株主資本主義(英:Shareholder Capitalism)とは、企業の経営に関する思想の1つであり、国家の経済体制に関する思想の1つである。株主至上主義(英:Shareholder Supremacy)という。
反対の概念はステークホルダー資本主義である。
株主資本主義については2つの定義をすることができる。
株主資本主義は、株主の財産権を尊重する思想である。財産権とは日本国憲法第29条で保障されている基本的人権であり、経済的自由権の中核を成すものである。
財産権には物権と債権と知的財産権の3種類があるが[1]、株主が行使している財産権は物権であり、物権のなかの所有権である。
もちろん、基本的人権といってもそれを濫用することを許されず、他者加害原理などに基づく公共の福祉の概念により制限されることがある。そのことは日本国憲法第12条で定められている。
株主資本主義は企業の経営をするにあたって税引後当期純利益の最大化を追求すべきと考える思想である。
ある期の企業において税引後当期純利益が○円発生すると、期末の貸借対照表において純資産の部の中の「その他利益剰余金」の数字が○円増え、資産の部の数字が増えたり負債の部の数字が減ったりする。資産の部の増加分と負債の部の減少分の合計額が○円になる。
その後に、○円のなかから企業が株主へ配当金を支払ったり、株価が上がったりして、株主の利益が増える。
企業の「その他利益剰余金」が増えると、株主への配当が増えやすくなる。企業は「その他利益剰余金の見合いとなる資産」を原資として株主への配当金を出すことが通常であるからである。企業が資産の部の銀行預金の数字と純資産の部の「その他利益剰余金」の数字を同じ額だけ減らして[2]、銀行振り込みで株主に配当金を支払う。
また企業の「その他利益剰余金」が増えると、「あの企業の株式は安定的な配当をもたらす」と投資家に思われるようになり、長期金融市場の中の株式市場においてその企業の株式への買い注文が増える可能性が高まり、その企業の株式の価格(株価)が上がる可能性が高まる。
もし株価が上がったら、その株式を保有している株主の利益が増える。
株主が時価会計主義で財務諸表を作っている場合、期末において保有する株式の株価が購入価額よりも上がっていたら、有価証券評価益という収益を計上し[3]、貸借対照表で資産の部における有価証券の金額を増やすので、「株主が利益を得て富を増やした」と表現することができる。
株主が簿価会計主義で財務諸表を作る場合、期末において保有する株式の株価が購入価額よりも上がっていたとしても、収益を計上するわけではなく、貸借対照表において資産の部における有価証券の金額を増やすわけでもないが、「株主が含み益を得て実質的に富を増やした」と表現される。
このため「株主資本主義というのは企業の経営をするにあたって株価の上昇を追求する思想である」と言い換えることもできる。
株主資本主義・株主至上主義は、株価資本主義とか株価至上主義ということもある。
株主資本主義が幅をきかせる国では政治家がそれに染まり、株価の上昇を最優先するようになり、株価が上昇すると「経済が成長して発展し、すべてが良くなった」と満足する傾向にある。株価というのは経済の様子を示す指標のうちの1つに過ぎないのだが、とにかく株価に偏重して株価に一喜一憂する。
株主資本主義が幅をきかせる国では市場関係者もやたらと強気になり、「政府というのは株価を上げるために存在する」と本気で考えるようになる。従業員に対する給与が増えて企業の税引後当期純利益が減って株主の配当金が減って株価が下がっていくように誘導する政策を政府が提案したら、「そんなことをしたら株価が下がる!そんな政策をする国がどこにあるのか」と市場関係者が猛抗議する。
A期において税引後当期純利益を○円発生させた企業は、A期末の貸借対照表において資産の部の数字を増やしたり負債の部の数字を減らしたりしつつ純資産の部の「その他利益剰余金」を○円増やし、自己資本比率を高め、「倒産しにくく永続しやすい企業」に近づいていく。
企業は、A期において稼ぎ出した「その他利益剰余金」の全額を翌B期において株主に対する配当金にして自己資本比率を元通りに下げてしまうこともあるが、そこまでする企業は少数派といえる。多くの企業は、A期において稼ぎ出した「その他利益剰余金」の一部だけを翌B期における株主に対する配当金にして、自己資本比率がA期末よりも高い状態を維持する。
