北海道日本ハムファイターズ 単語


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ホッカイドウニッポンハムファイターズ

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北海道日本ハムファイターズとは、日本のプロ野球パシフィック・リーグの球団である。
現在の監督は新庄剛志(2022年~)。

本拠地は札幌ドーム(2004年〜2022年)だったが、2023年より自前で新設した球場であるエスコンフィールドHOKKAIDOが本拠地となる。 他にもスタルヒン球場など北海道内の球場や2003年までの本拠地であった東京ドームでも主催試合を行う。

概要

パシフィック・リーグ
北海道日本ハムファイターズ
基本情報
創設 1946年
本拠地 エスコンフィールドHOKKAIDO
一般略称 日本ハム
アルファベット F
優勝回数
リーグ優勝 7回
日本一 3回
アジアチャンピオン 1回
セ・パ交流戦 1回
経歴
  • セネタース(1946年)
  • 東急フライヤーズ(1947年、1949年-1953年)
  • 急映フライヤーズ(1948年)
  • 東映フライヤーズ(1954年-1972年)
  • 日拓ホームフライヤーズ(1973年)
  • 日本ハムファイターズ(1974年-2003年)
  • 北海道日本ハムファイターズ(2004年-)
球団組織
運営母体 日本ハム
オーナー 畑佳秀
球団社長 川村浩二
最高責任者 栗山英樹
GM 稲葉篤紀
プロ野球球団テンプレート

1946年に再開されたプロ野球に新規加盟したセネタース(東京セネタースの直系ではないが、関係者が設立に関わっている)をルーツとする。後に大スターとなる大下弘も球団設立と共に入団した。しかし財政難のためわずか一年で東京急行電鉄に身売りとなる。

1947年より東急フライヤーズと球団名を改めるが、翌年は大映との共同経営となったため急映フライヤーズに改称する。ところが大映が他球団を買収して撤退したため、わずか一年で元の東急フライヤーズに戻った。

2リーグ分立(1950年)ではパ・リーグに加盟。1953年9月には専用球場である駒沢野球場を開場し、翌1954年よりグループ企業の東映が球団を運営する東映フライヤーズとなった。

チームは設立以降低迷を続けたが、1960年に三原脩監督率いる大洋ホエールズに敗れて読売ジャイアンツ監督を辞任した水原茂を監督に招聘する。1961年から7年間Aクラスを維持し続け、1962年には球団初の日本一にも輝いた。しかし水原が1967年を最後に退任し、1968年より大下弘が監督に就任するとチームは一気に低迷を始める。

1970年には黒い霧事件で森安敏明投手を失い、翌1971年8月17日にオーナーの大川博が急逝する。そして新たにオーナーとなった岡田茂は1973年1月に日拓ホームに球団を売却、こうして東映フライヤーズは消滅した。

日拓ホームフライヤーズはわずか1年で日本ハムに身売りし、1974年より日本ハムファイターズとして新たな船出となった。「駒沢の暴れん坊」「東映やくざ打線」と呼ばれた東映のチームカラーを払拭する必要性を痛感した球団社長の三原脩は、主力選手の一掃に乗り出す。初年度終了後に大杉勝男、白仁天、大下剛史を放出し、残った張本勲も2年目終了後に巨人とのトレードで退団した。

1976年から監督に就任した大沢啓二の下で、チームは徐々に地力を付けていく。1978年には野村克也解任の煽りで柏原純一が南海ホークスから移籍し、二年目の島田誠の急成長やボビー・ミッチェルの本塁打王獲得などもあって球団創立以来初のAクラス(前期3位・後期4位、総合3位)となった(ただし、勝率は五割を大きく割り込む)。

2004年から北海道日本ハムファイターズとなり、北海道に移転。本拠地は札幌ドームとなった。

東京時代まではパ・リーグ内でも不人気球団だったが(「日本ハム対ロッテ」が空席が多いことの例えとしてネタにされるほどだった)、北海道移転後はSHINJO、ダルビッシュ有、中田翔、多田野数人、斎藤佑樹ら注目度の高い選手の入団や森本稀哲、糸井嘉男などネタ性の高い選手の台頭、 2006・2007年のリーグ連覇などで地域密着に成功。知名度および観客動員数の両面で球界屈指の人気球団にまで成長した。近年は主催試合の平均観客動員数では読売ジャイアンツ、阪神タイガース、福岡ソフトバンクホークス、中日ドラゴンズに次ぐ12球団中5位、パ・リーグ2位につけている。成績的にも札幌移転13年でAクラス10回、うち優勝5回と勝てるチームへ変貌を遂げた。

球団の特徴としては上記のように個性的な選手が多く、横浜ベイスターズには及ばないが、パリーグ屈指の「ネタ選手」輩出球団である。また球団マスコットのエロズリーの存在もネタ球団としての評価を煽る要因ともなっている。一方、主力選手の大半が入団から数年で台頭してきた選手であり、飛び抜けた実績を持つ選手は多くないため、一部のネタ選手以外は今ひとつ地味なイメージもつきまとっている。

2022年からは新庄剛志が監督ビッグボスに就任し、2023年からは本拠地がエスコンフィールドHOKKAIDOとなった。

戦力面

1990年代~2000年代前半はビッグバン打線と呼ばれる強力な打撃を売りにしており、地味ながら3回も2位に食い込んで優勝争いをする一方、投手陣に不安を抱えBクラスに転落することも多く強いのか弱いのかよくわからない球団であった。

北海道移転後は広いた札幌ドームを本拠地とするためか従来の持ち味であった長打力に頼る野球を捨て、投手力と守備力、機動力で1点を守り抜く戦い方に路線変更しリーグ連覇する強豪にまで成長。2000年代前半と比べ本塁打数は激減したが、ダルビッシュ有、武田勝、武田久らを中心とする投手陣に金子誠、田中賢介、小谷野栄一、森本稀哲、SHINJO、稲葉篤紀ら鉄壁の守備陣を擁し、数年でチームカラーの刷新に成功した。
この反面、SHINJO、田中幸雄、小笠原道大、フェルナンド・セギノールらスラッガーの相次ぐ退団で深刻な投高打低に悩まされ、投手陣や守備陣に負担が掛かっていた。

しかし、近鉄いてまえ打線でリーグ制覇した梨田昌孝が監督に就任した2008年は、優勝を逃すも懸案だった貧打が解消に向かい、2009年は勝負強いアベレージヒッターの並ぶ打線に成長。2006年から推し進めた機動力を生かす堅実野球と上手く噛み合い、パ・リーグ随一の攻撃力を誇るまでに至った。
現在は本塁打こそ少ないものの貧打のイメージは既になく、一発こそ無いが得点力の高いチームとなっている。

フロントは1億円をかけて開発したという独自の選手評価システムを活用し、選手のコストパフォーマンスを重視した編成をしている。監督にさえ編成に関する権限は一切なく、完全にチーム編成はフロント主導であり、「稲葉篤紀以外は全員がトレード候補」と言い切る徹底ぶりである。そのため、中堅どころの選手が微妙な立場になると高確率で放出される。守護神だったマイケル中村を筆頭に、金村暁、押本健彦、工藤隆人、稲田直人、江尻慎太郎、高橋信二など、少し前まで一軍で活躍していた選手があっさりトレードに出されることが多い。2012年オフには主力中の主力である糸井嘉男をトレードで放出して各方面に衝撃を与えた。また前述のマイケルやフェルナンド・セギノール、ターメル・スレッジのように高年俸の外国人選手もコスパが悪いと判断すれば躊躇なく手放す傾向にある。フロントが商売上手と取るか、ドライと取るか。ただ、トレードで獲ってきた選手が活躍する例は多くないのでトレード上手とは言い難い。

トレードの相手は何故か読売ジャイアンツが非常に多く、FA選手も含めて2011年の一時期には巨人に元日本ハムの選手が9人もいた(MICHEAL、藤井秀悟、須永英輝、高橋信二、實松一成、小笠原道大、古城茂幸、紺田敏正、工藤隆人)。前述の通り選手を動かすことに積極的であるため、他にも他球団で主力になっている元日本ハムの選手は多い。

