天皇の一覧 単語


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天皇の一覧とは、日本の歴代天皇125代123人(+7人)の一覧である。     は女帝。

神話時代

天皇
(読み)
在位 父母
1 神武天皇
(じんむ)
紀元前660年1月1日 - 紀元前585年3月11日
ウガヤフキアエズノミコト
タマヨリヒメ
初代天皇。ニニギノミコト曾孫、アマテラスオオミカミ(天照大御神)来孫とされる。実在疑問視。
2 綏靖天皇
(すいぜい)
紀元前581年1月8日 - 紀元前549年5月10日
神武天皇
ヒメタタライスズヒメ
『日本書紀』および『古事記』において事績が記されていない天皇である「欠史八代」。実在疑問視。
3 安寧天皇
(あんねい)
紀元前549年7月3日 - 紀元前511年12月6日 綏靖天皇
イスズヨリヒメ
欠史八代。実在疑問視。
4 懿徳天皇
(いとく)
紀元前510年2月4日 - 紀元前477年9月8日 安寧天皇
ヌナソコナカツヒメ
欠史八代。実在疑問視。
5 孝昭天皇
(こうしょう)
紀元前475年1月9日 - 紀元前393年8月5日 懿徳天皇
アマトヨツヒメノミコト
欠史八代。実在疑問視。
6 孝安天皇
(こうあん)
紀元前392年1月7日 - 紀元前291年1月9日 孝昭天皇
ヨソタラシヒメ
欠史八代。実在疑問視。
7 孝霊天皇
(こうれい)
紀元前290年1月12日 - 紀元前215年2月8日 孝安天皇
オシヒメ
欠史八代。実在疑問視。
8 孝元天皇
(こうげん)
紀元前214年1月14日 - 紀元前158年9月2日 孝霊天皇
クワシヒメ
欠史八代。実在疑問視。
9 開化天皇
(かいか)
紀元前158年11月12日 - 紀元前98年4月9日 孝元天皇
ウツシコメ
欠史八代。実在疑問視。
10 崇神天皇
(すじん)
紀元前97年1月13日 - 紀元前30年12月5日 開化天皇
イカガシコメ
実在可能性がある最初の天皇。昭和の「三王朝交替説」で「三輪王朝」の祖とされた。
11 垂仁天皇
(すいにん)
紀元前29年1月2日 - 紀元70年7月14日 崇神天皇
ミマキヒメ(ミマツヒメ)
実在疑問視。
12 景行天皇
(けいこう)
71年7月11日 - 130年11月7日 垂仁天皇
ヒバスヒメ
実在疑問視。日本武尊の父とされる。
13 成務天皇
(せいむ)
131年1月5日 - 190年6月11日 景行天皇
ヤサカイリヒメ
実在疑問視。
14 仲哀天皇
(ちゅうあい)
192年1月11日 - 200年2月6日 大和武尊 (ヤマトタケルノミコト)
 (父:景行天皇)
フタジノイリヒメノヒメミコ
 (父:垂仁天皇)
実在疑問視。

神功皇后摂政

天皇
(読み)
在位 父母
(15) 神功皇后
(じんぐうこうごう)
201年11月14日 - 269年6月3日 息長宿禰王
 (開化天皇の玄孫)
カツラギノタカヌカヒメ
オキナガタラシヒメノミコト(気長足姫尊・息長帯比売命)。明治時代以前は第15代の天皇として数えられていた。
実在は疑問視されているが、日本書紀の記述等から邪馬台国女王卑弥呼もしくは豊与(壱与)、あるいは
アマテラスオオミカミとの同一人物説がある。朝鮮半島へ出兵したと伝わる(三韓征伐)。

天皇
(読み)
在位 父母
15 応神天皇
(おうじん)
270年1月1日 - 310年2月15日 仲哀天皇
神功皇后
実在がほぼ確実視される最初の天皇。「倭の五王」の「讃」か。昭和の「三王朝交替説」で「河内王朝」の祖とされた。
16 仁徳天皇
(にんとく)
313年1月3日 - 399年1月16日 応神天皇
ナカツヒメ
大山古墳の被葬者とされる。「倭の五王」の「讃」あるいは「珍」か。
17 履中天皇
(りちゅう)
400年2月1日 - 405年3月15日 仁徳天皇
イワノヒメ
「倭の五王」の「讃」か。
18 反正天皇
(はんぜい)
406年1月2日 - 410年1月23日 仁徳天皇
イワノヒメ
「倭の五王」の「珍」か。
19 允恭天皇
(いんぎょう)
412年12月 - 453年1月14日 仁徳天皇
イワノヒメ
「倭の五王」の「済」か。
20 安康天皇
(あんこう)
453年12月14日 - 456年8月9日 允恭天皇
オシサカノオオナカツヒメ
記録上、暗殺された天皇の初例。「倭の五王」の「興」か。
21 雄略天皇
(ゆうりゃく)
456年11月13日 - 479年8月7日 允恭天皇
オシサカノオオナカツヒメ
稲荷山古墳出土鉄剣の「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」とされる。「倭の五王」の「武」か。
22 清寧天皇
(せいねい)
480年1月15日 - 484年1月16日 雄略天皇
カツラギノカラヒメ
子女無し。皇族の億計王・弘計王の兄弟を探し出し、皇位を継がせる。

