松中信彦とは、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手。背番号3。左投左打。
熊本県八代市出身。主に指名打者として出場するが、左翼を守ることもある。本職は一塁手だが、小久保が守備の衰えから一塁に回されたこともあって、2008年は一度も一塁を守らなかった。
1996年、ドラフト2位(逆指名)で福岡ダイエーホークスに入団。この年のドラフトでは、ホークスは1位で井口資仁(現・千葉ロッテマリーンズ)、3位で柴原洋という目玉選手を揃って獲得。「反則ドラフト」と言われた。
主砲としてチームを牽引する主力打者であり、現役選手で唯一の三冠王経験者(04年)。レギュラーに定着した99年以降の9年間で打率3割以上7回、30本塁打以上5回、100打点以上5回を記録。03年打点王、04年三冠王、05年本塁打・打点王、06年首位打者と、4年間で打撃7タイトルを獲得した現役最強打者の一人である。
……のだが、04年・05年とプレーオフで大不振に陥り、結果としてホークスは2年続けてレギュラーシーズンを1位通過しながら優勝を逃した。打撃不振の結果ベンチで呆然とする様は「秋の風物詩」と揶揄された。
さらに07年は故障の影響もあってかシーズンを通して大不振に陥り(打率.266、15本塁打、68打点はレギュラー定着後最悪の数字)、年俸5億円の7年契約(の2年目)だったこともあり「5億の置物」と揶揄されることに。トレードで獲得した多村仁、FAで古巣に復帰した小久保裕紀との「TMK砲」が全く機能しなかったことも、ファンの不満を高めた。
08年も開幕当初は不振だったが、打順を4番から3番に移してから調子を上げ、しばらくは打率3割を維持、3年ぶりに20本塁打を超え復調したかと思われた。……が、9月のチーム大失速と一緒に成績も再び下降線を辿り、最終打率は.290。敗れれば最下位が決まる楽天との最終戦では、0-0の延長12回表に一死一塁二塁から初球併殺打に倒れ(さほど早くないど真ん中の直球なので手を出しても仕方ない部分はあるのだが)、王監督ラストシーズンの最後の打者になってしまった。試合はその裏サヨナラ負けで最下位が決定。結果として、秋の風物詩は2008年も健在であった。
このようにプレーオフという現制度で肝心な部分でスランプだったイメージから成績以上に過小評価されがちだが、世代交代を迎えようとしているホークス野手陣の中でもまだまだ中核を担う主砲であることに疑いはない。
2009年1月29日に地元・熊本県八代市にある新八代駅前の物産館となりに松中信彦スポーツミュージアムが開館した。
第1回のWBCでは主砲として活躍しており、第2回WBCの日本代表候補にも選ばれていた。原監督は4番に置く構想を表明していたが、左足のアキレス腱を痛め最終メンバーからは落選が決まった。
内角打ちの名人と呼ばれ普通は詰まるかファールになる厳しい内角球をスタンドインさせ相手投手を恐れさせた。年齢的には円熟期であり、強打者としてマークされているため以前のような破壊力は減っているが四死球が多く数字以上にチームに貢献している。あとはプレーオフ(略)。
第一回WBCでの13安打は大会最多記録で、1試合多い第二回WBCでの最多記録12安打(青木宣親ら)よりも多い。
王監督から「(城島移籍後)君にばかり負担をかけて苦しい思いをさせ、申し訳なかった」と言葉をかけられ、涙した。
(2009年開幕前時点)1371試合1468安打302本塁打998打点 通算打率.304
西部ガス(夫人とともに出演) →外部リンク(CM見れます)
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最終更新:2025/12/09(火) 22:00
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