大隣憲司(おおとなり けんじ)とは、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。左投左打、背番号28。
|
近畿大学で「江夏2世」と呼ばれ、2006年大学・社会人ドラフト最大の目玉として争奪戦の結果、希望入団枠で福岡ソフトバンクホークスに入団。背番号は江夏と同じ28を与えられた。1年目から即戦力として期待されるが、腰痛などもあって8試合2勝4敗に終わる。太目の体型に「ピザ隣」「太隣」「ふとりん」「体型だけ江夏2世」とか揶揄されることに。
2年目の2008年は初登板で完投勝利を挙げると、ローテに定着しチーム最多の11勝を挙げるが、シーズン終盤に左肘の故障で戦線離脱、そのままシーズンを終える。この頃は右の斉藤和巳、新垣渚がすっかり見えなくなってしまったことで、杉内俊哉、和田毅ともに「左の三本柱」と呼ばれた。この年、北九州での横浜との交流戦で本塁打を放っている。前日にはガトームソンが本塁打を放っており、2試合連続でパの投手が本塁打という珍記録を作った。
2009年は前年手術した左肘の影響もあってか、8勝10敗、防御率4.59と安定感を欠く。2010年は開幕直後の好投した時期に援護が無く、交流戦あたりから調子を落とし二軍落ち。終盤戦で復調の兆しは見せたものの、4勝9敗、防御率4.31という成績に終わった。
2011年はローテ争いに敗れ、春先は一時期中継ぎとして起用されていた。7月14日の楽天戦でようやく初先発、勝ち星こそ付かなかったが、8回を1安打無失点に抑えローテ入りを果たす……はずだったが、次の登板機会を体調不良で逃してしまい、その間に大場翔太にローテを奪われてしまった。シーズンも差し迫った9月16日、抹消された杉内俊哉の代役で先発し、8回無失点でようやく初勝利。そこから杉内の復帰までの間ローテーションを任され、見事に先発3連勝を飾った。最終的に8試合の登板(うち先発4試合)に留まったが、3勝0敗、防御率1.99の数字をマーク。
2012年は開幕ローテ入りこそ逃すが、新外国人のブラッド・ペニーが1試合に投げただけでトンズラしたため、4月12日の日本ハム戦で先発し、3安打無四球11奪三振の完璧な内容で4年ぶりの完封勝利。その後はローテ入りして安定した投球を続け、前半戦で7勝を挙げオールスター初出場。なおオールスターに登板したのは神隣ではなくふとりんであった模様。8月には自己最多となる12勝目を挙げ防御率1位を吉川光夫と争い、沢村賞もあるかという活躍ぶりを見せた。しかし9月に入ってからは全く勝てなくなり、最終的には防御率1点台も逃す。それでも25試合に登板して12勝8敗、防御率2.03というキャリアハイの成績を残した。
元からポテンシャルはエース級であり、良いときは完璧な投球を見せ「神隣」と讃えられるが、悪いときは制球難で序盤からあっぷあっぷの投球になり、良いときと悪いときの差が大きすぎるのが最大の弱点。2008年は16被弾、2009年は19被弾、2010年も12被弾と一発病の傾向もある。日本ハムはお得意様だが、西武には滅法弱い。
持っている能力の高さへの期待の裏返しか、マウンド上で小久保裕紀にガチ説教されたり、秋山監督からも「うちの大隣クンはねえ……」と恐怖の「くん付け」をよく頂戴している。
2011年オフに入籍。嫁さんの勧めで食事管理とメンタルトレーニングに励んだ結果、2012年は左のエースと言っていい成績を残し、素晴らしい嫁さんを貰ったともっぱらの評判である。それまで長いこと期待を裏切ってきたこともあって、どれだけ好成績を残してもファンからはなかなか信用されず、「大隣は信用しないが大隣の嫁は信じる」とか言われている。
巨人の金刃憲人は大学時代のライバル。同僚の甲藤啓介は大学の1年先輩、巽真悟は2年後輩である。
ちなみに、その特殊な名字のせいか、カッスレなどの文字ネタスレでよくネタにされる。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 15:00
最終更新:2024/04/25(木) 15:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。