「飯豊天皇」

天皇? 在位 父母
飯豊青皇女 484年1月 - 11月? 履中天皇
あるいは市辺押磐皇子
ハエヒメ (葛城氏)
あるいはクロヒメ (葦田氏)
イイトヨアオノヒメミコ。清寧天皇崩御から顕宗天皇即位までの間、執政(即位?)したといわれる。
『日本書紀』『古事記』では外れているが、『扶桑略記』などでは即位扱い。戦前までは「代数には含めないが
天皇の尊号を贈り奉る」。現在も宮内庁では「飯豊天皇」として祭祀しているという。

天皇
(読み)
在位 父母
23 顕宗天皇
(けんぞう)
485年1月1日 - 487年4月25日 市辺押磐皇子
 (父:履中天皇)
ハエヒメ (葛城氏)
弘計王。父の市辺押磐皇子は雄略天皇に殺され、兄の億計王とともに長年隠れ住む。兄の説得で、先に即位。
24 仁賢天皇
(にんけん)
488年1月5日 - 498年8月8日 市辺押磐皇子
 (父:履中天皇)
ハエヒメ (葛城氏)
億計王。弟の崩御により即位。
25 武烈天皇
(ぶれつ)
498年12月 - 506年12月8日 仁賢天皇
カスガノオオイラツメノヒメミコ
 (父:雄略天皇)
『日本書紀』では悪逆非道の暴君として描かれる(『古事記』には無し)。皇子女無く、仁徳天皇からの皇統断絶。

継体天皇から乙巳の変

天皇
(読み)
在位 父母
26 継体天皇
(けいたい)
507年2月4日 - 531年2月7日 彦主人王
 (応神天皇の来孫?)
振媛
 (垂仁天皇の7世孫?)
越前の「男大迹王」(おおどのおおきみ)。仁賢天皇皇女の手白香皇女を皇后とし、正統性を確保。
血統の特異性から新王朝の開祖とみなし、「万世一系」を否定する説が後を絶たない。
27 安閑天皇
(あんかん)
531年2月7日 - 535年12月17日 継体天皇
尾張目子媛
異母弟の欽明天皇と皇位継承を争ったという説がある。(辛亥の変?)
28 宣化天皇
(せんか)
535年12月 - 539年2月10日 継体天皇
尾張目子媛
異母弟の欽明天皇と皇位継承を争ったという説がある。(辛亥の変?)
29 欽明天皇
(きんめい)
539年12月5日 - 571年4月 継体天皇
手白香皇女
 (父:仁賢天皇)
「仏教公伝」時の天皇。「任那日本府」の滅亡。「辛亥の変」の有無によっては即位年が変わる。
30 敏達天皇
(びだつ)
572年4月3日 - 585年8月15日 欽明天皇
石姫皇女
 (父:宣化天皇)
二人目の皇后が額田部皇女(推古天皇)。
31 用明天皇
(ようめい)
585年9月5日 - 587年4月9日 欽明天皇
蘇我堅塩媛
 (父:大臣・蘇我稲目)
聖徳太子こと厩戸皇子の実父。
32 崇峻天皇
(すしゅん)
587年8月2日 - 592年11月3日 欽明天皇
蘇我小姉君
 (父:大臣・蘇我稲目)
蘇我馬子に擁立され、蘇我馬子に暗殺される。存在が確実で、暗殺された天皇の唯一の例。
33 推古天皇
(すいこ)
592年12月8日 - 628年3月7日 欽明天皇
蘇我堅塩媛
 (父:大臣・蘇我稲目)
神功皇后・飯豊青皇女を除けば、史上最初の女性天皇。これ以後の天皇の在位年月は確実とされる。
夫君は敏達天皇で皇子女無く、皇太子に厩戸皇子(聖徳太子)を擁立。冠位十二階。十七条憲法。遣隋使の派遣。
34 舒明天皇
(じょめい)
629年1月4日 - 641年10月9日 押坂彦人大兄皇子
 (父:敏達天皇)
糠手姫皇女
 (父:敏達天皇)
父母は異父兄妹の近親婚。皇后は宝姫王(皇極天皇)、側室に蘇我馬子の娘。最初の遣唐使派遣。
35 皇極天皇
(こうぎょく)
642年1月15日 - 645年6月14日 茅渟王
 (父:押坂彦人大兄皇子)
吉備姫王
舒明天皇の皇后。中大兄皇子・大海人皇子・間人皇女の母。乙巳の変で蘇我氏本宗家が滅亡。
軽皇子(孝徳天皇)に皇位を譲る(日本初の生前譲位とされる)が、孝徳崩御後に「斉明天皇」として再即位(重祚)。