過去にスキャンダルを起こした(二岡智宏、林昌範、ダルビッシュ有、多田野数人など)ことがあったり、社会性や人間性に難(中田翔、小谷野栄一、八木智哉、糸井嘉男など)があるという評判の選手もわりと積極的に獲得に行く傾向にある。単純に実績重視で獲得しているとも言えるが、問題を起こし球団のイメージダウンに繋がりかねないとの評価も有り、ファンの間でも賛否両論といった所もある。とはいえ日本ハム入団後に大きなスキャンダルを起こした選手はあまりおらず、やんちゃだった選手も気が付けばそれなりにしっかりした主力になっており、矯正力は高いと言われることも(単に矯正できなかった選手はさっさと放出されているとも言える)。

ドラフトに関しては「その年の一番良い選手を取りに行く」という方針を取っている。この方針は徹底しており過去には「巨人以外の指名は全て拒否する」と宣言していた菅野智之(指名権を獲得できたが宣言通り入団拒否)、「メジャー以外には行かない」と宣言していた大谷翔平(他球団は一切指名せずに単独指名に成功、栗山英樹監督の説得もあり入団)等を強制指名し、物議を醸しだした事がある。この方針のためか、指名が他球団と被る事も多い。

ちなみに2018年まで、12球団で唯一育成選手を一度も保有したことがなかった。支配下登録選手数も上限の70人に少し余裕を持たせた65~67人程度にしているが、これは保有する選手数を絞ることで個別の出場機会を増やすためだったそうである。2019年からは初めて育成選手を保有する。

関係者

  • 太字は記事のある者
  • 更新:2024年8月31日

首脳陣

※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。

一軍 二軍
  • (1)新庄剛志(監督)
  • (77)林孝哉(ヘッドコーチ)
  • (81)建山義紀(投手コーチ)
  • (82)加藤武治(投手コーチ)
  • (73)武田久(投手コーチ)
  • (89)八木裕(打撃コーチ)
  • (72)山田勝彦(バッテリーコーチ)
  • (85)谷内亮太(内野守備走塁コーチ)
  • (80)森本稀哲(外野守備走塁コーチ)
  • (79)代田建紀(データ分析担当兼走塁コーチ)
  • (90)稲葉篤紀(監督)
  • (78)清水雅治(総合コーチ)
  • (84)伊藤剛(投手コーチ)
  • (91)金子千尋(投手コーチ)
  • (83)浦野博司(投手コーチ)
  • (87)佐藤友亮(打撃コーチ)
  • (75)小田智之(打撃コーチ)
  • (74)岩舘学(内野守備走塁コーチ)
  • (76)紺田敏正(外野守備走塁コーチ)
  • 山中潔(捕手インストラクター)

所属選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。

支配下選手
投手 捕手 内野手 外野手
  • (12)矢澤宏太
  • (13)生田目翼
  • (14)加藤貴之
  • (16)達孝太
  • (17)伊藤大海
  • (18)山﨑福也
  • (19)玉井大翔
  • (20)上原健太
  • (22)杉浦稔大
  • (24)金村尚真
  • (25)宮西尚生
  • (26)田中正義
  • (28)河野竜生
  • (29)細野晴希
  • (31)パトリック・マーフィー
  • (32)黒木優太
  • (34)堀瑞輝
  • (40)福田俊
  • (41)ブライアン・ロドリゲス
  • (42)アニュラス・ザバラ
  • (45)ドリュー・バーヘイゲン
  • (46)畔柳亨丞
  • (47)鈴木健矢
  • (48)齋藤友貴哉
  • (51)石川直也
  • (52)池田隆英
  • (54)安西叶翔
  • (55)松浦慶斗
  • (57)北山亘基
  • (58)谷川昌希
  • (60)鍵谷陽平
  • (62)宮内春輝
  • (63)北浦竜次
  • (67)山本拓実
  • (93)田中瑛斗
  • (94)福島蓮
  • (95)柳川大晟
  • (2)アリエル・マルティネス
  • (10)清水優心
  • (23)伏見寅威
  • (27)古川裕大
  • (30)郡司裕也
  • (33)進藤勇也
  • (64)田宮裕涼
  • (98)梅林優貴
  • (3)加藤豪将
  • (4)上川畑大悟
  • (5)野村佑希
  • (9)中島卓也
  • (21)清宮幸太郎
  • (35)福田光輝
  • (38)石井一成
  • (39)有薗直輝
  • (43)水野達稀
  • (44)阪口樂
  • (48)上野響平
  • (56)細川凌平
  • (58)奈良間大己
  • (65)明瀬諒介
  • (6)アンドリュー・スティーブンソン
  • (7)松本剛
  • (8)淺間大基
  • (36)宮崎一樹
  • (37)江越大賀
  • (49)若林晃弘
  • (50)五十幡亮汰
  • (53)水谷瞬
  • (61)今川優馬
  • (66)万波中正
  • (68)星野ひので
  • (99)フランミル・レイエス
育成選手
投手 捕手 内野手 外野手
  • (113)加藤大和
  • (114)松本遼大
  • (115)齊藤伸治
  • (126)中山晶量
  • (128)山本晃大
  • (137)柿木蓮
  • (168)松岡洸希
  • (196)孫易磊
  • (122)速水隆成
  • (111)濵田泰希
  • (112)平田大樹
  • (124)阿部和広
  • (125)藤田大清
  • (127)山口アタル

球団スタッフ

  • 石井裕也(打撃投手)
  • 稲葉篤紀(GM兼スポーツ・コミュニティ・オフィサー)
  • マット・ウインタース(駐米スカウト)
  • (96)植村祐介(ブルペン捕手)
  • 浦野博司(打撃投手)
  • 押本健彦(打撃投手)
  • 栗山英樹(プロフェッサー)
  • 関根裕之(チーム統轄本部プロスカウト)
  • 田中賢介(スペシャルアドバイザー)
  • 長谷川凌汰(打撃投手)
  • 星野八千穂(ファームマネージャー)

ベースボールアカデミー

  • 牧谷宇佐美(コーチ)
  • 村田和哉(コーチ)

OB・関係者(東急・急映・東映・日拓時代を含む)

