太鼓鐘貞宗(刀剣乱舞)とは、ニトロプラスがシナリオ・キャラクターデザインを手掛けるブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」に登場する短刀の刀剣男士である。
相州貞宗の作で、長く伊達家に在った短刀。
伊達者という言葉が今に残るだけあって、派手好きでお洒落を尊ぶ性質をこの太鼓鐘貞宗も受け継いでいる。燭台切光忠とは「みっちゃん」「さだちゃん」と呼び合う仲。
ゲーム初期から燭台切光忠と大倶利伽羅の台詞にて存在が示唆されていた刀剣男士。
2015年8月発売の刀剣乱舞絢爛図録でも燭台切光忠と大倶利伽羅の設定文の項目にて名が出されており、ユーザー間では長らく実装が期待されていた。
2016年6月22日の公式Twitterにて正式に実装が発表され、翌日6月23日のメンテナンスで実装。
7-2「江戸・白金台」ステージのボスマスで稀にドロップとなった。7-2は難関マップとなっており、実装を待っていた人が多かったのも相まって難民が多い存在。「さだちゃんはこっちに来てる?」
ドロップ台詞が2種あり、初ドロップ時は「待たせたなぁー皆の衆! へへへ。なーんてね。俺が、噂の貞ちゃんだ!」となっている。ゲームリリースから太鼓鐘貞宗実装までは1年6ヶ月もお預けされていため、この台詞を聞いて感慨もひとしおの審神者も居ることだろう。
2度目以降のドロップでは「俺は、太鼓鐘貞宗!ド派手に暴れようぜぇ!」の台詞となる。
外見は、羽根飾りを付けたセミロングの黒髪に金眼の少年。洒落た白い洋装に空色のマントを羽織っている。ベルトを装着したふとももがまぶしい。スリスリしたい。
活発そうな立ち絵の通り、性格は快活で男前な伊達男。派手好きでお洒落に気を遣う。万屋では主である審神者に無駄遣いしないよう窘めたり、しっかりしたところもある。燭台切光忠とは昔は一緒に組んでいたらしく、対になっている台詞も多い。畑当番終了時には同じように料理について言及するので相方同様に料理は得手なのかもしれない。農作の造詣もあるようだ。
細川家に所有されていた刀剣と伊達家に所有されていた刀剣による7面ステージの回想イベント『九曜と竹雀のえにし 協力・続』では燭台切光忠や小夜左文字と共に活躍する機会がある。
史実では長く一緒だった大倶利伽羅とは共に関ケ原に出陣すると回想が発生する。
伊達家の繋がりのある燭台切光忠・大倶利伽羅・鶴丸国永は畑当番に組み合わせると特殊会話が発生する。それぞれとも気の知れた間柄な様子が見られる。
無銘ながら相州貞宗の作とされ、貞宗の短刀でも最も小振りと言われる名物。刃長8寸2分。中心うぶ、目釘孔4個。うち2つは埋める。彫り物は差表が棒樋のなかに浮き剣、差裏が棒樋のなかに浮き宝棒。
号の由来は「埋忠押形」によると堺の町人「太鼓鐘(たいこかね)」が持っていたためとされる。だが享保名物帳では太鼓鐘の家から出たのかもしれない、と推測の書き方。刀帳で名前の由来をぼかしているのはこのため?
駿府御分物帳には上々御脇差の項に記載されている。この頃は毛利秀包所持とされる。
元和3年(1617年)卯月4日に紀州徳川家頼宣が将軍秀忠に献上。同年12月13日、将軍秀忠の養女振姫(孝勝院、池田輝政の娘。母は徳川家康の次女督姫)が伊達忠宗に輿入れする際、秀忠より伊達忠宗に下賜されたという。伊達家では「太鼓馨」とも書く。
元禄9年(1696年)正月28日、4代藩主綱村の養子吉村が将軍お目見えの時、綱村より譲られている。
5代吉村は享保5年(1720年)これを嫡嗣勝千代丸(6代宗村)に与えた。
以降、伊達家の蔵刀として代々相伝し、仙台藩伊達家に伝わる。
明治16年に仙台から東京の伊達邸に移す。昭和4年(1929年)3月の日本名宝展覧会では伊達興宗伯爵所持。
昭和のはじめに重要美術品指定。伊達興宗伯爵所持。昭和13年(1938年)旧国宝指定。現在重要文化財。
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最終更新:2025/12/08(月) 04:00
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