斉藤和巳とは、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手。
ポジションは投手、背番号は66、右投げ右打ち。
プロ入り当時はイチローの活躍で流行だったこともあり、「カズミ」で登録していたが、黒歴史となっている。
190センチ以上の長身から投げ込まれる150キロオーバーのストレートと2種類のフォークが持ち味の
ソフトバンクのエース。最近は故障のせい2シーズンを丸々棒に振り、影が薄くなり始めている。
1995年のドラフトで福岡ダイエーホークスに1位で入団。
97年に一軍で初登板を果たすが、肩の故障で長い間伸び悩む。一時は野手転向を持ちかけられたこともあった。
それでも若手の頃から本格派右腕のエース候補として当時の王監督や落合博満などから期待されていた。
それからしばらくした2003年に覚醒。前年の4勝1敗から大きく躍進し、20勝3敗で沢村賞を受賞。
同じ年に頭角を現した和田毅、新垣渚、杉内俊哉と共に後の4本柱の原型を形成し、その年のダイエーホークス
日本一に貢献した。斉藤はその中でも年齢が一番上であることと、成績が突出していたことでエースとして君臨する。
それまでホークスといえば優勝した年に10勝投手が一人もいなかったなど、打高投低のイメージが強かったが
一転、両リーグでも1、2を争う投手王国へと変貌を遂げた。
その後も4年連続の二桁勝利や2006年には投手主要タイトル4つと沢村賞の計五冠に輝くなど、日本球界を
代表する選手として活躍する。また、防御率6.26で10勝7敗と勝ち越したシーズンがあり、負け投手に
なることがとても少ない(2009年現在で通算79勝23敗)その神がかり的な勝ち運からファンの信頼も厚い。
2007年は6勝3敗。シーズン途中に怪我で離脱する。・・・ここから彼の評価に変化が起こる。
2008年は故障で一度も登板できずにシーズンを終える。2005年から3年で7億5千万円の複数年契約を
結んでいたこともあり、批判が多く出た。同チームに所属する「5億の置物」こと松中信彦と共に一気にネタキャラに。
他の若い選手の年俸が低いという話題になると必ず、松中と並んで槍玉に挙げられるようになった。
2009年もリハビリに専念。一軍では登板することなくシーズンを終える模様。前年に2億円で契約更改したことがネタキャラ化に拍車をかけた。その後杉内の活躍により、エースの座が危うくなる。11月の検査で腱板損傷が発覚。医者からの勧めで、手術も検討したが翌シーズンに開幕から実戦復帰することを考慮した結果、手術はせずリハビリに取り組み、復帰を目指すこととなった。
2010年は巻き返しが期待され、調整とリハビリをしていた・・・・が、2010年2月2日に右肩腱板修復手術を受けることなりシーズン中の復帰は未定と発表され、結局開幕に間に合わない結果となった。早期から医者からも手術の勧告をされていた以上、間に合わないのなら早い段階で手術を受けるべきだったわけで、またもやネタキャラ化に拍車をかけたといえる。
怪我での長期の離脱が原因で実働年数が短く、シーズン通して登板した場合は圧倒的な成績を残すため「ガラスのエース」と称されることが多い。2年以上も1軍で登板していないにも関わらず、チームを投手陣の柱として支えてきた彼のことをエースとして支持するファンが依然多いのはこういう側面もある。
ブログ内で手術を受けることや近況を伝えることが多いが、リハビリ中にも関わらず、後輩を連れて食事の様子やその日食べた食事を連日紹介していたため豊田泰光による某コラムで批判されている。後輩思いでチームメイトから信頼されている点は触れていなかったもののそれなりの反響があった。
また、ブログ内でよく使われる顔文字である「(`o´)」とブログの読者に喝を入れるために使われたフレーズである「コラコラコラコラ~ッ!」はセットでネタにされている。
そして、最近ではガ板にスレが立てられるまでになり、徐々に「ホークスのエース」から「プロブロガー」に周囲の認識が変わりつつある。
ホークスといえばいわゆる「秋の風物詩」で有名だが、斉藤もそれにかなりかかわっている。プレーオフ、日本シリーズなどの重要な局面での成績は0勝6敗とここ一番で勝てない近年のホークスを象徴するような人物である。
ネット上では妊娠中の元妻(現在は離婚)に蹴りを入れて流産させたという噂が流れているが、信頼性のあるソースは無い。
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最終更新:2024/04/24(水) 03:00
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