  • 太字はNPB・MLB・国内独立リーグ・その他海外プロリーグに現役で所属する選手。
  • 年度がない者は選手としての所属がない者。
あ行 か行
  • 赤田将吾(2013年-2014年)
  • 秋村謙宏(1996年-1997年)
  • 秋吉亮(2019年-2021年)
  • 阿久根鋼吉(1999年-2005年)
  • 浅野啓司
  • ミチェル・アブレイユ(2013年-2014年)
  • 荒井幸雄
  • 荒木大輔
  • 有原航平(2015年-2020年)
  • アリスメンディ・アルカンタラ(2022年-2023年)
  • 淡口憲治
  • マイク・イースラー(1988年-1989年)
  • 飯島滋弥(故人、1946年-1948年)
  • 飯山裕志(1998年-2017年)
  • 井口和朋(2016年-2023年)
  • 石井丈裕(1998年-1999年)
  • 石川慎吾(2012年-2016年)
  • 石川亮(2014年-2022年)
  • 市川友也(2014年-2018年)
  • 井出竜也(1994年-2003年)
  • 糸井嘉男(2004年-2012年)
  • 伊藤芳明(1966年-1969年)
  • 稲田直人(2004年-2009年)
  • 井上弘昭(1981年-1984年)
  • 乾真大(2011年-2016年)
  • 今関勝(1993年-2000年)
  • 今浪隆博(2007年-2014年)
  • 今成亮太(2006年-2012年)
  • 今西錬太郎(1954年-1955年)
  • 入来祐作(2004年-2005年)
  • 岩本堯
  • 岩本勉(1990年-2005年)
  • 岩本義行(故人、1956年-1957年)
  • ナイジェル・ウィルソン(1997年-2001年)
  • 上田利治(故人)
  • 上田佳範(1992年-2005年)
  • 鵜久森淳志(2005年-2015年)
  • 植村義信(故人)
  • 宇佐見真吾(2019年-2023年)
  • ブライアン・ウルフ(2010年-2013年)
  • 上沢直之(2012年-2023年)
  • 江尻慎太郎(2002年-2010年)
  • エドウィン・エスコバー(2017年)
  • エンジェル・エチェバリア(故人、2003年-2004年)
  • 江藤正(故人、1955年)
  • 江夏豊(1981年-1983年)
  • 海老原一佳(2019年-2021年)
  • 江本孟紀(1971年)
  • 大沢清(故人、1949年)
  • 大沢啓二(故人)
  • 大下剛史(1967年-1974年)
  • 大下弘(故人、1946年-1952年)
  • 大嶋匠(2012年-2018年)
  • 大島康徳(故人、1988年-1994年)
  • 大杉勝男(故人、1965年-1974年)
  • 太田賢吾(2015年-2018年)
  • 大田泰示(2017年-2021年)
  • 大谷翔平(2013年-2017年)
  • 大塚光二
  • 大野奨太(2009年-2017年)
  • 大橋穣(1969年-1971年)
  • 大引啓次(2013年-2014年)
  • 大宮龍男(1977年-1987年)
  • 大村巌
  • 岡大海(2014年-2018年)
  • 岡部憲章(1977年-1987年)
  • 小笠原道大(1997年-2006年)
  • 岡島秀樹(2006年)
  • 岡嶋博治(1967年)
  • 緒方耕一
  • 緒方俊明(1952年-1955年)
  • 岡村浩二(故人、1972年-1974年)
  • 岡本哲司(1990年-1996年)
  • 小川健太郎(故人、1954年-1955年)
  • 小川淳司(1992年)
  • 尾崎行雄(故人、1962年-1973年)
  • 落合博満(1997年-1998年)
  • シャーマン・オバンドー(1999年-2002年、2004年-2005年)
  • ウィルフィン・オビスポ(2011年)
  • 小山桂司(2006年-2008年)
  • 片岡篤史(1992年-2001年)
  • 柏原純一(1978年-1985年)
  • 歌藤達夫(2007年-2008年)
  • 加藤俊夫(1972年-1981年)
  • 加藤政義(2010年-2013年)
  • 金澤健人(2007年-2008年)
  • 金山次郎(故人、1948年)
  • 金石昭人(1992年-1997年)
  • 金子誠(1994年-2014年)
  • 金田留広(故人)
  • 金村曉(1995年-2007年)
  • 苅田久徳(故人)
  • 川島慶三(2006年-2007年)
  • 河野秀数(2013年-2015年)
  • 河本育之(2004年)
  • 菊地和正(2005年-2011年)
  • 木佐貫洋(2013年-2015年)
  • 木田勇(1980年-1985年)
  • 木田優夫(2010年-2012年)
  • 木下達生(2006年-2010年)
  • 木村拓也(故人、1991年-1994年)
  • 木村文紀(2021年-2023年)
  • 木元邦之(2001年-2007年)
  • 工藤隆人(2005年-2008年)
  • 工藤幹夫(故人、1979年-1988年)
  • 久保田治(1955年-1965年)
  • トミー・クルーズ(1980年-1985年)
  • 黒尾重明(故人、1946年-1949年)
  • 黒木知宏
  • キップ・グロス(1994年-1998年)
  • マイケル・クロッタ(2014年-2015年)
  • 黒羽根利規(2017年-2020年)
  • ボビー・ケッペル(2010年-2013年)
  • 公文克彦(2017年-2021年)
  • 河野旭輝(故人)
  • 河野博文(1985年-1995年)
  • 小坂誠
  • 小林繁(故人)
  • 小谷野栄一(2003年-2014年)
  • 近藤和彦(故人)
  • 近藤健介(2012年-2022年)
  • 近藤貞雄(故人)
  • 権藤正利(1964年)
さ行 た行
  • 西園寺昭夫(故人、1957年-1966年)
  • 斎藤佑樹(2011年-2021年)
  • 佐伯和司(1977年-1980年)
  • 坂井勝二(1976年)
  • 榊原諒(2009年-2013年)
  • 坂崎一彦(故人、1965年-1967年)
  • 阪本敏三(故人、1972年-1975年)
  • 坂元弥太郎(2008年-2009年)
  • 佐々木貴賀(2000年-2006年)
  • 佐藤賢治(2010年-2015年)
  • 佐藤義則
  • 佐藤龍世(2021年-2022年)
  • 實松一成(1999年-2006年、2018年-2019年)
  • 芝草宇宙(1988年-2005年)
  • 柴田佳主也(2002年)
  • 柴田保光(故人、1984年-1994年)
  • 島崎毅(1992年-1998年)
  • 島田一輝(1988年-1991年)
  • 島田直也(1988年-1991年)
  • 島田誠(1977年-1990年)
  • 下柳剛(1996年-2002年)
  • エリック・シュールストロム(1998年-1999年)
  • 正田樹(2000年-2007年)
  • 白井一幸(1984年-1995年)
  • 新谷博(2000年-2001年)
  • 杉谷拳士(2009年-2022年)
  • 杉山悟(故人)
  • ボビー・スケールズ(2011年)
  • スタンレー橋本(故人、1957年-1960年)
  • 角盈男(1989年-1991年)
  • 住友平(故人)
  • ターメル・スレッジ(2008年-2009年、2012年)
  • フェルナンド・セギノール(2004年-2007年)
  • トニー・ソレイタ(故人、1980年-1983年)
  • 高木豊(1994年)
  • 高代延博(1979年-1988年)
  • 高田繁
  • 高梨裕稔(2014年-2018年)
  • 高橋一三(故人、1976年-1983年)
  • 高橋里志(故人、1981年-1984年)
  • 高橋信二(1997年-2011年)
  • 高橋直樹(1968年-1980年)
  • 高橋博士(1972年-1976年)
  • 高橋善正(1967年-1972年)
  • 高濱祐仁(2015年-2022年)
  • 武田一浩(1988年-1995年)
  • 武田勝(2006年-2016年)
  • 多田野数人(2008年-2014年)
  • 立野和明(2020年-2023年)
  • 田中幸雄(1986年-2007年)
  • 田中幸雄(投手)(1982年-1989年)
  • 谷口雄也(2011年-2021年)
  • 谷元圭介(2009年-2017年)
  • 種茂雅之(1961年-1971年)
  • 田之上慶三郎
  • 田宮謙次郎(故人)
  • 田村藤夫(1978年-1995年)
  • ダルビッシュ有(2005年-2011年)
  • 筒井敬三(故人、1958年)
  • 津野浩(1984年-1991年)
  • 坪井智哉(2003年-2010年)
  • 鶴岡慎也(2003年-2013年、2018年-2021年)
  • 土井垣武(故人、1954年-1955年)
  • 土橋正幸(故人、1955年-1967年)
  • マイケル・トンキン(2018年)
な行 は行
  • ブランドン・ナイト(2005年)
  • 中沢伸二
  • 中嶋聡(2004年-2015年)
  • 中田翔(2008年-2021年)
  • 長冨浩志(1995年-1997年)
  • 中西太(故人)
  • 永淵洋三(1976年-1979年)
  • 中村隼人(2001年-2004年)
  • 中村勝(2010年-2019年)
  • 中村泰士(作曲家:ファイターズ賛歌の作曲者、故人)
  • 中村豊(1996年-2002年)
  • 梨田昌孝
  • 成田文男(故人、1980年-1982年)
  • 奈良原浩(1998年-2006年)
  • 新美敏(1973年-1976年)
  • 二岡智宏(2009年-2013年)
  • 西川遥輝(2011年-2021年)
  • 西崎幸広(1987年-1997年)
  • 西村天裕(2018年-2022年)
  • 野口寿浩(1998年-2002年)
  • 野口正明(故人、1948年)
  • 野中信吾(2002年-2003年)
  • 野村収(1974年-1977年)
  • 野村貴仁(2003年)
  • アンソニー・バース(2016年)
  • 白仁天(1962年-1974年)
  • 白村明弘(2014年-2020年)
  • 橋上秀樹(1997年-1999年)
  • 橋本義隆(2005年-2007年)
  • 秦真司(1999年)
  • 林昌範(2009年-2011年)
  • 張本勲(1959年-1975年)
  • 東田正義(故人、1975年)
  • 平沼翔太(2016年-2021年)
  • 平野謙
  • トレイ・ヒルマン
  • 広瀬哲朗(1986年-1998年)
  • 藤井秀悟(2008年-2009年)
  • 藤岡貴裕(2018年-2019年)
  • 藤岡好明(2014年-2016年)
  • 藤原鉄之助(故人、1948年)
  • 毒島章一(故人、1954年-1971年)
  • トニー・ブリューワ(1986年-1990年)
  • 古城茂幸(1998年-2006年)
  • 古溝克之(1999年)
  • 古屋英夫(1978年-1990年)
  • マイカ・ホフパワー(2011年-2013年)
  • 堀本律雄(故人)
  • コディ・ポンセ(2022年-2023年)
ま行 や行
  • マイケル中村(2005年-2008年)
  • 間柴茂有(1978年-1988年)
  • 増井浩俊(2010年-2017年)
  • 増渕竜義(2014年-2015年)
  • 松浦宏明(1985年-1995年)
  • 松木謙治郎(故人)
  • 的場直樹
  • ニック・マルティネス(2018年-2020年)
  • 三木肇(2008年)
  • 水上善雄
  • 三沢淳(故人、1985年-1986年)
  • 水原茂(故人)
  • 南村侑広(故人)
  • 三原脩(故人)
  • 宮田征典(故人)
  • カルロス・ミラバル(2000年-2005年)
  • フアン・ミランダ(2014年)
  • 村上雅則(1976年-1982年)
  • 村田透(2017年-2021年)
  • ルイス・メンドーサ(2014年-2017年)
  • 基満男
  • 本西厚博(1999年)
  • 森弘太郎(故人、1949年)
  • 森繁和
  • 森内壽春(2012年-2015年)
  • 森中千香良(故人、1972年-1974年)
  • 八木智哉(2006年-2012年)
  • 八名信夫(1956年-1958年)
  • 矢貫俊之(2009年-2015年)
  • 矢野謙次(2015年-2018年)
  • 山下和彦(1995年-1998年)
  • 山田遥楓(2023年)
  • 山根和夫
  • 山本八郎(1956年-1962年)
  • 陽岱鋼(2006年-2016年)
  • 横尾俊建(2016年-2021年)
  • 横山道哉(2004年-2006年)
  • 吉井理人
  • 吉岡雄二
  • 吉川光夫(2007年-2016年、2019年-2020年)
  • 吉田勝豊(1957年-1964年)
  • 吉田輝星(2019年-2023年)
  • 与田剛(1998年-1999年)
  • 与那嶺要(故人)
  • 米川泰夫(1949年-1958年)
  • 米野智人(2016年)
ら行 わ行
  • 龍憲一(1960年-1961年)
  • ブランドン・レアード(2015年-2018年)
  • 若菜嘉晴(1989年-1991年)
  • 渡辺秀武(故人、1973年-1975年)
  • 渡邉諒(2014年-2022年)

