本田圭佑(ほんだ けいすけ、Keisuke Honda、Кэйсукэ Хонда、1986年6月13日 - )とは、日本のサッカー選手である。ACミラン所属。肉体と我の強さが魅力のMF、それはごもっともだけどオレの考えは違った。
大阪府摂津市出身。ガンバ大阪ジュニアユースに所属していたがユースへ昇格ができず石川の星稜高校へ進学し、高校サッカーで活躍。2005年から名古屋グランパスでプロとしてのキャリアをスタート。高卒1年目から試合に出場し、プロとしては3シーズンで90試合に出場、11得点を挙げる。
2008年にオランダ・エールディヴィジのVVVフェンロへ移籍する。2007-2008シーズンにVVVは2部に降格するが、翌シーズンもそのままVVVに残留した。
得点の意識を高めた本田は主力として活躍し、チームをエールステ・ディヴィジ(2部)優勝へと導く。16得点13アシストでリーグMVPにも選ばれた。2009-2010シーズンはオランダのビッグクラブへの移籍が予想されたが、高い移籍金がネックとなり移籍が成立せず、VVV所属のままシーズンを迎える。ここで本田は開幕から3戦で4得点2アシストの大活躍を見せるなど、18試合で6得点を挙げ、復帰1年目のチームを中位に押し上げた。VVVでは1部で32試合8得点、2部で36試合16得点を記録した。
VVVでの活躍もあって、この年の冬の移籍市場でロシアの強豪・CSKAモスクワへの移籍(4年契約)を果たした。CSKAモスクワはUEFAチャンピオンズリーグにもたびたび出場するほどの実力を持ち、事実上のステップアップを果たす。2012-2013シーズンにはリーグ優勝を経験するなど主力として活躍し、リーグ戦94試合に出場し20得点を挙げる。だが、この頃より膝や足首に故障を抱え始め、クラブや代表から離脱することも出始めた。また、毎シーズンのように移籍報道も飛び出すが、前述のように4年契約を結んでいたことから高額な移籍金がネックとなって移籍が破談になったと報じられることが恒例行事となりつつあった。
2009-2010シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦・セビージャ戦1stレグでUEFAチャンピオンズリーグ初出場を果たし、アウェイの2ndレグでは1得点1アシストの活躍でクラブをベスト8へ導いた。2013-2014シーズンにも2得点を挙げており、CL通算10試合3得点を記録している。
CSKAとの契約が満了する直前の2013年12月に、ACミランのアドリアーノ・ガッリアーニCEOが、本田がACミランとの契約にサインし2014年1月に加入することを明言。背番号は10になるとも発言した。2014年1月12日のセリエA・サッスオーロ戦で途中出場しデビューを果たした。その後すぐに監督が代わった事もあり適応に苦しんだが、2014-2015シーズンが始まると序盤から得点を量産し、得点ランキングでも上位に名を連ねる活躍を見せている。
国際Aマッチでは、2008年の代表デビュー以降、60試合以上に出場しており、20得点以上挙げている。
2008年には北京オリンピックU-23日本代表に選ばれ、予選の香港戦のぶれぶれフリーキックなど活躍するが、本大会グループステージ敗退決定後の第3戦において、監督の指示に造反していたとインタビュー時に発言し、メディアで物議をかもした。
2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会にも代表に選出。大会直前の親善試合や練習試合においてチームとして全く結果を残せなかった岡田武史監督は、開幕戦ギリギリになって本田をセンターフォワードとして起用する方針を固める。未経験のポジションでありながらも本田は期待に応え、6月14日に行われた初戦のカメルーン戦で1得点、6月25日に行われた3戦目のデンマーク戦で1得点1アシストの大活躍を見せ、日本代表の決勝トーナメント進出の原動力となった。
2010 FIFAワールドカップでの活躍は海外でも評価が高く、ロシアのメディアでは「ホンダがチームを疾走させた。」「最高のプレイヤ-」と伝え、イギリスのBBC放送の実況は、本田のフリーキックを「まるでクリスティアーノ・ロナウドのようだ」と称賛。司会の元イングランド代表キャプテンのゲーリー・リネカーは、「彼の契約金ははねあがった」と手放しで絶賛した。またその活躍から2010 FIFAワールドカップ終了後にはバレンシア、アトレティコ・マドリー、マンチェスター・シティ、ACミランなどのヨーロッパの強豪クラブに移籍するのではないかと噂されていたが、前述の通り高額な移籍金が障害となり実現はしなかった。
AFCアジアカップ2011ではチームを優勝へと導き大会MVPに選出された。
2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会にも順当に選出。チームの絶対的なエースとしてワールドカップに臨み、自身は1得点1アシストと奮闘したものの、チームはグループリーグ敗退に終わった。
本田△とは、上の三つを兼ね備えるようになった本田さんへの敬称である。
もともとは本田のビッグマウスを揶揄する表現であったがオランダリーグでそれに見合う活躍をするようになり賞賛の表現へと変化していった。
2010 FIFAワールドカップでサッカー日本代表が採用した、本田を1トップに置くフォーメーションは、前線で攻撃を担当する本田、大久保、松井の3人が△を作っていることから、スポーツ紙によって「本田△フォーメーション」と名付けられた。
更には、2010 FIFAワールドカップでの獅子奮迅の活躍により、「サッカーファンだけでない一般からの認知・人気」という4つ目の要素も加わり、もはや「さん」付けですらおこがましいと、「本田□」→本田四角形→「本田氏カッケー」と言う意味を込め、本田△は本田□へと変化しようとしている。しかし実際には浸透しなかった。
PSV 3 - 3 VVV △ | VVV 2 - 2 ADO △ | UTR 2 - 2 VVV △ | VVV 2 - 2 GRO △ |
NEC 1 - 1 VVV △ |
ガンバのジュニアユースの頃から派手めのファッションだったという。
2007年には両腕腕時計のスタイルを確立し、そのことを聞いた安田理大にこう答えたという。
誰が時計は片腕って決めたん?
トレードマークとなっている金髪は北京五輪以降。それまでは黒髪にこだわりがあったらしい。
上述したようにそのビッグマウスぶりが取り上げられることも多く、しばしばその発言が物議を醸すこともある。
中には過去の名選手の名言を引用することもある(前置きすることもある)。その一部を列挙してみる。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2004 | 名古屋グランパス | J1 | 0 | 0 | |
2005 | 名古屋グランパス | J1 | 31 | 2 | |
2006 | 名古屋グランパス | J1 | 29 | 6 | |
2007 | 名古屋グランパス | J1 | 30 | 3 | |
2007-08 | VVVフェンロ | エールディヴィジ | 14 | 2 | |
2008-09 | VVVフェンロ | エールステ・ディヴィジ | 36 | 16 | |
2009-10 | VVVフェンロ | エールディヴィジ | 18 | 6 | |
2010 | CSKAモスクワ | ロシア・プレミアリーグ | 28 | 4 | |
2011-12 | CSKAモスクワ | ロシア・プレミアリーグ | 25 | 8 | |
2012-13 | CSKAモスクワ | ロシア・プレミアリーグ | 23 | 7 | |
2013-14 |
CSKAモスクワ | ロシア・プレミアリーグ | 18 | 1 | |
ACミラン | セリエA | 14 | 1 | ||
2014-15 | ACミラン | セリエA | 29 | 6 |
コミュニティが無いのは審判に邪魔されたとしか言いようがない。
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最終更新:2024/04/24(水) 15:00
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