大塚晶則(おおつか あきのり)とは、信濃グランセローズに所属するプロ野球選手(投手)。
本名と2003年途中までの登録名は「大塚晶文」(読みは同じ)。
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1972年1月13日生まれ、千葉県千葉市出身。
横芝敬愛高校、東海大学、日本通運を経て、1996年のドラフト会議で近鉄バファローズに2位(逆指名)で指名され入団。野茂英雄の退団後空き番となっていた背番号11を希望して受け継ぐ。
1年目からセットアッパーとして52試合に登板、82回2/3を投げて127奪三振(奪三振率13.83)という野茂英雄ばりのペースで三振の山を築き、防御率も2.07と好成績を残す。2年目には赤堀元之に代わってクローザーに配置転換され、当時のパ・リーグ新記録となる35セーブを挙げて最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
その後も近鉄のクローザーとして活躍し、2001年は防御率4.02と不振であったものの26セーブを挙げ優勝に貢献。
2002年オフ、メジャー挑戦を目指してポスティングを利用するが、球団が手続きでミスをしていたせいもあってか入札無しに終わる。球団への不信感もあって自由契約を要求し、金銭トレードで中日ドラゴンズへと移籍。
2003年シーズン中に、登録名を「晶文」から「晶則」に変更。7月にエディ・ギャラードが退団したため代わって抑えを務め、51試合で17セーブを挙げた。オフ、再びポスティングを利用し、サンディエゴ・パドレスが入札して移籍。
パドレス1年目の2004年は途中からセットアッパーに定着、73試合に登板しリーグ最多の34ホールドを挙げ防御率1.75と大活躍した。翌2005年はビジターで8敗を喫するなど成績を落としたが、66試合で22ホールドを挙げチームの地区優勝に貢献。
2006年1月にトレードでテキサス・レンジャーズに移籍。第1回WBC代表に選ばれ、クローザーとしてWBCの胴上げ投手になった。シーズンではクローザーに抜擢され、63試合で32セーブ、防御率2.11と活躍する。
2007年、7月に右肘を痛め戦線離脱、そのままシーズンを終えFAとなると、ここから長い長い怪我との戦いが始まる。2008年にトミー・ジョン手術を受けたのを初め3度に渡って肘にメスを入れ、所属球団のないまま、しかし現役続行を目指してリハビリを続けた。一時は右投げを諦め、左投げへの転向にさえ挑んだという。
2013年、BCリーグの信濃グランセローズと契約合意。6年ぶりの現役復帰となる見込みである。
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最終更新:2025/12/08(月) 07:00
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