戦績

1980年代

詳細

1980年は、木田勇とトミー・クルーズ、トニー・ソレイタという新戦力が躍動した。特に新人の木田は、最多勝・最優秀防御率・最高勝率と投手三冠タイトルを独占し(さらに最多奪三振)、新人王の他にMVPも受賞した(新人選手としては初)。チーム成績は3年連続の総合3位(前期2位・後期2位)ながら、勝率に至っては上位2チームとわずか2厘差という接戦であった。

1981年は、エースの高橋直樹を放出してまで広島東洋カープから江夏豊を獲得する。前年の酷使から木田が精彩を欠くものの、ソレイタの二冠王(本塁打王・打点王)に輝く活躍などもあり、阪急ブレーブスを振り切って初の後期優勝を果たした(前期4位)。プレーオフでは前期優勝のロッテオリオンズを下し、初の日本シリーズ出場を果たすも、読売ジャイアンツの前に2勝4敗で敗れ去った。MVPには、優勝請負人として大車輪の活躍をした江夏が選ばれた。

1982年も2年連続の後期優勝を果たすが(前期4位)、プレーオフでは前期優勝の西武ライオンズに江夏を攻略され敗れ去った。

1983年シーズンより、1シーズン制に戻る。前年20勝をあげた工藤幹夫が精彩を欠き、Aクラス(3位)は死守したものの西武ライオンズに大きく引き離された。シーズン終了をもって大沢が勇退し、植村義信が監督に昇格した。

1984年は新監督の方針と選手が合わず、シーズン序盤にしてチームが崩壊する。植村は6月に辞意を表明し、こうなったのは自分の責任としてシーズン途中より大沢が監督に復帰した。しかし一度狂った歯車は元には戻らず、結局最下位を独走する事態となった。

1985年より、高田繁を監督に招聘する。戦力が揃わず2年連続で5位に低迷するが、1987年は新人の西崎幸広の活躍などで上手く歯車が噛み合い、久々のAクラス(3位)を奪還した。翌1988年は貧打に苦しむものの、河野博文が最優秀防御率、西崎が最多勝に輝くなど投手陣が絶好調(防御率上位10人に4人が食い込んだ)で、勝率五割には届かなかったものの2年連続のAクラス(3位)となった。高田はシーズン終了をもって退任した。

1989年シーズンより近藤貞雄が監督となるが、3年連続でBクラスに低迷した。

1990年代

詳細

1992年は、球団OBの土橋正幸を監督に招聘する。移籍の金石昭人が二桁勝利、新人の片岡篤史が三割近い打率(リーグ10位)と二桁本塁打を記録するなど戦力の底上げはしたものの、わずか1年で解任される。後任として、大沢が監督に復帰することとなった。

1993年は、西武ライオンズに1ゲーム差にまで迫る2位にチームを躍進させる。

1994年は投打ともに崩壊して最下位を独走。大沢はファンに土下座して監督を辞した。

1995年より、上田利治を監督に招聘する。ヤクルトスワローズ監督の野村克也から「どうスタメンを組むんや(笑)。」とからかわれるようなチーム状態で初年度は4位に終わるが、翌1996年は岩本勉の急成長などで投手陣が整備され、オリックスブルーウェーブとの熾烈な首位争いを繰り広げた。ところが、9月に上田が家庭の問題を理由に突如辞任を表明する。ここからチームは急失速し、2位に終わった(上田はオフに復帰)。

1997年は読売ジャイアンツから落合博満を獲得して話題となるが、戦力の上積みには繋がらなかった。前年好投したエース西崎の故障もあって4位に低迷する。

1998年は落合の衰えがさらに顕著となるが、新外国人選手のナイジェル・ウィルソンらで強力打線を構成し(公募で「ビッグバン打線」と命名)、8月まで首位を独走した。しかし、後半戦から打撃陣が急失速し、結局西武ライオンズに逆転優勝を許した。

1999年は5位に低迷し、この年を以て上田は監督を退任した。

2000年代(北海道移転前まで)

詳細

2000年より、球団OBの大島康徳を監督に招聘する。2年目のシャーマン・オバンドーと怪我から復帰したウィルソンが爆発し、また新外国人選手のカルロス・ミラバルが抑え投手として機能して3位に浮上した。

2001年、2002年は投打ともに上向かず、6位、5位に終わる。2002年限りで大島は監督を退任した。

2003年より、球団史上初の外国人監督となるトレイ・ヒルマンを監督に招聘するが、5位に終わる。この年を最後に東京から北海道に移転した。

2004年(北海道移転後)~2009年

詳細

2004年(66勝65敗2分、3位) 監督:トレイ・ヒルマン

北海道移転初年度。この年から新庄剛志が加入、1番もしくは2番センターとして活躍するとともに、それまで巨人ファンが圧倒的多数だった北海道に日本ハムファイターズを根付かせるための奮闘を始める。