このため、「株主資本主義とは、企業の経営をするにあたって自社を『倒産しにくく永続しやすい企業』に近づけていくべきと考える思想である」と理解することはおおむね正しいと言える。
やや大袈裟な表現にすると「株主資本主義というのは企業に永遠の生命を吹き込もうとする思想である」となる。秦の始皇帝は自らを不老不死の生命体にしようとしたが、株主資本主義者も企業を不老不死の存在にしようとする。
株主資本主義を弱体化させるような政策を耳にしたときの株主資本主義者は、「そんなことをしたら投資家が日本の株式市場から資金を引き揚げ、株価が下がる!」と猛抗議するのが常である。この抗議をさらに詳しく分析すると「そんなことをしたら投資家が日本の株式市場から資金を引き揚げ、株価が下がり、企業が公募増資で『返済が不要な資金』を調達することが難しくなり、銀行からの借り入れや社債の発行で『返済が必要な資金』を調達するはめになり、企業の負債が増え、自己資本比率が下がり、債務超過リスクや倒産リスクが高まる!」ということになる。
企業の負債が増えることや倒産リスクが高まることを極端に恐れる心理のことを負債恐怖症とか倒産恐怖症という。そうした負債恐怖症や倒産恐怖症が株主資本主義を生み出す。
株主資本主義を支持する企業経営者が目標とする「倒産しにくく永続しやすい企業」は、宗教法人とよく似ている。
日本を含む多くの国々において宗教法人は、宗教活動で得られる法人所得に対して法人税0%の優遇措置を受けていて、宗教活動に伴って作成する損益計算書[4]の税引後当期純利益を増やしやすい存在になっており、宗教活動に伴って作成する貸借対照表の資産の部の数字と純資産の部の数字を同時に増やして自己資本比率を高めやすい存在になっており、「倒産しにくく永続しやすい団体」になっている。
株主資本主義が徹底されて法人税が0%になった国における企業と、多くの国々における宗教法人は、全く同一の存在ではないが[5]、倒産しにくく永続しやすいという点で非常によく似た存在である。
つまり、株主資本主義というのは、企業を宗教法人に近づけようという思想である。
宗教法人というのは神秘的な存在で、人々の心のよりどころになり得る存在である。世界各国で宗教法人の「宗教活動で得られる法人所得」が非課税になっている理由の1つは、「宗教法人を倒産しにくく永続しやすい団体にすれば、人々の心のよりどころが社会の中で生き続けるので人心が安定する」というものである。
一方で、企業というのは特に神秘的なところがなく極めて世俗的な存在で、人々の心のよりどころになることが少ない存在である。
本来の性質から考えると、宗教法人と企業は全く似ておらず、遠く離れた存在である。株主資本主義の支持者の行動は無理で不自然な行動といえる。
株主資本主義が主導権を握る国では、成功した企業経営者を神か仏のように褒め讃えて神格化して「カリスマ経営者」に祭り上げる社会的風潮が定着する[6]。
そういう風潮が定着することにより、もともと神秘性をもっていない企業に神秘性が強引に付加され、企業を宗教法人のように扱うことが許される世相になり、株主資本主義がさらに広まっていく。
ちなみに、反・株主資本主義の支持者は、つまりステークホルダー資本主義の支持者は、企業経営者を神格化して「カリスマ経営者」に祭り上げることを好まず、「企業が上手くいくのは経営者と労働者のチームワークのおかげだ。経営者を『カリスマ経営者』と扱って過剰にもてはやすのは良くないことだ」と苦言を呈する傾向がある。
株主資本主義が極めて優勢な国において法人税を増税すると、企業が税引後当期純利益を確保することを最優先するようになり、法人税の分を上乗せした価格で商品を販売して消費者に負担を転嫁したり、法人税の分だけ賃金を減らして労働者に負担を転嫁したり、法人税の分だけ「協力企業に払う費用」を減らして協力企業に負担を転嫁したりする。つまり、株主資本主義が極めて優勢な国では法人税が直接税ではなく間接税になる。このことについて詳しくは直接税の記事を参照のこと。