大化改新から藤原京時代

天皇
(読み)
在位 父母
36 孝徳天皇
(こうとく)
645年6月14日 - 654年10月10日 茅渟王
 (父:押坂彦人大兄皇子)
吉備姫王
大化改新。難波京へ遷都。皇太子(甥)中大兄皇子と対立して憤死。子に、謀反の罪で処刑される有間皇子。
37 斉明天皇
(さいめい)
655年1月3日 - 661年7月24日 茅渟王
 (父:押坂彦人大兄皇子)
吉備姫王
皇極天皇の再即位(重祚)。阿倍比羅夫の蝦夷征伐。百済救援出兵(白村江の戦い)中に九州で崩御。
38 天智天皇
(てんち
/てんじ)
661年7月24日 - 671年12月3日 舒明天皇
皇極天皇 (斉明天皇)
大化改新の立役者・中大兄皇子。斉明帝崩御後、668年までは皇太子のまま執政(称制)。大津京へ遷都後に即位。
39 弘文天皇
(こうぶん)
671年12月5日 - 672年7月23日 天智天皇
伊賀宅子娘
大友皇子。江戸時代までは、即位を示す文献・学説は豊富だったものの、『日本書紀』が天智の次を天武と
していたため、公式には非即位と見做されていた。明治3年に至り「弘文天皇」の諡号を奉って、天皇に列した。
壬申の乱で敗死。
40 天武天皇
(てんむ)
673年2月27日 - 686年9月9日 舒明天皇
皇極天皇 (斉明天皇)
大海人皇子。壬申の乱に勝利して即位。八色の姓・飛鳥浄御原令を制定。『日本書紀』『古事記』の編纂開始。
「日本」の国号と「天皇」の称号を最初に使用した天皇とされる。子に高市皇子(太政大臣)・草壁皇子(皇太子)・
大津皇子・舎人親王(日本書紀編者)・十市皇女(弘文天皇妃)など。
41 持統天皇
(じとう)
686年9月9日 - 697年8月1日 天智天皇
蘇我遠智娘
 (父:右大臣・蘇我倉山田石川麻呂)
鸕野讚良皇女(うのさららひめみこ)。天武天皇の皇后。天武帝崩御後、草壁皇太子の後見として執政(称制)するが、
草壁急逝のため即位。藤原京の造営(694年遷都)。697年に文武天皇へ譲位し、初の太上天皇(上皇)を称する。
42 文武天皇
(もんむ)
697年8月1日 - 707年6月15日 草壁皇子
 (父:天武天皇 母:持統天皇)
阿部皇女 (元明天皇)
軽皇子。大宝律令の制定。「大宝」(701年)以後、元号制度が確立する。遣唐使を再開。
43 元明天皇
(げんめい)
707年7月17日 - 715年9月2日 天智天皇
蘇我姪娘
 (父:右大臣・蘇我倉山田石川麻呂)
草壁皇子の妃。文武天皇急逝・首皇子(聖武天皇)幼少のため、中継ぎとして即位。710年、平城京遷都。
日本最初の流通貨幣・和同開珎の発行。715年に元正天皇へ譲位(史上唯一の女帝から女帝への皇位継承)。

