで続いている。

財政法は1947年に制定された。つまり、1947年から1997年までの間は、日本銀行法第22条で「国債の貨幣化をしてもよい」と規定し、財政法第5条で「国債の貨幣化は禁止する」と規定していた。全く異なる内容の法律が併存するという、珍妙な状況が続いていた。
  

ヘリコプターマネーという言葉の由来

国債の貨幣化の類似表現には色々あるのだが、その中で最も面白くユニークな表現は「ヘリコプターマネー(ヘリマネ)」だろう。

この言葉を流行らせたのは、ベン・バーナンキ(2006~2014年のFRB議長。同職は日本の日銀総裁に相当)である。

バーナンキの師匠がミルトン・フリードマンというノーベル経済学賞を受賞した経済学者なのだが、そのフリードマンが『貨幣の悪戯』という著書で寓話を書いた。その寓話を読んだバーナンキは、フリードマンの90歳誕生日会で「デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばらまけばよい」と発言した。

バーナンキの発言が面白かったので、それ以降みんなが「ヘリコプター・ベン」「ヘリコプター印刷機」というあだ名でバーナンキを呼ぶようになった。

helicopter moneyと画像検索すると、面白い画像が多くヒットする。もちろん、実際の政策においては、本当にヘリコプターでばらまくわけではなく、児童手当(子ども手当)のように銀行振り込みで行われる。とにかくお金をばらまいてデフレ克服しよう、というものである。

ベン・バーナンキは歴代FRB議長の中でも高く評価されている部類の人物である。そのバーナンキが言ったことなので、権威に弱い人は「ヘリコプターマネー(ヘリマネ)」という言葉を好んで用いる。
  

中央銀行が嫌がる

日本銀行は国債の貨幣化を非常に嫌がっており、1982~1986年に刊行した『日本銀行百年史』の第4巻にて『遺憾な出来事』と表現している。遺憾というのは、日本人にとって最大級の非難である。
  

国債の本行引受発行方式の実施は、本行の長い歴史の中でも、もっとも遺憾な事柄であったといえよう。(26ページ

昭和7年秋に本行が国債の本行引受け発行方式の実施に同意したことは、やがて本行からセントラル・バンキングの機能を奪い去るプロセスの第一歩となったという意味において、まことに遺憾なことであった。これは本行百年の歴史における最大の失敗であり、後年のわれわれが学ぶべき深刻な教訓を残したものといえよう。 (55~56ページ


なぜ、ここまで嫌がるのか。単なるインフレ恐怖症だというだけではなく、権力闘争という意味合いがあるのである。

国債の貨幣化は、中央銀行が独立性を失い、政府に従属する存在に成り下がることを意味する。政府や国会の命じるまま通貨を発行させられ、言いなりの下僕となる。

政府や国会に対して、独立性を保ちたい。言いなりにならず、突っ張りたい。己の権力を保ちたい。そういう権力欲が根底にあるので、日本銀行は国債の貨幣化に対して常に猛反対する。


中央銀行の総裁が「中央銀行の独立性を尊重すべきだ」と発言し政府・議会の要求を退けようとするのは、日本に限ったことでは無く、世界中で見られる。アメリカ合衆国のFRB議長もそう発言することがある。
 

関連リンク

Wikipedia記事

コトバンク記事

関連項目

  • インフレーション
  • デフレーション
  • インフレ恐怖症
  • 財政再建
  • 国債
  • 買いオペレーション
  • 日本銀行
  • 中央銀行

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