株主資本主義は企業の経営をするにあたって税引後当期純利益の最大化を追求すべきと考える思想である。そして、企業の税引後当期純利益を増やす方法として次の6つが考えられる。
企業会計をごく簡単に説明すると次のようになる。商品を消費者に売って売上金という収益を稼ぎ、収益から労働者に払う費用や協力企業に払う費用といった様々な費用を引いて税引前当期純利益を出す。税引前当期純利益から法人税を引いて税引後当期純利益を出す。
1.を追求するには、開発部門における商品の斬新な設計とか、生産部門における優秀な工具の調達とか、営業部門における効果的な広告宣伝のノウハウといった専門的な知識が必要である。「経営と所有の分離」が行われた企業において1.を追求すると、株主にとって何が何だかわからないレベルの話になりがちであり、株主は黙って経営者のいうことを聞くしかなく、「物言わぬ株主」「黙りこくった株主」になるしかない。
1.は、株主資本主義者にとって非常に好ましくない方法である。1.を追求する場面では専門的な知識を持っている労働者たちが主導権を握るようになり、労働者の発言力が上がってしまう。そして、労働者が「我々には経営に口出しする資格があるのだ」と自信を持つようになり、労働者が「労働三権を行使し、経営の管理と運営について意見を出そう」と考えるようになり、「物言う労働組合」が出現してしまい、株主の発言権が弱体化してしまう。
3.や6.は株主資本主義者にとって好ましいものだが、なかなか簡単に実現できない。3.は独占の地位を築いてある場合なら容易であるが、そうでない場合なら難しい。6.はいわゆるレントシーキングであるが、多くの国会議員を説得せねばならず、難しい。
2.や4.や5.は株主至上主義者にとって非常に好ましい方法である。2.や4.や5.を追求するときはたいして専門的な知識を必要としない。「経営と所有の分離」が行われた企業において2.や4.や5.を追求するとき、株主にとって十分について行けるレベルの話になりがちであり、株主は大いに発言権を行使することができ、「物言う株主(アクティビスト activist)」になることができる。
以上のことを踏まえつつ、企業の税引後当期純利益を出す6つの方法を分類すると次のようになる。
| 方法 | 性質 | 方針 |
| 1.商品価格を維持しつつ業務の質的な改善をして多くの消費者に商品を売って収益を増やす | 株主にとって理解しにくい話になりがちである。労働者の発言力を高めて「物言う労働組合」を生みだしてしまう危険がある | 株主にとってできれば回避したい |
| 2.商品価格を維持しつつ業務の量的な改善をして多くの消費者に商品を売って収益を増やす | 株主にとって理解しやすい。「物言う株主」を生みやすい | 株主にとって優先的に実践したい |
| 3.商品価格を釣り上げて売上金という収益を稼ぐ | 独占の体制を築き上げることが難しく、実現が難しい | 株主にとって実践したいが困難である |
| 4.労働者に払う費用を減らす | 株主にとって理解しやすい。「物言う株主」を生みやすい | 株主にとって優先的に実践したい |
| 5.協力企業に払う費用を減らす | 株主にとって理解しやすい。「物言う株主」を生みやすい | 株主にとって優先的に実践したい |
| 6.国会議員に影響力を与えて法人税を減税する法律を立法させる | 多くの国会議員を動かすことが難しく、実現が難しい | 株主にとって実践したいが困難である |
株主資本主義者の得意技である2.や4.や5.については、本記事において章を設けて詳細に解説する。業務の量的な改善をして収益を増やすの章と、労働者に払う費用を減らすの章と、協力企業に払う費用を減らすの章を参照のこと。
株主資本主義は、労働者の権利を抑制しつつ税引後当期純利益の最大化と株主の利益の最大化を目指す思想である。
株主資本主義は、労働者の権利を取り上げようという性質が強い思想であり、労働者への攻撃性が強い思想である。株主資本主義を支持する人の中は、SNSなどにおいて労働者を激しく罵る言動をする人がしばしば見られる。
このため株主資本主義は階級闘争を志向する思想の1つと見なすことができる。階級闘争を志向する思想というと共産主義が代表例だが、株主資本主義もそのうちの1つである。
