自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。
それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。
「レギュラーになる、エースになる」だけではない。
木村拓也とは、読売ジャイアンツに所属していた元プロ野球選手である。
後に読売ジャイアンツの1軍内野守備走塁コーチを務めた。
1972年4月15日、宮崎県宮崎市にて生誕。
高校時代は守備位置が捕手で、遠投120mの強肩、HR通算35本の強打。本人曰く「宮崎県のお山の大将」。
1990年にドラフト外で日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団。外野手も務める。
1994年に長冨浩志とのトレードで広島東洋カープに移籍。その後2006年に山田真介とのトレードで読売ジャイアンツに移籍。
その名前と生年月日から、五十嵐亮太と共に球界のキムタクと呼ばれる(ちなみに、木村拓哉本人とも親交があり、SMAP×SMAPにゲスト出演した事もある)。
ちなみに木村拓也本人は「キムタク」と呼ばれるより、「タク」と呼ばれたいと話したことがある。
投手以外の全てのポジションをこなすユーティリティプレーヤーで、ポジションが固定されていればゴールデングラブを穫れるとも言われている。
またそのユーリティーさからか試合には常に投手用と捕手用以外すべてのポジションのグローブを持参していた。(捕手用を所持していないのは、当時の巨人にはレギュラーの阿部以外に、鶴岡、加藤と捕手陣が厚かったためと思われ、下記のような出来事は本人も想定してなかったと思われる)
あまり知られていないことだが、ファイターズ入団時は捕手であった。
そのためか2009年9月4日の対ヤクルト戦で控えキャッチャーを使い果たしてしまった時には延長12回に捕手として出場し、豊田清、藤田宗一、野間口貴彦の三人をリード、この回を無得点に抑え、ファンからは「nice lead」と絶賛された。
捕手として起用されたのは緊急と思われていることが多いが、練習でブルペンキャッチャーを引き受け投球を受けることもしばしばあり、実は捕手としても現役であったといえる。
また捕手起用について「あの時はもう自分しかないと思った」とコメントしている。
試合は3-3のまま規定により引き分け。
なお、木村が最後に公式戦で捕手を務めたのは10年前で、この日リードした三人は投手としてのタイプが全く異なる事を付け加えておく。
補足だが、捕手の道具は鶴岡のものを借用した。
大道典嘉と仲がいい。
2009年11月7日、巨人日本一決定の日に今季限りでの現役引退を表明。巨人のコーチ就任が発表された。
2010年4月2日、対広島戦前のノック中にクモ膜下出血で倒れた。
2010年4月7日午前3時22分、クモ膜下出血により死去。享年37歳。
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最終更新:2025/12/09(火) 21:00
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