本拠地が狭い東京ドームから広い札幌ドームに変わったが、フェルナンド・セギノールが本塁打王を獲得したのをはじめ、高橋信二が26本塁打するなど、今とは違って豪快野球のチームカラーを残していた。投手陣では建山義紀が最優秀中継ぎ投手、トレードで獲得した横山道哉がよく燃えたが28セーブで最多セーブを獲得。

この年から導入されたプレーオフ出場を賭けて千葉ロッテマリーンズと熾烈な3位争いを繰り広げ、最終的にロッテと0.5ゲーム差で3位に滑り込んだ。そのためか、この頃から応援していた日本ハムファンは割とロッテファンと仲が良い。プレーオフでは第1ステージで西武ライオンズに敗れた。

そしてこの年のオフ、FAで稲葉篤紀、ドラフト会議でダルビッシュ有という、後の日本ハムの看板となる2人の選手が入団してくる。まさに運命のオフである。

2005年(62勝71敗3分、5位) 監督:トレイ・ヒルマン

開幕前、ダルビッシュが喫煙をスッパ抜かれ「ワルビッシュ」と揶揄される。そんな幕開けとなった2005年。ダルビッシュはこの年は5勝5敗。またこの年から高田繁がゼネラルマネージャーに就任している。

この年は小笠原道大が本塁打数増加の代わりに打率を大きく落とし、FAで獲得した稲葉もパッとせず、高橋は故障で不振にあえぐなど、打線が前年のような破壊力を発揮出来ず、チーム三振数が大幅に増加。交流戦で11連敗を喫するとそのままずるずると沈み、5位に終わった。

この年の不振が、日本ハムが東京時代からのチームカラーだった「ビッグバン打線」を捨てる契機となった。

2006年(82勝54敗、優勝・日本一) 監督:トレイ・ヒルマン

SHINJO、開幕直後に突然の引退宣言。2006年の日本ハムはその衝撃から始まった。

前年の5位もあって、この年の日本ハムを優勝候補に挙げる者はほとんど居なかった。トップバッター候補だった新外国人のマシーアスの不振もあって、開幕直後は何かと試行錯誤が続く。

しかし、坪井智哉の故障でレフトに定着した森本稀哲と、交流戦から二塁レギュラーを獲得した田中賢介の1・2番コンビがハマり、「森本が出て、賢介が送り、小笠原・セギノール・稲葉のクリーンナップで返す」という得点パターンが確立。同時に森本・SHINJO・稲葉によって鉄壁の外野陣が完成。

投手陣もルーキーの八木智哉、シーズン途中で覚醒したダルビッシュ有の2人が柱となり、武田勝や押本健彦、建山らが支え、開幕直前にトレードで獲得した岡島秀樹が武田久とともにセットアッパーになり、守護神のMICHEALへ繋ぐ必勝リレーを形勢した。力任せのパワー野球から、堅守と投手力を武器に堅実な野球で1点を確実に奪って勝つ、スモール・ベースボールへのシフトチェンジを僅か1年で見事に果たす。

セ・パ交流戦の終わりから破竹の11連勝で一気に波に乗ると、西武・福岡ソフトバンクホークスと史上稀に見る熾烈な優勝争い(プレーオフのせいで実際は「レギュラーシーズン1位争い」なところが間抜けだったが)を繰り広げ、最終戦で1位を確定。「札幌ドームを満員にする」というSHINJOの掲げた公約を、移転3年目で実現した。

プレーオフ前には金村暁が舌禍事件を起こす(「絶対に許さない。顔も見たくない」参照)ものの、プレーオフ第2ステージでソフトバンクを破り日本シリーズ進出を決める。日本シリーズでは「中日ドラゴンズ優勢」の見方が圧倒的な中、本拠地札幌ドームで3連勝して4勝1敗で東映時代以来44年ぶりの日本一に輝き、SHINJOの引退に華を添えた。

しかしこの年のオフ、小笠原がFAで読売ジャイアンツへ、岡島がボストン・レッドソックスへ移籍する。

2007年(79勝60敗5分、優勝) 監督:トレイ・ヒルマン

前年日本一に輝いたものの、小笠原という球界屈指の主力打者に加え、チームの精神的支柱であるSHINJO、セットアッパーの岡島も失った日本ハムの戦力ダウンは著しいという評価が大勢を占める。ソフトバンクが大幅補強をしていたこともあって、ファンですら「今年は無理」というのが大方の見方だった。

前年の金村の舌禍事件もあってか、開幕直後は「田中幸雄に2000本安打を達成させる」ための選手起用がしばしば見られた。また主力の抜けた打線は貧打にあえぎ、投手陣も八木や押本、金村らがパッとせず、苦戦が続く。

しかし田中幸雄が無事2000本安打を達成すると、その直後から交流戦最高記録となる14連勝を達成して初の交流戦優勝を果たし、チームは波に乗る。貧打は相変わらずだったが、稲葉が自己最高の成績を残すなど中軸打者として覚醒。また勝負強い小谷野栄一がレギュラーに定着する。投手陣もダルビッシュ有が完全覚醒を果たし堂々たるエースとなり、前年確立した「確実に1点を獲って守りきる」野球を徹底し、千葉ロッテマリーンズとの優勝争いを制して、ほとんど誰も予想していなかったリーグ二連覇を達成した。

CSでもロッテとの死闘を制し、2年連続の日本シリーズ進出。日本シリーズは再び中日との顔合わせとなったが、稲葉が不振に陥ったこともあって1勝4敗と前年のリベンジを果たされてしまった。

この年をもってトレイ・ヒルマン監督が退任。後任はまさかの梨田昌孝、いてまえ打線を率いた元近鉄監督である。チームカラーの180度違う日本ハムでどんな野球をするのかとファンの間では何とも言い難い不安が広がった。また高田GMも退任して東京ヤクルトスワローズの監督に。ついでとばかりに川島慶三・押本健彦らを連れていき、代わりに藤井秀悟・坂元弥太郎らを押しつけていった。他、セギノールが退団し長距離砲不足がますます深刻化する。

そしてドラフト会議においては、高校生ドラフトで中田翔を引き当てる。さらに大学・社会人ドラフトでは多田野数人を1巡目で指名。色んな意味で一部を騒然とさせる。

2008年(73勝69敗2分、3位) 監督:梨田昌孝

梨田政権1年目だが、メディアの注目は専ら中田翔に集まり、ネット上の話題は多田野数人に集中。当の中田は故障もあって一年を通して二軍暮らし、多田野数人も自主トレ中の怪我で出遅れる。

前年まで主力に大きな怪我人が出ることが少なかった反動か、この年は故障者が続出した。森本稀哲、金子誠らが故障で不振に陥り、投手陣では前年手術した江尻慎太郎をリハビリで欠き、武田勝は練習の打球を受けて骨折する不運に見舞われる。他にも前年9勝のライアン・グリンがあわやシーズン20敗かというペースで黒星を積み上げ(最終的には7勝14敗)、トレードで獲得した藤井秀悟は全く援護に恵まれなかった(防御率3.25で3勝8敗)。さらに北京五輪中にはダルビッシュと稲葉という投打の柱を欠く。

しかし前半戦は多田野が普通にローテを支え、武田久や建山、ロングリリーフで勝ち運を発揮した坂元弥太郎らリリーフ陣も奮闘。采配が懸念された梨田新監督も基本的にヒルマン政権の堅実野球を継承した采配をしつつ、貧打の解消に向けて高橋信二の一塁コンバートなど模索を続ける。結局、チームは波には乗れなかったものの大きく低迷することもなく、ソフトバンクをフルボッコ(17勝7敗)にした分と交流戦の貯金で、どうにかロッテと0.5ゲーム差の3位に滑り込んだ。

