小林宏之(こばやし ひろゆき)とは、埼玉県出身のプロ野球選手(投手)である。現在は埼玉西武ライオンズ所属。
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1996年のドラフト4位で、春日部共栄高校から千葉ロッテマリーンズに入団。小林雅英に繋ぐセットアッパーとして頭角を現し、2003年途中から先発に転向する。
通称「ロリ様」「コバロリ」。由来は04年開幕前、25歳にして18歳の嫁を貰ったことから。さらには「交際期間6年だった」と2ちゃんねるなどで根も葉もないことを書かれ、完全にロリコン扱いに。
九頭身のモデル体型のイケメンで年収1億超え、おまけに幼妻ゲットという人生の勝利者である。
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05~07年に3年連続2桁勝利を挙げ、清水直行の不振もあってエースと呼ばれることが多くなっていたが、08年は足の痙攣などの影響か不調が続き、5勝12敗と散々な成績でエースの座を奪い損ねた。09年もチームの不調に引きずられるように黒星を積み重ね、4勝13敗と復活できずに終わった。
来る2010年は登録名を「小林宏」にし、西村監督の意向で先発からクローザーへ転向。終盤は不調もあって、チームがCS進出を決めた最終戦ではクローザーを伊藤義弘に奪われてしまったりもしたが、最終的に57試合(3勝3敗)29セーブをマーク。セーブ数では、シコ―スキー(西武)、馬原(ソフトバンク)に次ぐ3位と結果を残し、チームとして3年ぶりのクライマックスシリーズ進出(3位)に貢献した。
クライマックスシリーズでは、ファーストステージの西武、ファイナルステージのソフトバンク相手に危なげない投球を披露し制覇する。しかし中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、優勝のかかる第7戦で1点差の9回に登板。和田一浩に三塁打、トニ・ブランコの犠牲フライであっさり同点とされてしまう。その後ロッテが勝ち越し、日本一となった。
前々からメジャー志望を公言しており、2010年オフにメジャー移籍を目指してFA宣言。しかし右のリリーフはメジャーでは足りていると言われ、オファーはいずれもマイナー契約だった。2011年1月、メジャー移籍を断念し、かねてから獲得に動くことを表明していた阪神タイガースに移籍することで合意した。
阪神移籍1年目の2011年は、藤川球児へと繋ぐセットアッパーとして期待され起用されたが、前半戦だけで実に6回の救援失敗で4敗を喫する不振で、ファンの期待を大いに裏切る結果となってしまった。不振の原因は捕手の城島健司が決め球のフォークを捕球できないせいと言われ、藤井彰人と組むようになってから一時成績が上向いたものの、8月末に二軍降格、シーズン終盤に復帰したがチームもCS進出を逃す。42試合で1勝5敗21ホールド、防御率3.00という成績に終わった。
2012年は先発再転向を目論んだが、オープン戦から結果を残せず開幕二軍スタートとなると、そのまま二軍で塩漬け状態が続いた。株主総会では故障の城島健司とともに名指しで「不良債権」と批判され、二軍でも満足のいく結果が出せず、結局一軍復帰のならないまま9月に来季の戦力構想から外れていることが明らかになり、阪神を退団することになった。
11月の古巣・ロッテの秋季キャンプで入団テストを受ける。しかし投球練習では直球がMAX130キロ台だったこともあり伊東監督と斉藤投手コーチが酷評、入団に難色を示された。「追試」として紅白戦で先発するも、一軍出場がほとんどない8年目の青松敬鎔に3ランを打たれたりするなど大松の併殺打があったにもかかわらず2回6被安打失点5と散々打ち込まれ、あえなく不合格となった。
2013年1月31日、ロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約で合意。3年越しのメジャー挑戦となった。だが、招待選手としてスプリングトレーニングに参加したものの、結果を残せず、3月4日に早々と解雇されてしまった。
その後、8月にプロ野球独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団。
7試合に登板、2勝1敗防御率3.14とそこそこの成績を残したがシーズン終了後自由契約となり退団。
その後プロ野球12球団合同トライアウトに参加したが、獲得に動いた球団は無かった。
2014年2月、信濃グランセローズに選手兼任投手コーチとして入団した。信濃入団後は、セットアッパーとして26試合に登板。2勝1敗、防御率1.26の成績を残す。
7月21日に埼玉西武ライオンズが獲得を発表し、2年ぶりにNPBへ復帰することになった。
(2012年終了時点)
通算:12年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 370 | 22 | 4 | 75 | 74 | 29 | 28 | .503 | 1286.0 | 350 | 1125 | 548 | 504 | 3.53 | 1.24 |
(2013年終了時点)
通算:1年 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
BCリーグ | 7 | 2 | 1 | 0 | .667 | 28.2 | 3 | 25 | 13 | 10 | 3.14 | 1.17 |
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最終更新:2024/04/19(金) 19:00
最終更新:2024/04/19(金) 19:00
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