映画史とは映画がどのような経緯で誕生し世界中で発展してきたかという歴史。だと思う。
ここではアメリカ映画を中心にしていく。※基本、動画は皆著作権切れのモノです。
あのアメリカのエジソンが自動映像販売機:キネトスコープを一般公開。映画を観る装置であり、箱の中を覗き込む形だった。そしてキネトスコープ公開から1年、今度はリュミエール兄弟がシネマトグラフを開発。こちらはスクリーンに映像を投影し、一度に多くの人が観れる形であった。とりあえず映画の起源はシネマトグラフが有力。らしい。
リュミエール兄弟が世界で初めて公開した映画郡は駅のプラットフォームに蒸気機関車がやってくる情景を撮影したもの「シオタ駅への列車の到着」や、仕事を終えて工場から出てくる労働者を撮影したもの「工場の出口」など、計12作品。
初めて「列車の到着」を見た観客は迫りくる列車に「ギョエエエエ!」と驚き、飛び退いたとかしないとか。
日本では映画の事を「活動写真」と呼ばれ、映画館は「活動小屋」と呼ばれていたそうな。まぁいい。
1902年、世界で初めて物語構成を持ち、複数のシーンで構成された「月世界旅行」がフランスで製作。監督はジョルジュ・メリエス。ちなみに世界初のSF映画である。科学者達がロケット(大砲で飛ぶという凄まじい発想)で月の表面に着陸するシーンは「ポンキッキーズ」を観たことがある人なら知っているだろう。ちなみに現在は著作権切れということでニコニコ動画でも鑑賞できる。
翌年のアメリカではこれまた世界初の西部劇「大列車強盗」が製作、公開された。ちなみに「大列車強盗より昔にも西部劇があったらしいが行方不明」。 こちらの作品ではクロスカッティング(異なる場面のシーンを向後に撮影、映写する技法。フラッシュバックとも)、ロケーション撮影を行い、興行的に成功した。ラスト、観客に向かって発砲するシーンは有名。だと思う。
みんな大好きアニメ映画は1906年の「愉快な百面相」が世界初らしい。お前ら観ろよ!
新しい映画表現を求める若い映画人たちが西海岸に移住。ハリウッドが形成されはじめる。(気候が良く、撮影にもってこいなのよ)
のちに「映画の父」という凄いあだ名で呼ばれるD・W・グリフィスが、「國民の創生」、「イントレランス」、「散り行く花」を製作、公開。クローズアップなどの技法を発明し、映画の原型を完成させる。ただ人気は低下していく。
ちなみに有名なフランケンシュタインが1910年に映画化されている。 「ふんがー!」
ソ連に世界初の国立映画学校創設。クレショフ様が教授として招かれた。クレショフはそこでモンタージュ理論を打ち立て、その実験を行った。クレショフ効果
1925年、セルゲイ・エイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」を製作。本作はモンタージュ手法を確立した映画として非常に重要な映画。らしい。「オッデサの階段」の場面は映画好きなら観なくてはいけないはず。たぶん。こちらも著作権切れのため鑑賞可能だが、あれ?少し前まで観れたのに消えてる・・・!?
1927年ついに世界初トーキー「ジャズシンガー」が公開。トーキーとは映像と音声が同期した作品の事。ここから一気にトーキーが世界中で普及していく。しかし日本の活動弁士(サイレント映画の解説)や、あのチャップリン様などはサイレント映画に固執した。
同年にあのVIP先生で有名な「メトロポリス」が公開。本作はSF映画の傑作であり、多くのSF映画に影響を与えた普通に凄い作品である。監督は「M」、「ドクトル・マブゼ」のフリッツ・ラング様。
1929年、アメリカでアカデミー賞が始まる。初年度は作品賞が2作品あり、ウィリアム・A・ウェルマンの「つばさ」とF・W・ムルナウの傑作「サンライズ」の2つが受賞した。
1935年、フランク・キャプラの「或る夜の出来事」が公開。 初のスクリューボールコメディ作品で大ヒットした。アカデミー賞でも主要5部門を受賞した。しゅんごーい(^q^)
ネオ・リアリスモ運動が起きる。主な中心的な作家はルキノ・ヴィスコンティ、ロベルト・ロッセリーニ等。「自転車泥棒」も有名な作品。貧困にあえぐイタリア社会をリアルに映し出そうとしている。と思う。(異論は認める)
ちなみに現興行収入No1映画「風と共に去りぬ」も30年代の作品。
ちなみにまたフランケンシュタインが3作品公開されている。「ふんがー!!!」
World War II の影響で多くの映画作家がアメリカへ亡命。
この当時アメリカは映画製作本数が年間400本を越えており、黄金時代を迎えていた。
超スーパーミラクルな太った映画監督アルフレッド・ヒッチコック様がアメリカで映画製作。「レベッカ」が1940年のアカデミー作品賞を受賞。もっと評価されるべき。
史上最高の映画といわれている「市民ケーン」も40年代に公開。
「赤狩り」の影響でアメリカの多くの映画作家が追放されるという罠。ギャーチャップリン!
