市村正親(1949年1月28日~)とは、日本の男優、舞台俳優である。妻は女優の篠原涼子。
高い演技力と鋭く伸びるような声で長らく劇団四季にて看板俳優となる。同劇団を退団後も舞台、テレビ、映画等で活躍を続けている。
一人っ子で共稼ぎの家庭に育ったため、一人で遊んだりすることが多く、寂しさを感じるのが嫌で人がいる時は皆を喜ばせようとしていた経験が役者としての原点である気がするとの事。
大学卒業後、西村晃の付き人を3年間つとめ、1973年に劇団四季のオーディションを受けて合格し、イエス・キリスト=スーパースターのヘロデ役でデビュー。ちなみに同作品では鹿賀丈史が主役のジーザス・クライストでデビューしており、のちに舞台で度々共演することになる。
その後もオペラ座の怪人で主演を務めるなど、劇団四季の看板俳優として活躍し、84年には同劇団の女優と結婚。
89年には紅白歌合戦にも出演している。しかし90年に劇団四季を退団する。
退団後も多くの舞台やテレビにて活動し、2003年に最初の妻と離婚するも、2005年には篠原涼子と結婚し「25歳差婚」で話題を呼んだ。
最も、ニコニコにおいては「ミュウツーの声優」と書いた方がわかる人が多いだろう。
ただ「ミュウツーの逆襲」で脚本を担当した首藤剛志によれば、市村を推薦したのは総監督であり、スタッフやプロデューサーらはすでに舞台等の場で活躍していた市村のことを全く知らず、プロデューサーの一人がどこぞのバーだかクラブだかで女性から市村を知らないことを笑われたなんて話があるほどで、首藤は「アニメやドラマやアイドル系にしか視界がない」と暗にプロデューサーを皮肉っている。
市村が推薦された理由については
おそらく氏がロイド・ウェバーのミュージカル「オペラ座の怪人」の日本版の主役だったからである。
この総監督との作品で『魔法のプリンセス ミンキーモモ』があるが、この作品、色々なミュージカルをかなり意識していた。
当然、日本の舞台ミュージカルも総監督の視野に入っていただろう。
そして、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の優秀なスタッフの1人に、「オペラ座の怪人」のリピーターがいて、『ポケモン』に市村氏が出る事をずいぶん喜んでいたと、総監督から聞いた覚えがある。
「オペラ座の怪人」の内容をここで述べるのは冗長になるので避けるが、主人公の才能がありながらも暗く屈折した人物像は、たしかに『ミュウツーの逆襲』のミュウツーと同質のものかもしれない。
と書かれている。
ちなみに「ミュウツーの逆襲」の台本を渡された際、市村は首藤にあくまでフランクに「オペラ座まんまじゃん」言っている。
首藤によれば開幕から「ここはどこだ?私はなんだ?」と悩むミュウツーの言葉は「自分の人生を作っていく子供たちに聞いてもらいたいセリフだ。だが、そのセリフは、聞いた人の人生を左右するような深さで響いてほしかった。」と書いており、有象無象の声優や芸能人でなく、多くの舞台で観客の心に響かせるような演技が出来る市村はまさに適役だったと言える。
また市村にとってもミュウツーはお気に入りらしく、ミュウツーの刺繍を施した自作のシャツを着てアフレコにやってきたりしていたらしい。のちに作られた「ポケットモンスター ミュウツー! 我ハココニ在リ」でも特別出演として再演している。
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最終更新:2024/04/25(木) 07:00
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