奈良時代

天皇
(読み)
在位 父母
44 元正天皇
(げんしょう)
715年9月2日 - 724年2月4日 草壁皇子
 (父:天武天皇 母:持統天皇)
阿部皇女 (元明天皇)
文武天皇の同父同母姉、氷高皇女。独身で即位した最初の女帝。首皇子幼少・政局不安のため「中継ぎの中継ぎ」
として即位。養老律令の編纂開始。「三世一身の法」を施行。724年、首皇子に譲位して上皇。
45 聖武天皇
(しょうむ)
724年2月4日 - 749年7月2日 文武天皇
藤原宮子
 (父:右大臣・藤原不比等)
首皇子(おびとのみこ)。天然痘の流行、長屋王の変、藤原広嗣の乱など社会動乱多発。「墾田永年私財法」を施行。
厭世観から仏教に傾倒。東大寺盧舎那仏を造営。749年、皇太子・阿倍内親王に譲位。史上初の男性の上皇。
46 孝謙天皇
(こうけん)
749年7月2日 - 758年8月1日 聖武天皇
光明皇后 藤原光明子
 (父:右大臣・藤原不比等)
阿倍内親王。聖武天皇の男子が全員早逝したため、史上唯一の女性の「皇太子」。藤原仲麻呂の奏請により、
道祖王から大炊王(淳仁天皇)に皇太子を変更。橘奈良麻呂の乱。787年、譲位して上皇。
47 淳仁天皇
(じゅんにん)

淡路廃帝
758年8月1日 - 764年10月9日 舎人親王
 (父:天武天皇)
当麻真人山背
大炊王。藤原仲麻呂の傀儡。孝謙上皇と仲麻呂の対立(恵美押勝の乱)に巻き込まれ、廃位。淡路国へ追放され、
長く「淡路廃帝」と称される。明治3年に至り「淳仁天皇」として天皇の列に復す。淡路での暗殺説あり。
48 称徳天皇
(しょうとく)
764年10月9日 - 770年8月4日 聖武天皇
光明皇后 藤原光明子
 (父:右大臣・藤原不比等)
孝謙天皇の再即位(重祚)。弓削道鏡を重用し、道鏡への譲位を図る(宇佐八幡神託事件)など政局混乱。
独身のため、天武天皇の直系血統は断絶。また、江戸時代の明正天皇に至るまで「最後の女帝」。
49 光仁天皇
(こうにん)
770年10月1日 - 781年4月3日 施基皇子
 (父:天智天皇)
紀橡姫 (き の とちひめ)
白壁王。称徳天皇の遺詔(偽造?)により皇位継承。継体天皇以後では、史上最高齢(62歳)の即位。道鏡を追放。
聖武天皇皇女の井上内親王(称徳天皇異母妹)を皇后・子の他戸親王を皇太子としていたが、呪詛疑惑により
廃位・追放。山部親王(桓武天皇)を新たに立太子。

平安時代(9世紀)

天皇
(読み)
在位 父母
50 桓武天皇
(かんむ)

柏原天皇
781年4月3日 - 806年3月17日 光仁天皇
高野新笠
 (百済・武寧王の10世孫?)
山部親王。井上内親王と他部親王の失脚により立太子され、光仁天皇の譲位を受け即位。はじめ784年に
長岡京へ遷都を試みるも、不祥事が相次ぎ断念。794年、改めて平安京へ遷都。坂上田村麻呂の蝦夷征伐。
第3皇子・葛原親王の子孫が臣籍降下して「平」姓を賜り、「桓武平氏」を称した。
51 平城天皇
(へいぜい)

奈良天皇
806年3月17日 - 809年4月1日 桓武天皇
藤原乙牟漏
 (父:内大臣・藤原良継)
安殿親王。病弱で、在位3年で弟の嵯峨天皇に譲位するが、寵妃の藤原薬子、その兄・仲成にそそのかされ、
旧都・平城京においてクーデターを起こす(薬子の乱)が失敗。出家して、平安京に連れ戻される。
52 嵯峨天皇
(さが)
809年4月1日 - 823年4月16日 桓武天皇
藤原乙牟漏
 (父:内大臣・藤原良継)
神野親王。はじめ平城天皇の子・高岳親王を皇太子に立てていたが、薬子の乱に連座して同親王も失脚し、
異母弟の大伴親王(淳和天皇)を皇太子とする。空海・橘逸勢とともに能書家たる「三筆」のひとりに数えられる。
23人の皇子がおり、うち17人を臣籍降下して「源」の姓を与えた。(嵯峨源氏。「源氏」のはじまり)
53 淳和天皇
(じゅんな)

西院天皇
823年4月16日 - 833年2月28日 桓武天皇
藤原旅子
 (父:式部卿・藤原百川)
大伴親王。即位に伴い、古代からの豪族「大伴氏」が「伴氏」に改姓した(天皇の御名と同じになるのを畏れたため)。
もともと臣籍降下を望んでいたが、薬子の乱による政局の混乱のため、平城系・嵯峨系ともにすぐには皇太子を
出し辛くなり、異母兄・嵯峨天皇によって立太子され、即位後に正良親王(嵯峨天皇皇子)を皇太子とした。
54 仁明天皇
(にんみょう)

