「おう! 行くぜ、抜錨だ!」
摩耶(まや)とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する艦娘である。
モデルは大日本帝国海軍高雄型重巡洋艦の3番艦「摩耶」。
1928年に起工し、1932年に竣工した高雄型3番艦の重巡洋艦。艦名は現在の兵庫県神戸市灘区にある摩耶山に由来するが、これは川崎造船所の神戸工場で建造が行われたため。ただし母港は横須賀。
南方での作戦と縁深い艦であり、アリューシャン列島での任務に携わった数ヶ月(1942年5~6月、1943年2~8月)を除いて、海南島、 マレー、フィリピン、オランダ領東インド(現インドネシア)、ソロモン諸島、ニューギニア、マリアナと、南方各地を目まぐるしく駆け巡り、戦い続けた軍艦である。
この艦にとって転機となったのは、1943年10月~11月にかけてのラバウル空襲後に施された改装。この空襲で一時は艦そのものの放棄まで検討されるほどのダメージを受けた摩耶は、翌12月に母港の横須賀に帰投し、修理の傍ら、一部主砲を撤去する替わりに高射角砲並びに機銃台の大幅な増強改装を受けた。
これにより対空能力が大幅に向上し、性能の特化が見られた摩耶は、1944年6月のマリアナ沖海戦に前衛部隊の一員として参加。結果的には敗北したが、摩耶は轟沈することなく横須賀に帰投することに成功し、その後の改装でより一層の対空能力の強化が図られている。
しかしこの頃になると、既に戦争の趨勢は決したも同然の様相を呈しており、同年10月のレイテ沖海戦に参加するものの、米軍の潜水艦「デイス」の猛烈な雷撃を受け、摩耶は急激な大傾斜の後わずか8分間で轟沈。この雷撃で東郷良一少尉(東郷平八郎の孫)や大江覧治大佐(摩耶艦長)を含む乗員の3割が戦死し、残りは駆逐艦「秋霜」による救助を経て戦艦「武蔵」に移乗。対空性能に優れた摩耶での経験を生かし、引き続き武蔵での対空射撃に従事したが、圧倒的な不利を覆すことは出来ず、やがて武蔵も米軍艦載機によって航行不能となる致命的な打撃を受けてしまう。結局、摩耶乗員の多くは駆逐艦「島風」への移乗を経て、辛くも戦域から離脱することとなった。
ちなみにレイテ沖海戦には姉妹艦である「高雄」、「愛宕」、「鳥海」も参加していたが、高雄を除く3隻はいずれもこの戦いで沈んでいる。
高雄型4姉妹の3女だが、姉2人とは絵師も服装も異なるため、高雄・愛宕組と摩耶・鳥海組で分けられることが多い。
性格は、落ち着いた大人のお姉さんの雰囲気を持つ高雄、包容力に満ちながらどこか天然さを感じさせる愛宕、知的で頭脳派な鳥海と同じ姉妹とはとても思えないほど、男勝りかつ血気盛ん。自分のことを摩耶様と呼んではばからず、「ぶっ殺されてぇかぁっ!」と叫びながら敵艦船を攻撃し、中破以上の状態で入渠させると「こんなになるまでコキ使いやがって・・・クソがっ!」と一部の人にはご褒美な攻撃的な言葉を投げつけるなど、非常に言葉遣いが悪い。
これだけであれば、ただの傍若無人な乱暴者として嫌われるだけの運命をたどりそうなもので、実際に耐性の無い提督の中には忌避する者も多い。その一方で、近代化改修時には「サンキュー提督♪」と明るく感謝の言葉を述べ、行軍中の資材発見時には「やったな!」と一緒に喜んでくれるなど、可愛らしい一面も覗かせる。
良い意味でも悪い意味でも自分に正直な性格のため、思ったことがそのまま口に出てしまうだけのことで、提督に対する印象は少なくとも悪くはない模様。邪険に扱えば反発し、大切にしてあげればそれだけ期待に応えようとしてくれる素直な艦娘である。出撃時の「怖いなら、あたしの後ろに隠れてな!」という頼もしい言葉は、姐御肌な性格を端的に表す心強い叫びと言えよう。
ゲーム内では、中盤に差し掛かる南西諸島海域(2面)で結構な頻度でドロップするため、 他の重巡洋艦と同じく戦艦非所持時の火力源として使われることが多い。ただ摩耶の場合、改造可能レベルが18と重巡洋艦の中では格段に早く、また改造すると大和型に次ぐ全艦娘屈指の対空性能(史実での対空特化改装に拠る)を身に着けるため、敵が艦載機を使ってくるマップで広く重宝されている。前述のヤンキー調の言葉遣いもあって、対空番長と呼ばれることもしばしば。
なお、数多い艦娘の中でもトップを突き進む大艦巨乳主義の姉2人に埋もれがちだが、摩耶自身も相当なプロポーションの持ち主である。通常絵からのぞく整った形の谷間は、その中に眠る豊かな膨らみを想像させ、「お前ちょっとウザい」という口撃をものともしない提督達を、あらぬ方向へ導くのである。
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最終更新:2025/12/23(火) 03:00
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