クライマックスシリーズでは第一ステージで経験の差を見せつけオリックスに完勝したが、第二ステージで西武に敗れた。

オフには契約で揉めることの多かった高年俸の守護神MICHEALを巨人に放出し、不祥事もあって坂本勇人にレギュラーから蹴落とされた二岡智宏を獲得した。

2009年(82勝60敗2分、優勝) 監督:梨田昌孝

5割打者・金子誠という、何の冗談かという確変で2009年のファイターズは幕を開けた。

開幕直後の苦戦が恒例行事になっている日本ハムだったが、この年は開幕から金子誠が謎の大当たり。4月の月間MVPを獲得する大活躍で開幕からチームを牽引すると、そのままシーズンを通して安定した戦いを続けた。

最大の強みはチームカラーと化していた貧打の解消。「1番賢介、2番森本」の2007年までとは逆の1・2番コンビが嵌り、中軸は大野奨太の加入で高橋信二が一塁に専念して4番に定着。下位打線では糸井嘉男が大きく成長してセンターの定位置を獲得し、金子誠の確変が加わって勝負強いアベレージヒッターが並ぶ形になり、本塁打は少ないがどこからでも点が取れる破壊力抜群の打線に成長した。

投手陣も、ダルビッシュと武田勝以外の先発こそやや駒不足の感があったが、ベテランの建山に復活した江尻、宮西尚生と菊地和正の若手コンビ、トレードで二岡とともに獲得した林昌範らのリリーフ陣がそれを補い、新守護神となった武田久はシーズン無敗でセーブ王に輝いた。

8月には新型インフルエンザに見舞われ、9月には失速もあったがソフトバンクのお付き合いもあって無事に逃げ切り優勝。CSでは快進撃を続けていた東北楽天ゴールデンイーグルスを迎え撃ち、ターメル・スレッジの逆転満塁サヨナラ本塁打(いわゆる「福盛の21球」)で楽天を見事に撃墜。2年振りの日本シリーズ進出を果たした。日本シリーズでは巨人に2勝4敗で敗れた。

オフにはスレッジを放出。相変わらず金銭にシビアな一面を見せる。また藤井秀悟がFAで巨人に移籍した。

2010年代

詳細

2010年(74勝67敗3分、4位) 監督:梨田昌孝

4月28日、オリックスに敗れ借金14。2010年のファイターズの幕開けは苦難に満ちていた。

退団したスレッジの穴を埋める外国人野手の補強をせず、国産打線で挑むことになった2010年。それでもリーグ内では総合的な戦力においては一番安定感があると言われ、優勝候補にも挙げられていた。

ところが、森本の故障離脱で2番打者不在のまま開幕を迎えると、開幕戦をダルビッシュで落とし、第2戦は昨年無敗の守護神武田久が打たれて落とす。そして金子誠が戦線離脱すると、瞬く間にチームの歯車は見る影もなく狂った。鉄壁を誇った内野守備が崩壊し、武田久は絶不調で守護神の座を剥奪される。打線も中核を担う稲葉や高橋の不調と繋ぎ役を担う森本や金子の故障で、昨年の強みであった勝負強さと堅守、安定していたリリーフ陣という要素を全て失ってはどうしようもなかった。みるみる借金は膨れあがり、GW前には首位と10ゲーム差以上離されぶっちぎりの最下位に低迷する。春先の苦戦は恒例行事とはいえ、これほどの苦難になるとは誰も予想し得なかっただろう。

しかし、そのまま終わらないのが戦国パ・リーグを過去4年で3度制したファイターズの底力だった。パ・リーグが圧勝した交流戦から、徐々にチームは立ち直っていく。ダルビッシュが援護に恵まれない中、ボビー・ケッペルと武田勝が順調に勝ち星を積み重ね、野手では森本と金子が復帰し、不調の高橋に代わって小谷野栄一が4番に定着すると、交流戦明けから破竹の快進撃でみるみる借金を減らし、7月にはついに14あった借金を完済する。

だが、混戦のリーグの中で、そこから一気に抜け出すことは叶わなかった。一時は3位に肉薄したが、そこからは勝ったり負けたりを繰り返す展開で、3位の背中を追いかけながらのオリックスとの4位争いが続く。陽岱鋼が攻守に成長を見せ、8月には中田翔がホームランを量産するなど明るい材料も多くあったが、高橋や二岡、金子誠などが相次いで戦列を離れるなど、CS圏内に手が届きそうで届かない戦いが続いた。

それでも勝率5割超を維持し続け、終盤戦はロッテの失速でオリックス・バファローズと三つ巴のCS争いへもつれこむ。残り10試合を切っても優勝の可能性さえ残っていた大混戦のシーズンは、結局貯金7の暫定3位で全日程を終える。CS進出はその時点で残り2試合のロッテの結果次第というところまでロッテを追いつめたが、ロッテが残り試合を全勝したため、0.5ゲーム差の4位となって、クライマックスシリーズ導入以来初めて進出を逃した。

チーム防御率は断トツのリーグ1位、チーム打率もリーグ2位ながら4位という結果が、序盤の低迷の深刻さと歯車の噛み合わなさを物語ったが、借金14からCS目前まで迫り、優勝したソフトバンクと2位西武に勝ち越すなど前年王者の意地と底力で上位陣を脅かしたシーズンだった。

オフにはドラフト会議で斎藤佑樹を引き当て大きな話題を呼ぶ。一方、FAで森本稀哲が横浜ベイスターズへ、建山義紀がテキサス・レンジャーズへ移籍。多田野数人、坪井智哉が戦力外となったが、多田野はのちに再契約した。トレードでは紺田敏正・須永英輝を放出してウィルフィン・オビスポを、山本一徳・高口隆行を放出して根本朋久を獲得。また新外国人としてマイカ・ホフパワーを獲得し国産打線は1年で終了した。

2011年(72勝65敗7分、2位) 監督:梨田昌孝

斎藤佑樹の一挙手一投足にメディアの大きな注目が集まる中、春季キャンプで田中賢介が指の骨折で戦線離脱。さらにオープン戦で小谷野栄一が死球を受け骨折、不動の1番と4番が開幕絶望という非常事態に陥る。が、東日本大震災の影響で開幕が延期となった結果、賢介、小谷野ともにどうにか開幕に間に合うことになった(その代わりに鶴岡慎也が自打球で顔面を陥没骨折し出遅れる)。

統一球の導入と肉体改造で、「今年はついに防御率0点台か」とも噂されたエース・ダルビッシュ有が、開幕戦で西武打線にまさかの7失点。2試合目でもブライアン・ウルフがフルボッコにされ、開幕カード2試合で20失点という幕開けとなった2011年。しかしその後すぐに5連勝し、チームは快調に滑り出す。

打線は森本の抜けた2番に陽岱鋼が定着、4番の小谷野栄一が不振に陥り5月に故障で離脱するが、中田翔が大きな成長を見せ、入れ替わりで4番に座ることに。投手陣も、ダルビッシュは開幕戦の7失点はハンデだったと言わんばかりにその後は無双状態に突入、ウルフとボビー・ケッペルの助っ人コンビも快調に白星を積み重ねる。リリーフも建山の抜けたセットアッパーに増井浩俊が定着し、前年不調に苦しんだ武田久も完全復活。武田勝が5試合連続完封負け(NPB新記録)という歴史的ムエンゴに見舞われたりもしたが、チームは順調に貯金を増やしていく。

交流戦前にソフトバンクに首位を奪われるものの、交流戦でも貯金8を積み上げてソフトバンクに追いすがり、6月には完全にソフトバンクとの一騎打ち体勢に入った。6月半ば、田中賢介が足の骨折でほぼシーズン絶望となるというアクシデントに見舞われるものの、すかさずボビー・スケールズを獲得してその穴を埋め、前半戦はソフトバンクと同率首位で折り返した。

ソフトバンクとの直接対決を多く残していた後半戦、チームはダルビッシュとソフトバンクキラーの武田勝をソフトバンク戦に優先的にぶつける起用法で奪首を目論むが、後半戦最初の直接対決3連戦で、ダルビッシュ・武田勝を立てたにもかかわらず3連敗。以降、3ゲーム差前後で首位に追いすがる展開になる。

