九七式艦上攻撃機(きゅうななしきかんじょうこうげきき)とは、日本海軍が運用していた艦上攻撃機である。
略称は「九七艦攻」など。
九七式艦上攻撃機には中島飛行機製(B5N1/B5N2)と三菱重工業製(B5M1)の二種類が存在する。
全く設計の異なる機体(全金属低翼単葉という共通項はある)にも関わらず、性能にあまり差が無かったため両方とも採用されたという経緯を持つ。
両方採用されたといっても三菱製より中島製の方が多く生産されたため、九七艦攻と言えば大抵は中島製を指す。
搭乗員の構成は前方から、操縦手・航法兼雷爆撃照準手・電信兼機銃手である。
3座式であるため雷撃・水平爆撃だけでなく偵察機としても使われていた。
上述したように九七艦攻と言えば基本的にこちらを指すと考えていい。
特徴として引き込み脚や可変ピッチプロペラなど新機構を盛り込んだ革新的な機体に仕上がっている。
やや振動が大きいなどの欠点はあったが、更なる性能向上を目論んで日本海軍はこちらを主力として採用した。
ほぼ同時期の艦攻であるデヴァステイター(米)やフェアリー・アルバコア(英)と比べ航続距離や最高速度、ペイロードの面で優れており、他国と比べても優秀な機体であったと言える。
事実、真珠湾攻撃で大戦果を上げたのは本機であるし、他のいくつかの海戦でも大型艦への雷撃や敵地上施設への爆撃など、零戦・九九艦爆と共に日本海軍の快進撃を支えた主力機の一つであることに間違いないだろう。
反面、防御面はほとんど考慮されておらず、対空砲や敵戦闘機の餌食になりやすく常に少なくない損失を出していたことも忘れてはいけない。
零戦や九九艦爆がそうであったように、防御面の不備はもはや日本海軍機の宿命である。(ちなみに陸軍機は防御に結構気を使っていた)
後継機である天山が投入されてからは、レーダーを搭載して対潜哨戒や船団護衛など裏方の任務に回った。
末期には一部が特攻機として運用されたこともある。
有名な搭乗者として友永丈市大尉や、「雷撃の神様」の異名をとった村田重治少佐がいる。
こちらは中島製とは対照的に固定脚を採用した手堅く保守的な機体となった。
中島製と比べ機体の振動が少なかったためこちらを好んだ搭乗員もいたとか。
新機構を多く採用した中島製に不安もあったため、そちらが失敗したときの保険として採用されたものであり、それ故生産数は中島製と比べるとずっと少ない。
空母に搭載されることはほとんど無かったようで、陸上基地からの哨戒や偵察、訓練機として運用されていた。
こちらも末期には少数が特攻機として使用されたという。
目立った戦歴もないため地味な存在になってしまった。これが登場するゲームや架空戦記なんてあるのだろうか?
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最終更新:2025/12/09(火) 12:00
最終更新:2025/12/09(火) 11:00
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