堂林翔太とは、広島東洋カープに所属する、プリンスである。
背番号は13で右投右打。 三塁手と遊撃手を守る。
尾張のプリンスと言われた堂林翔太。
そんなプリンスの経緯を見ていこう。
|
||||||||||||||||||||||||||
西武の菊池雄星や、ソフトバンクの今宮健太、中日の岡田俊哉、
同じカープの今村猛や庄司隼人などと同じ世代。
3年夏ではエース兼4番として活躍し、中京大中京を引っ張っていった。
古豪といわれた中京大中京の復活を見せるかのように
打線、投手陣共に奮闘。
数々の強敵を倒し、そしてやってきた、決勝という舞台。
相手は新潟代表の日本文理。
この試合は打撃戦となり、この日先発のプリンスも4点とられたものの、
中京大中京も打線が爆発し10点をとり、誰しもが中京大中京の優勝で終わると思っていた・・・・。
しかし、日本文理が9回にドラマをつくる。
プリンスは2アウトまで追い込んだものの、日本文理打線の脅威の粘りによりプリンスが大苦戦。
粘られた末に打たれたり、四球を与えたり、ファールフライを味方が落球して、四球になったり・・・・。
と完全にボコボコにされ、プリンスは傷つき、降板。
ライトの守備につき、2番手投手に全てを託した。
しかし2番手投手も打たれ、6点差あった点差が1回で1点差にまで縮まり、
いよいよどちらが勝つのかわからなくなり、
観客、選手共々誰もが固唾を呑んで見守ったが
最後はサードライナーに終わり、試合終了。
苦しみながらも高校最後の夏は優勝と最高の形で終えることができた。
そして月日がたち・・・・。いよいよやってきたドラフト。
中日ファンも地元愛知のスラッガー、堂林翔太の指名を誰もが予想していたのだが、
広島東洋カープが2位に指名。 中日 堂林翔太の実現はならなかった。
※ちなみに、この年のカープのドラフト戦略は実に巧みで
1位にはこの年の高校BIG3で競合が予想されていたセンバツ優勝投手の今村猛だが単独指名となり、
カープファン歓喜。
2位に、夏の甲子園大会の優勝投手の堂林翔太を指名。カープファン歓喜。
4位には今宮健太との対決が印象的で、同じく甲子園を沸かせたイケメン庄司隼人を指名。カープファン歓喜。
他にも3位で指名され、評価の高かった投手の武内や、5位には左腕投手の伊東、6位には川口と堂林、庄司の内野手と今村、伊東の右、左投手をバランスよく獲得し
また、史上初の春夏優勝投手を同時に獲得。と、
カープファンにとっては100点満点のドラフトだったと言えよう。
そしてプリンス、堂林翔太の背番号はアレックス・ロドリゲスのような三塁手・遊撃手に育てる方針で
アレックス・ロドリゲスにちなんで13に決まった。
ルーキーイヤーの2010年は2軍で三塁のレギュラーとして起用され、チーム2位の7本塁打、32打点を叩き出したが、打率は.207 111三振とプロの壁にぶつかってしまった。
しかしその年のフレッシュオールスターではホームランを放つなど打撃では存在感を見せている。
ルーキーイヤーは今村猛、伊東昴大の同世代が早々に1軍デビューするものの、
堂林は野手転向から日が浅いため、打撃は成長を見せているものの守備がまだまだのようで、
Bクラスが確定していても、1軍昇格とはならなかった。
2011年、2年目もプロの壁にぶつかり、打率.208 1本塁打、23打点と不振に苦しみこの年も1軍出場なかったが、
フェニックスリーグでは長打の打球が少なかったものの、打率は.382と好成績を残し、シーズン苦しんでいたのが嘘のようにほとんどの試合でヒットを量産した。
2012年シーズン、野村謙二郎監督のマンツーマン英才教育により、東出・新井のルーキー時代のように使いながら育てていく方針で開幕1軍が決定。
開幕戦でエラーをしてしまうものの、その後は思い切りのよさを攻守に出していくように発破をかけられ、鋭い当たりでヒットを量産し、1軍初打点も記録。4月半ばの時点で一時は首位打者にまで躍り出るなどの活躍を見せた。
課題の守備も、時折ポロリとこぼすことはあるが、捕球から送球まで、綺麗な動作で処理しており、将来性を感じさせている。
そして、2012年4月24日、甲子園球場の阪神戦。高校時代に全国優勝を果たした思い出の地で、8回表1死、ここまで0封のメッセンジャーから外よりのスライダーをセンターバックスクリーン右へプロ入り第1号のソロ本塁打。これが決勝点となり、初のヒーローインタビューも受けた。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/09(火) 20:00
最終更新:2025/12/09(火) 20:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。