崩壊は8月の終わりだった。突然の梨田監督の退任報道に、チームの歯車が狂い出す。打線が機能不全に陥り、投手陣も踏ん張りきれず、接戦を落とす試合が続く。ソフトバンクの背中が遠くなり始めると、チームは完全にモチベーションを見失い、9月15日に梨田監督が正式に退任を表明すると、悪夢のような連敗街道に突入した。下からはオリックスと西武が猛烈な追い上げを開始、10ゲーム以上も引き離していた3位グループとの差があっという間に詰まり、気が付けばソフトバンクの背中は遙か彼方、あわや4位転落の可能性が見えるところまで追い詰められる。最終的にどうにか土俵際で踏ん張り2位は確保したものの、優勝したソフトバンクには最終的に17.5ゲーム差も離され、8月には最大26あった貯金を7まですり減らすという苦しみの幕切れとなった。

クライマックスシリーズでも、シーズン終盤の勢いのままに3位西武にリリーフ陣が粉砕されあっさりと2連敗し万事休す。2007年にトレイ・ヒルマン監督の退任決定で日本一を逃した負の歴史を繰り返す格好になってしまった。

オフ、野球解説者の栗山英樹が新監督に就任。ダルビッシュ有がポスティングを行使しテキサス・レンジャーズへ移籍。スケールズが退団、林昌範と菊地和正が戦力外に。ターメル・スレッジと紺田敏正の出戻り組を獲得した。

ドラフト会議では巨人の単独指名と目されていた菅野智之を強攻指名して交渉権を獲得。さらに5位では直前の都市対抗野球で完全試合を達成した森内壽春、7位ではソフトボール選手の大嶋匠を指名し話題を独占したが、結局菅野には入団拒否された。

2012年(74勝59敗11分、優勝) 監督:栗山英樹

絶対的エースのダルビッシュ有が抜け、新監督は指導者経験ゼロの栗山英樹ということもあって、開幕前の前評判は低く、Bクラス予想が大半だった。そんな中、栗山監督はオープン戦からあまり結果の出ていなかった斎藤佑樹を開幕投手に抜擢する。人気優先の起用との批判の中、斎藤は西武との開幕戦を1失点完投勝利。見事に起用に応え、チームは順調に滑り出した。

打線は4番の中田翔が開幕から大不振に陥ったが、開幕2番に起用された稲葉篤紀が絶好調で打ちまくり早々に2000本安打を達成、チームを牽引。鶴岡慎也は打撃好調で大野奨太を押しのけて正捕手の地位を確保した。投手陣はボビー・ケッペル、榊原諒、石井裕也らが長期離脱、武田久が例によっての隔年での不調に戦線離脱もあったりしたが、吉川光夫がついに覚醒してエース級のピッチングを見せ、斎藤や武田勝、ブライアン・ウルフと安定したローテーションを形成。リリーフ陣も宮西尚生・増井浩俊にルーキーの森内壽春らが支え、チームは千葉ロッテマリーンズとの首位争いを繰り広げた。

交流戦以降はロッテが失速し、代わりに浮上してきた西武・ソフトバンクとの優勝争いへ突入。斎藤が調子を落として二軍落ち、8月には田中賢介が長期離脱、9月には糸井嘉男が戦線離脱するというアクシデントもあったが、3年目の中村勝が8月からローテ入りして好成績を挙げ、多田野数人や先発コンバートされた谷元圭介もローテの穴を埋める。リリーフでは増井浩俊が怒濤のペースで投げまくり、前年平野佳寿が打ち立てたパ・リーグのホールド記録を更新。武田久も後半戦は復活した。野手では前半戦不振に喘ぎながらもずっと4番で起用され続けた中田が復調して4番らしい働きを見せ、また西川遥輝や杉谷拳士らの若手が夏場以降台頭し、主力の不在をカバーする働きを見せた。

混戦模様のパ・リーグの中では唯一、開幕直後以外一度も借金生活を経験しないという安定した戦いを続け、一時西武に首位を奪われたが9月半ばには首位奪還。そのまま逃げ切り、試合の無かった10月2日に西武が敗れて3年ぶりの優勝を決めた。なお、最終的に2位西武、3位ソフトバンク、4位楽天の3チームに負け越して優勝という史上初の珍記録をマークした(vs西武-2、vsソフトバンク-4、vs楽天-2、vsロッテ+11、vsオリックス+6、交流戦+6で貯金15。なお、交流戦を除いても首位である)。

クライマックスシリーズは糸井嘉男の2試合連発などにより3連勝でソフトバンクを破り突破。巨人との日本シリーズは前回優勝した2009年と同じ顔合わせとなったが、第1戦と第5戦に先発した吉川がフルボッコにされるなどして2勝4敗で敗れた。

オフ、田中賢介がメジャー挑戦を表明しFA宣言し移籍。他、スレッジが退団、木田優夫らが戦力外となった。ドラフト会議ではメジャー挑戦を表明していた大谷翔平を強行指名し、交渉の末入団にこぎ着けた。

2013年(64勝78敗2分、6位) 監督:栗山英樹

田中賢介のメジャー移籍。さらに年明けにメジャー挑戦を巡って契約更改で揉めていた糸井嘉男を八木智哉と共にオリックス・バファローズに放出。木佐貫洋、大引啓次、赤田将吾の3人を獲得するという大型トレードには、日本ハムファンのみに留まらず各方面に衝撃を与えた。レギュラーシーズンでは田中と糸井の抜けた穴が大きく響くことになる。

新人大谷翔平の二刀流が大いに注目されたが、チームは5月に9連敗を喫して最下位に転落。

セ・パ交流戦では13勝10敗1分けと勝ち越したが、7月は8勝13敗と負け越し。8月14日には5位に浮上したが、そこから先へは浮上できず、9月下旬に再び最下位に転落。そのまま閉幕まで最下位となり、2001年以来12年ぶりの最下位となった。優勝の翌年に最下位は、パ・リーグでは1981年の近鉄バファローズ以来2回目。

一方でミチェル・アブレイユが31本塁打で本塁打王のタイトル、陽岱鋼が47盗塁で盗塁王を獲得。日本ハムでの盗塁王は、前身球団を含めて史上初の快挙となった。

シーズン中にマイカ・ホフパワーとボビー・ケッペル、オフにブライアン・ウルフが退団、鶴岡慎也がFA宣言して福岡ソフトバンクホークスへ移籍。榊原諒、二岡智宏などが戦力外となった。

2014年(73勝68敗3分、3位) 監督:栗山英樹

  • 「名参謀」白井一幸の復帰
  • 大谷翔平が史上初の「同一シーズン内での先発10勝と10本塁打」を記録。
  • 金子誠と稲葉篤紀が相次いで引退を表明。赤田将吾は、自由契約と公示された後に引退を表明。

詳細はプロ野球2014を参照

2015年(79勝62敗2分、2位) 監督:栗山英樹

  • 田中賢介の復帰。
  • 大谷翔平が最多勝・最優秀防御率・最高勝率の投手3冠を獲得。中島卓也が盗塁王を獲得。
  • 阪急ブレーブス最後の戦士、中嶋聡が引退。

詳細はプロ野球2015を参照

2016年(87勝53敗3分、優勝・日本一) 監督:栗山英樹

  • 大谷翔平が10勝4敗、打率.322、22本塁打でMVP。NPB史上初の「10勝、100安打、20本塁打」を達成。
  • 武田勝が現役を引退。「俺のために優勝しろ」と書かれたメッセージがベンチに置かれ、10年ぶりの日本一にまでいった。
  • ブランドン・レアードが本塁打王、中田翔が打点王、宮西尚生が最優秀中継ぎ投手を獲得。