深草天皇
833年2月28日 - 850年3月21日 嵯峨天皇
檀林皇后 橘嘉智子
 (祖父:橘奈良麻呂)
正良親王。淳和天皇の皇子・恒貞親王を皇太子に立てていたが、淳和上皇・嵯峨上皇の崩御後に「承和の変」が
起こり、恒貞皇太子は失脚。藤原順子との子・道康親王が皇太子となり、順子の兄・藤原良房が大納言となって
政権を握った
55 文徳天皇
(もんとく)

田邑天皇
850年3月21日 - 858年8月27日 仁明天皇
藤原順子
 (父:左大臣・藤原冬嗣)
道康親王。承和の変の結果、恒貞親王に代わって皇太子となり、仁明天皇の譲位を受け即位。寵愛する紀静子との
皇子・惟喬親王への皇位継承を望んだが、実力者・藤原良房の圧力により、良房の孫に当たる惟仁親王を
皇太子とすることを余儀なくされる。
56 清和天皇
(せいわ)

水尾天皇
858年11月7日 - 876年11月29日 文徳天皇
藤原明子
 (父:摂政太政大臣・藤原良房)
惟仁親王。わずか9歳で即位したため、外祖父の藤原良房が実権を握る。「応天門炎上事件」によって伴氏(大伴氏)
は完全に没落し、良房が人臣としては初の摂政に就任して藤原氏の圧倒的優位が決定的となった。
第6皇子・貞順親王の子、経基王が臣籍降下して源氏を賜り、武家源氏の本流「清和源氏」を称した。
57 陽成天皇
(ようぜい)
876年11月29日 - 884年2月4日 清和天皇
藤原高子
 (父:権中納言・藤原長良)
貞明親王。生後3カ月で立太子、9歳で譲位を受け即位。清和上皇崩御後、母・高子と摂政・藤原基経の対立がおき、
宮中の不祥事もあって強制的に譲位させられる。廃位を正当化するためか、暴君説がある。一時臣籍降下していた
宇多天皇のことを「あれは自分の臣下ではないか」と言ったという。上皇在位62年は歴代一位。
58 光孝天皇
(こうこう)

小松天皇
884年2月5日 - 887年8月26日 仁明天皇
藤原沢子
 (父:紀伊守・藤原総継)
時康親王。仁明天皇の第3皇子で皇位継承からは遠いと見られていたが、陽成天皇をめぐる政局の結果、藤原基経
に擁立されて55歳で即位。
59 宇多天皇
(うだ)
887年8月26日 - 897年7月3日 光孝天皇
班子女王
 (祖父:桓武天皇)
光孝天皇の第7皇子で、一時源氏として臣籍降下していた「源定省(さだみ)」。光孝天皇崩御にあたり、藤原基経の
強硬論で皇籍復帰して即位。基経の関白就任にあたって「阿衡事件」が起きる。藤原氏の勢力に対抗するため、
菅原道真を重用。894年、遣唐使を廃止する。

平安時代(10世紀)

天皇
(読み)
在位 父母
60 醍醐天皇
(だいご)
897年7月3日 - 930年9月22日 宇多天皇
藤原胤子
 (父:内大臣・藤原高藤)
(作成中)
61 朱雀天皇
(すざく)
930年9月22日 - 946年4月20日 醍醐天皇
藤原穏子
 (父:関白太政大臣・藤原基経)
(作成中)
62 村上天皇
(むらかみ)
946年4月20日 - 967年5月25日 醍醐天皇
藤原穏子
 (父:関白太政大臣・藤原基経)
(作成中)
63 冷泉天皇
(れいぜい)
967年5月25日 - 969年8月13日 村上天皇
藤原安子
 (父:右大臣・藤原師輔)
(作成中)
64 円融天皇
(えんゆう)
969年8月13日 - 984年8月27日 村上天皇
藤原安子
 (父:右大臣・藤原師輔)
(作成中)
65 花山天皇
(かざん)
984年8月27日 - 986年6月23日 冷泉天皇
藤原懐子
 (父:摂政太政大臣・藤原伊尹)
(作成中)
66 一条天皇
(いちじょう)
986年6月23日 - 1011年6月13日 円融天皇
東三条院 藤原詮子
 (父:摂政太政大臣・藤原兼家)
(作成中)

平安時代(11世紀)