最大の敵「テレビ」が出現。観客動員数が減ってしまい、なんとかテレビにはマネのできない大作を作ったが逆効果だった・・・。
イタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニが「道」「カビリアの夜」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞。ヒッチコック様は最盛期で「裏窓」 「めまい」 「北北西に進路を取れ」などを製作。
またまたフランケンシュタインの派生作品が2本公開。 「ふんがー!!」
ジェームズ・ディーンをスターにした と東のエデ・・じゃなかった。「エデンの東」が55年に公開。
フランスでヌーヴェルヴァーグという運動が起きる。(フランス語で新しい波という意味)すっごく簡単にいうと1950年代末から1960年代中盤までの若い作家が製作した作品の事。だと思う。トリュフォーの「大人はわかってくれない」が有名。私はわかっているさ。何かを。
1963年公開「クレオパトラ」が制作会社である20世紀FOXを潰しそうになる。なんなんだアンタ。
アメリカではアメリカン・ニュー・シネマ(New Hollywood)が流行。反体制的な人間のの心情を綴った作品の事だと思う。代表的な作品に「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て!」など。
ヒッチコックの数ある作品の中でもっとも有名なサイコが60年に公開。なに?ヒッチコックを贔屓しすぎだって?まぁいいじゃないか。
フランケンシュタインは3作品、また派生モノが出現している。 例:「フランケンシュタイン対地底怪獣」
ドイツの作家達がニュー・ジャーマン・シネマととしてもて囃される。ただこれといって共通するものはなく同世代、同時期の映画作家の総称。らしい。
アメリカではパニック映画がブームになる。1972年の「ポセイドンアドベンチャー」 1974年の「タワーリング・インフェルノ」が有名。このブームは今後のハリウッド映画の基本として形造るモノだった。かもしれない。 タイ○ニックとかタイタ○ニックとかなのかな。
昔の大作映画は主に人間ドラマ、物語を重視してきたがパニック映画では観客の目を引く特殊効果、技法を重視するようになっており、近年のハリウッド映画の特徴を形成している。細かい設定などは肥大化したりする。いんだよ。細けぇことは。
1977年 「スター・ウォーズ」が公開し、大大大ヒット。SFブームを巻き起こす。また特殊効果(SFX)が注目を浴びる。正直、監督のジョージ・ルーカスは本作はコケると予想していたらしい。
鮫の映画「ジョーズ」が75年に公開された。ちなみに「ヤング・フランケンシュタイン」公開。 「ふんがー!」
先進国を中心にビデオが急速に普及。スタジオにとって新たな収入源であり、新たなビジネスが展開された。たぶん。1989年、ソニーがコロンビア映画を、パナソニックがユニバーサル・ピクチャーズを買収し、日本産業による大手スタジオの買収が続いた。
1985年に公開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が大ヒットし、アメリカではフューチャー現象なるものが起きた。日本でも大変評価が高く、80年代の映画No1と聞かれ本作を挙げる人も多いだろう。
ハートマン軍曹が登場する「フルメタル・ジャケット」も80年代の作品だぞ!このウジ虫どもが!
またまたまた「フランケンウィニー」も公開された。 「ふんがー!」
スピルバーグ監督作品「ジュラシックパーク」が世界興行収入記録を塗り替える大ヒット。本作のコンピュータ・グラフィックは後の映画に大きな影響を与えたとか与えてないとか。
1993年 日本で初めてシネマ・コンプレックスがオープン。意味は同一の施設に複数のスクリーンがある事だよ!
1995年 世界初長編フルCGアニメーション「トイ・ストーリー」が公開。
クエンティン・タランティーノ監督や、ポール・トーマス・アンダーソンといったビデオ世代の映画監督が出現。
94年に「フランケンシュタイン」公開。主役はロバート・デ・ニーロ。 「ふんがー!」
デジタルシネマの動向が活性化。将来的には大半がデジタルビデオカメラによる撮影になるかもしれないらしい。
CGが発達し、「トランス・フォーマー」や「ロード・オブ・ザ・リング」などの大作が製作された。
近年アメリカ映画は日本の漫画の実写化や過去の作品のリメイクが目立ってきており、日本では大変不振である。一方日本映画は東宝グループが圧倒的な強さを見せている。
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最終更新:2024/04/24(水) 07:00
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