詳細はプロ野球2016を参照

2017年(60勝83敗0分、5位) 監督:栗山英樹

  • 近藤健介が6月1日に張本勲が持っていた球団記録の開幕戦から4割以上の打率維持(46試合) を更新し、50試合まで伸ばした。しかしその後故障離脱。
  • 大谷翔平の長期離脱や主軸の不振などで夏場からはロッテとの最下位争いに。一時は北海道移転後ではワーストとなる借金33を記録したが、終盤で持ち直して5位となった。
  • オフに大谷翔平がメジャー移籍。ドラフト会議では7球団競合した清宮幸太郎を引き当てた。

詳細はプロ野球2017を参照

2018年(74勝66敗3分、3位) 監督:栗山英樹

  • 7月までは西武と首位争いを繰り広げたが、夏場から引き離され、ソフトバンクに抜かれて3位に終わった。
  • オフにレアードが退団。またオリックスを退団した金子千尋を獲得。

詳細はプロ野球2018を参照

2019年(65勝73敗5分、5位) 監督:栗山英樹

  • 先発不足対策にショートスターター戦術を採用。しかしオフの契約更改で宮西尚生から苦言を呈されるなど成功したとは言い難い結果に。
  • 6月まで5割進行から7月に16勝6敗の快進撃で首位ソフトバンクに0.5差まで詰め寄るが、8月は一転して5勝20敗の記録的大失速。最後はオリックスとの最下位争いの末5位に終わった。
  • 田中賢介が現役を引退。

詳細はプロ野球2019を参照

2020年代

2020年(53勝62敗5分、5位) 監督:栗山英樹

  • 前年から目立つ新戦力も若手のブレイクもなく、開幕から終始低調で2年連続の5位に終わる。
  • ほとんど見所のないシーズンになってしまい、観客動員も12球団中11位と低迷に陥った。
  • 有原航平と西川遥輝がMLB挑戦のためポスティングシステムを申請。有原はレンジャーズ入り、西川は残留となった。

詳細はプロ野球2020を参照

2021年(55勝68敗20分、5位) 監督:栗山英樹

  • 中田翔にチームメイトに対する暴力事件が発覚し、無期限謹慎処分。後半戦再開時に巨人にトレードで移籍した。
  • この年を以て栗山英樹が監督を退任する。
  • 11月17日には秋吉亮、大田泰示、西川遥輝がノンテンダーという名目で退団した。

詳細はプロ野球2021を参照

2022年(59勝81敗3分、6位) 監督:BIGBOSS

  • この年から新庄剛志が監督に就任し、BIGBOSSと名乗った。
  • BIGBOSSはこの年を育成、トライアウトと称し、支配下選手全員を公式戦に出場させた。
  • 松本剛が首位打者のタイトルを獲得。
  • BIGBOSSの登録名はこの年限りで、2023年からは登録名を新庄剛志とした。

詳細はプロ野球2022を参照

2023年(60勝82敗1分、6位) 監督:新庄剛志

  • シーズン開幕前にアリエル・マルティネス、伏見寅威を獲得。
  • 一時は4位に浮上したが、2年連続の最下位に低迷した。

詳細はプロ野球2023を参照

年度別球団成績

  • (2023年終了時点)
  • はリーグ最高、はリーグワースト








セネタース
1946年 横沢三郎 5 105 47 58 0 .448
東急フライヤーズ
1947年 苅田久徳 6 119 51 65 3 .440
急映フライヤーズ
1948年 苅田久徳 5 140 59 70 11 .457
東急フライヤーズ
1949年 井野川利春 7 138 64 73 1 .467
1950年 安藤忍 6 120 51 69 0 .425
1951年 6 108 38 56 8 .404
1952年 井野川利春 6 108 49 59 0 .454
1953年 6 120 50 67 3 .427
東映フライヤーズ
1954年 井野川利春 7 140 52 86 2 .377
1955年 保井浩一 7 143 51 89 3 .364
1956年 岩本義行 6 154 58 92 4 .390
1957年 5 132 56 73 3 .496
1958年 5 130 57 70 3 .450
1959年 3 135 67 63 5 .515
1960年 5 132 52 78 2 .400
1961年 水原茂 2 140 83 52 5 .611
1962年 1 133 78 52 3 .600
1963年 3 150 76 71 3 .517
1964年 3 150 78 68 4 .534
1965年 2 140 76 61 3 .555
1966年 3 136 70 60 6 .538
1967年 3 134 65 65 4 .500
1968年 大下弘 6 135 51 79 5 .392
1969年 松木謙治郎 4 130 57 70 3 .449
1970年 松木謙治郎
田宮謙次郎
5 130 54 70 6 .435
1971年 田宮謙次郎 5 130 44 74 12 .373
1972年 4 130 63 61 6 .508
日拓ホームフライヤーズ
1973年 田宮謙次郎
土橋正幸
5 130 60 64 6 .484
日本ハムファイターズ
1974年 中西太 6 130 49 75 6 .395
1975年 6 130 55 63 12 .466
1976年 大沢啓二 5 130 52 67 11 .437
1977年 5 130 58 61 11 .487
1978年 3 130 55 63 12 .466
1979年 3 130 63 60 7 .512
1980年 3 130 66 53 11 .555
1981年 1 130 68 54 8 .557
1982年 2 130 67 52 11 .563
1983年 3 130 64 59 7 .520
1984年 植村義信
大沢啓二
6 130 44 73 13 .376
1985年 高田繁 5 130 53 65 12 .449
1986年 5 130 57 65 8 .467
1987年 3 130 63 60 7 .512
1988年 3 130 62 65 3 .488
1989年 近藤貞雄 5 130 54 73 3 .425
1990年 4 130 66 63 1 .512
1991年 4 130 53 72 5 .424
1992年 土橋正幸 5 130 54 73 3 .425
1993年 大沢啓二 2 130 71 52 7 .577
1994年 6 130 46 79 5 .368
1995年 上田利治 4 130 59 68 3 .465
1996年 2 130 68 58 4 .540
1997年 4 135 63 71 1 .470
1998年 2 135 67 65 3 .508
1999年 5 135 60 73 2 .451
2000年 大島康徳 3 135 69 65 1 .515
2001年 6 140 53 84 3 .387
2002年 5 140 61 76 3 .445
2003年 ヒルマン 5 140 62 74 4 .456
北海道日本ハムファイターズ
2004年 ヒルマン 3 133 66 65 2 .504
2005年 5 146 62 71 3 .466
2006年 1 146 82 54 0 .603
2007年 1 144 79 60 5 .568
2008年 梨田昌孝 3 144 73 69 2 .514
2009年 1 144 82 60 2 .577
2010年 4 144 74 67 3 .525
2011年 2 144 72 65 7 .526
2012年 栗山英樹 1 144 74 59 11 .556
2013年 6 144 64 78 2 .451
2014年 5 144 73 68 3 .518
2015年 2 143 79 62 2 .560
2016年 1 143 87 53 3 .621
2017年 5 143 60 83 0 .420
2018年 5 143 74 66 3 .529
2019年 5 143 65 73 5 .471
2020年 5 120 53 62 5 .461
2021年 5 143 55 68 20 .447
2022年 BIGBOSS
新庄剛志
6 143 59 81 3 .421
2023年 6 143 60 82 1 .423
通算:78年 4827 5247 383 .479

順位

  • 日本一 - 3回
    (1962,2006,2016)
  • 優勝 - 7回(1962,1981,2006,2007,2009,2012,2016)
  • 最下位 - 9回
    (1968,1974,1975,1984,1994,2001,2013,
     2022,2023)

シーズン最高成績(チーム)

  • 最多勝利 - 87勝(2016)
  • 最高勝率 - .621(2016)
  • 最多本塁打 - 177本(2000)
  • 最高打率 - .281(2004)
  • 最高防御率 - 2.39(1961)

シーズン最低成績(チーム)

  • 最多敗北 - 89敗(1955)
  • 最低勝率 - .364(1955)
  • 最少本塁打 - 43本(1946)
  • 最低打率 - .218(1947)
  • 最低防御率 - 4.88(2003)

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関連項目

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  • カビー・ザ・ベアー
  • ポリーポラリス
  • フレップ・ザ・フォックス
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