天皇
(読み)
在位 父母
67 三条天皇
(さんじょう)
1011年6月13日 - 1016年1月29日 花山天皇
藤原超子
 (父:摂政太政大臣・藤原兼家)
(作成中)
68 後一条天皇
(ごいちじょう)
1016年1月29日 - 1036年4月17日 一条天皇
上東門院 藤原彰子
 (父:摂政左大臣・藤原道長)
(作成中)
69 後朱雀天皇
(ごすざく)
1036年4月17日 - 1045年1月16日 一条天皇
上東門院 藤原彰子
 (父:摂政左大臣・藤原道長)
(作成中)
70 後冷泉天皇
(ごれいぜい)
1045年1月16日 - 1068年4月19日 後朱雀天皇
藤原嬉子
 (父:摂政左大臣・藤原道長)
(作成中)
71 後三条天皇
(ごさんじょう)
1068年4月19日 - 1072年12月8日 後朱雀天皇
陽明門院 禎子内親王
 (父:三条天皇)
(作成中)
72 白河天皇
(しらかわ)
1072年12月8日 - 1086年11月26日 後三条天皇
藤原茂子
 (父:権中納言・藤原公成)
(作成中)
73 堀河天皇
(ほりかわ)
1086年11月26日 - 1107年7月19日 白河天皇
藤原賢子
 (父:右大臣・源顕房)
 (義父:関白太政大臣・藤原師実)
(作成中)

平安時代(12世紀)

天皇
(読み)
在位 父母
74 鳥羽天皇
(とば)
1107年7月19日 - 1123年1月28日 堀河天皇
藤原苡子
 (父:大納言・藤原実季)
(作成中)
75 崇徳天皇
(すとく)
1123年1月28日 - 1141年12月7日 鳥羽天皇 (※白河法皇?)
待賢門院 藤原璋子
 (父:権大納言・藤原公実)
(作成中)
76 近衛天皇
(このえ)
1141年12月7日 - 1155年7月23日 鳥羽天皇
美福門院 藤原得子
 (父:権中納言・藤原長実)
(作成中)
77 後白河天皇
(ごしらかわ)
1155年7月24日 - 1158年8月11日 鳥羽天皇
待賢門院 藤原璋子
 (父:権大納言・藤原公実)
(作成中)
78 二条天皇
(にじょう)
1158年8月11日 - 1165年6月25日 後白河天皇
源懿子
 (父:大納言・藤原経実)
 (義父:左大臣・源有仁)
(作成中)
79 六条天皇
(ろくじょう)
1165年6月25日 - 1168年2月19日 二条天皇
伊岐致遠の娘
(作成中)
80 高倉天皇
(たかくら)
1168年2月19日 - 1180年2月21日 後白河天皇
建春門院 平滋子
 (義兄:太政大臣・平清盛)
(作成中)
81 安徳天皇
(あんとく)
1180年2月21日 - 1185年3月24日 高倉天皇
建礼門院 平徳子
 (父:太政大臣・平清盛)
(作成中)
82 後鳥羽天皇
(ごとば)
1183年8月20日 - 1198年1月11日 高倉天皇
七条院 坊門殖子
 (父:修理大夫・坊門信隆)
(作成中)

