久保田智之とは、阪神タイガースに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手、背番号『30』。
1981年生まれ、埼玉県出身。「JFK」の「K」として、セットアッパー(05年はクローザー)を任された男。
元々投手だったが、小学生時代に捕手に転向。高校時代まで捕手で野球をやっており、投手としてもリリーフ投手として、1998年夏の甲子園で登板している。当時、背番号2を付けていたため、「背番号『2』の投手が豪快なフォームで投手を任された。」として、話題となった。ちなみに、この頃から投法は『トルネード投法』で、一旦、後ろに反ってから前に投げている。
常磐大学入学後に本格的に投手に転向、当時のチームメイトに現・埼玉西武ライオンズの小野寺力がおり、二人で投手陣を支えた。2002年の読売ジャイアンツのキャンプに招待された。その年のドラフトで阪神タイガースから5巡目で指名され、プロ野球界入り。
ルーキーイヤーの2003年はいきなり体重超過でキャンプに挑み、罰金を科せられるも先発を任され、5勝5敗、防御率3.12とそこそこ活躍したが、優勝直前に故障してしまい、チームの優勝を一軍で見守ることが出来なかった。
2004年も先発を任されたが、終盤にクローザーのジェフ・ウィリアムスが故障したため、抑えを任されることとなった。このコンバートが成功し、2005年はクローザーとして活躍。27セーブを挙げ、藤川球児、ジェフ・ウィリアムスと共に『JFK』コンビを結成し、中継ぎの三本柱として、チームの優勝に貢献。
2006年も順調にクローザーを務めていたが、途中で右手を骨折(ベビーカーから落ちそうになった娘をかばって負った怪我であった)。代わりに藤川球児がクローザーとなる。
2007年以降はセットアッパーとして、藤川球児が投げる前にリリーフを任された。その結果、プロ野球新記録の90試合に登板し、144試合あるうちの半分以上の試合に登板した。この年に記録したホールド数46も、プロ野球最高記録を更新している。この年の防御率は2点台を切り、1.75という好記録だった。
2008年もセットアッパーとして活躍し、最優秀中継を二年連続で受賞し69試合登板、31ホールドを記録するが、防御率は3.16と、あまり良くなかった。
2009年には先発転向を志願したが、開幕前から怪我で離脱し、結局1試合先発するだけで、それ以外は二軍での登板だけと不本意なシーズンに終わる。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/26(金) 00:00
最終更新:2024/04/26(金) 00:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。