鎌倉時代

天皇
(読み)
在位 父母
83 土御門天皇
(つちみかど)
1198年1月11日 - 1210年11月25日 後鳥羽天皇
承明門院 源在子
 (義父:内大臣・土御門通親)
(作成中)
84 順徳天皇
(じゅんとく)
1210年11月25日 - 1221年4月20日 後鳥羽天皇
修明門院 高倉重子
 (父:式部権少輔・藤原範季)
 (母方祖父:権中納言・平教盛)
(作成中)
85 仲恭天皇
(ちゅうきょう)
1221年4月20日 - 1221年7月9日 順徳天皇
東一条院 九条立子
 (父:摂政太政大臣・九条良経)
(作成中)
86 後堀河天皇
(ごほりかわ)
1221年7月9日 - 1232年10月4日 守貞親王 (後高倉院)
 (父:高倉天皇 母:七条院殖子)
北白川院 持明院陳子
 (父:権中納言・持明院基家)
 (母方祖父:大納言・平頼盛)
(作成中)
87 四条天皇
(しじょう)
1232年10月4日 - 1242年1月9日 後堀河天皇
藻壁門院 九条竴子
 (父:関白左大臣・九条道家)
(作成中)
88 後嵯峨天皇
(ごさが)
1242年1月20日 - 1246年1月29日 土御門天皇
源通子
 (父:左近衛中将・源通宗)
(作成中)
89 後深草天皇
(ごふかくさ)
1246年1月29日 - 1259年11月26日 後嵯峨天皇
大宮院 西園寺姞子
 (父:太政大臣・西園寺実氏)
(作成中)
90 亀山天皇
(かめやま)
1259年11月26日 - 1274年1月26日 後嵯峨天皇
大宮院 西園寺姞子
 (父:太政大臣・西園寺実氏)
(作成中)
91 後宇多天皇
(ごうだ)
1274年1月26日 - 1287年10月21日 亀山天皇
京極院 洞院佶子
 (父:左大臣・洞院実雄)
(作成中)
92 伏見天皇
(ふしみ)
1287年10月21日 - 1298年7月22日 後深草天皇
玄輝門院 洞院愔子
 (父:左大臣・洞院実雄)
(作成中)
93 後伏見天皇
(ごふしみ)
1298年7月22日 - 1301年1月22日 伏見天皇
五辻経子
 (父:左近衛中将・五辻経氏)
(作成中)
94 後二条天皇
(ごにじょう)
1301年1月22日 - 1308年8月25日 後宇多天皇
西華門院 堀川基子
 (父:内大臣・堀川具守)
(作成中)
95 花園天皇
(はなぞの)
1308年8月26日 - 1318年2月26日 伏見天皇
顕親門院 洞院季子
 (父:左大臣・洞院実雄)
(作成中)

南北朝時代

南朝

天皇
(読み)
在位 父母
96

南1
後醍醐天皇
(ごだいご)
1318年2月26日 - 1339年8月15日 後宇多天皇
談天門院 五辻忠子
 (父:参議・五辻忠継)
 (義父:内大臣・花山院師継)
(作成中)
97

南2
後村上天皇
(ごむらかみ)
1339年8月15日 - 1368年3月11日 後醍醐天皇
新待賢門院 阿野廉子
 (父:右近衛中将・阿野公廉)
(作成中)
98

南3
長慶天皇
(ちょうけい)
1368年3月11日 - 1383年10月 後村上天皇
嘉喜門院 (藤原勝子?)
 (父:関白左大臣・近衛経忠?)
(作成中)
99

南4
後亀山天皇
(ごかめやま)
1383年10月 - 1392年10月5日 後村上天皇
嘉喜門院 (藤原勝子?)
 (父:関白左大臣・近衛経忠?)
(作成中)

北朝

天皇
(読み)
在位 父母
北1 光厳天皇
(こうごん)
1331年9月20日 - 1333年5月25日 後伏見天皇
広義門院 西園寺寧子
 (父:左大臣・西園寺公衡)
(作成中)
北2 光明天皇
(こうみょう)
1336年8月15日 - 1348年10月27日 後伏見天皇
広義門院 西園寺寧子
 (父:左大臣・西園寺公衡)
(作成中)
北3 崇光天皇
(すこう)
1348年10月27日 - 1351年11月7日 光厳天皇
陽禄門院 正親町三条秀子
 (父:内大臣・正親町三条公秀)
(作成中)
北4 後光厳天皇
(ごこうごん)
1352年8月17日 - 1371年3月23日 光厳天皇
陽禄門院 正親町三条秀子
 (父:内大臣・正親町三条公秀)
(作成中)
北5 後円融天皇
(ごえんゆう)
1371年3月23日 - 1382年4月11日 後光厳天皇
崇賢門院 広橋仲子
 (義父:左大臣・広橋兼綱)
(作成中)

室町時代

天皇
(読み)
在位 父母
100

北6
後小松天皇
(ごこまつ)
1392年10月5日 - 1412年8月29日
(※北朝在位は1382年4月11日から)
後円融天皇
通陽門院 三条厳子
 (父:内大臣・三条公忠)
(作成中)
101 称光天皇
(しょうこう)
1412年8月29日 - 1428年7月20日 後小松天皇
光範門院 日野資子
 (父:権大納言・日野資教)
(作成中)
102 後花園天皇
(ごはなぞの)
1428年7月28日 - 1464年7月19日 伏見宮貞成親王 (後崇光院)
 (祖父:崇光天皇)
敷政門院 庭田幸子
 (父:右近衛少将・庭田経有)
(作成中)
103 後土御門天皇
(ごつちみかど)
1464年7月19日 - 1500年9月28日 後花園天皇
嘉楽門院 大炊御門信子
 (義父:内大臣・大炊御門信宗)
(作成中)

戦国・織豊時代

天皇
(読み)
在位 父母
104 後柏原天皇
(ごかしわばら)
1500年10月25日 - 1526年4月7日 後土御門天皇
蒼玉門院 庭田朝子
 (父:権大納言・庭田長賢)
(作成中)
105 後奈良天皇
(ごなら)
1526年4月29日 - 1557年9月5日 後柏原天皇
豊楽門院 勧修寺藤子
 (父:権大納言・勧修寺教秀)
(作成中)
106 正親町天皇
(おおぎまち)
1557年10月27日 - 1586年11月7日 後奈良天皇
吉徳門院 万里小路栄子
 (父:参議・万里小路賢房)
(作成中)
107 後陽成天皇
(ごようぜい)
1586年11月7日 - 1611年3月27日 誠仁親王 (陽光院)
 (父:正親町天皇)
新上東門院 勧修寺晴子
 (父:権大納言・勧修寺晴秀)
(作成中)

江戸時代

天皇
(読み)
在位 父母
108 後水尾天皇
(ごみずのお)
1611年3月27日 - 1629年11月8日 後陽成天皇
中和門院 近衛前子
 (父:関白左大臣・近衛前久)
 (義父:関白太政大臣・豊臣秀吉)
(作成中)
109 明正天皇
(めいしょう)
1629年11月8日 - 1643年10月3日 後水尾天皇
東福門院 徳川和子
 (父:征夷大将軍・徳川秀忠)
(作成中)
110 後光明天皇
(ごこうみょう)
1643年10月3日 - 1654年9月20日 後水尾天皇
壬生院 園光子
 (父:権大納言・園基任)
(作成中)
111 後西天皇
(ごさい)
1654年11月28日 - 1663年1月26日 後水尾天皇
逢春門院 櫛筍隆子
 (父:左近衛中将・櫛笥隆致)
(作成中)
112 霊元天皇
(れいげん)
1663年1月26日 - 1687年3月21日 後水尾天皇
新広義門院 園国子
 (父:権大納言・園基音)
(作成中)
113 東山天皇
(ひがしやま)
1687年3月21日 - 1709年6月21日 霊元天皇
敬法門院 松木宗子
 (父:内大臣・松木宗条)
(作成中)
114 中御門天皇
(なかみかど)
1709年6月21日 - 1735年3月21日 東山天皇
新崇賢門院 櫛筍賀子
 (父:内大臣・櫛筍隆賀)
(作成中)
115 桜町天皇
(さくらまち)
1735年3月21日 - 1747年5月2日 中御門天皇
新中和門院 近衛尚子
 (父:摂政太政大臣・近衛家熈)
(作成中)
116 桃園天皇
(ももぞの)
1747年5月2日 - 1762年7月12日 桜町天皇
開明門院 姉小路定子
 (父:参議・姉小路実武)
(作成中)
117 後桜町天皇
(ごさくらまち)
1762年7月27日 - 1770年11月24日 桜町天皇
青綺門院 二条舎子
 (父:関白左大臣・二条吉忠)
(作成中)
118 後桃園天皇
(ごももぞの)
1770年11月24日 - 1779年11月9日 桃園天皇
恭礼門院 一条富子
 (父:関白左大臣・一条兼香)
(作成中)
119 光格天皇
(こうかく)
1779年11月25日 - 1817年3月22日 閑院宮典仁親王 (慶光天皇)
 (祖父:東山天皇)
大江磐与
 (鳥取の医者・岩室宗賢の娘)
(作成中)
120 仁孝天皇
(にんこう)
1817年3月22日 - 1846年2月6日 光格天皇
東京極院 勧修寺婧子
 (父:権大納言・勧修寺経逸)
(作成中)
121 孝明天皇
(こうめい)
1846年2月13日 - 1866年12月25日 仁孝天皇
新待賢門院 正親町雅子
 (父:権大納言・正親町実光)
(作成中)

近現代

天皇
(読み)
在位 父母
122 明治天皇
(めいじ)
1867年1月9日 - 1912年7月30日 孝明天皇
一位局 中山慶子
 (父:権大納言・中山忠能)
(作成中)
123 大正天皇
(たいしょう)
1912年7月30日 - 1926年12月25日 明治天皇
二位局 柳原愛子
 (父:議奏・柳原光愛)
(作成中)
124 昭和天皇
(しょうわ)
1926年12月25日 - 1989年1月7日 大正天皇
貞明皇后 九条節子
 (父:公爵・九条道孝)
(作成中)
125 今上天皇 1989年1月7日 - (在位) 昭和天皇
香淳皇后 久邇宮良子
 (父:久邇宮邦彦王)
(作成中)

関連項目

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