株主資本主義の反対の思想はステークホルダー資本主義であるが、この思想は、株主や労働者を含めたすべてのステークホルダー(利害関係者)に利益をもたらそうという思想であり、階級闘争を志向しない思想であり、階級間の融和を志向する思想である。
株主資本主義は1970年代頃になってアメリカ合衆国で台頭した思想である。「1960年代までのアメリカ合衆国において株主資本主義は一般的ではなかった」と指摘されることがある[7]。
ときおり「株主資本主義は所有権の絶対性を尊重するので資本主義の本来の姿である。欧米では株主資本主義が一般的なのに、日本は株主資本主義を受け入れていない。ゆえに、欧米は資本主義を理解していて優れており、日本は資本主義を理解せず劣っている」という煽りをして、日本人の欧米コンプレックスを上手に刺激しつつ株主資本主義を賞賛する者が現れるが[8]、その主張は疑わしい。
新自由主義(市場原理主義)という経済思想がある。株主資本主義と新自由主義の親和性は極めて高く、「新自由主義を支持する者の全員が株主資本主義を支持している」と言い切ってもいいほどである。
株主資本主義は、企業経営者や管理職労働者に対して長時間労働を要求することを好む思想である。
労働基準法第32条で労働者の法定労働時間が定められ、同法第34条で労働者の法定休憩が定められ、同法第35条で労働者の法定休日が定められている。しかし、同法第41条第2号で「管理職労働者には法定労働時間・法定休憩・法定休日が適用されない」としている。
株主資本主義者が企業経営者や管理職労働者に対して「もっと長時間労働をしろ。さもないと国際競争で敗北してしまうぞ」と上から目線で長時間労働を要求するのは見慣れた光景である。
管理職労働者に同一の賃金を払いつつ長時間労働を強いることは、管理職労働者の時間あたり給料を削減することになり、実質的な賃下げとなる。
株主資本主義が優勢となる時代では、狂ったように長時間労働をする企業経営者・管理職労働者が出現する[9]。そして、非管理職労働者(平社員)も企業経営者・管理職労働者の影響を受け、長時間労働に付き合わされることになる。
株主資本主義者は「長時間労働の鞭」を擬人化したような存在である。株主資本主義者が歩くところは長時間労働の嵐が激しく吹き荒れる。
株主資本主義者は「我慢して長時間労働の痛みに耐える労働者」を心から愛する傾向にある[10]。
株主資本主義者は、年功主義(年功序列)の賃金体系を否定して成果主義・能力主義の賃金体系を導入し、労働意欲を刺激する傾向がある。
また株主資本主義者は、所得税の累進課税を弱体化させ、労働意欲を刺激する傾向がある。
また株主資本主義者は、相続税や贈与税の累進課税を弱体化させることも好む。新自由主義が盛んな国では相続税や贈与税が無税になった国も多い。そうなると世の中の父親・母親が「子どもに多くのお金を相続させるため、目一杯働いて高額所得を得よう」と考えるようになり、世の中の父親・母親の労働意欲が強烈に刺激される[11]。
株主資本主義者は、「長時間労働をして成果が上がれば金銭が転がり込む」と訴えかけ、外発的動機付けをしてインセンティブ(刺激)を与えて人々の労働意欲を刺激することを優先する傾向がある。
労働意欲が刺激されると多くの人が「仕事すればするほど、お金が儲かる」と思いこむようになり、「休暇を取っている場合ではない、空いた時間をすべて仕事に注ぎ込もう」という仕事中毒(ワーカホリック)の心理状態となり、長時間労働が増えていく。
「才能を発揮すればするほどガッポガッポと稼げる夢のある社会を作り上げる」「才能を発揮する人に夢を見せる」といったふうに才能や夢という綺麗な言葉を織り交ぜて語りかけ、人々の金銭欲を強烈に刺激し、労働意欲を刺激する。
株主資本主義者の中には、「所得税累進課税や年功序列の給与体系によって、頑張った人が痛めつけられている」とか「頑張った人が報われていない現状を変えて、頑張った人が報われる社会を作ろう」とか「頑張る人が足を引っ張られている現状を変えて、頑張る人が足を引っ張られない社会を作ろう」という言い回しを非常に好む。いずれのスローガンも、「自分は頑張っている」と信じている人の被害者意識を強く刺激するものであり、わりと扇情的な言い回しである。このような扇情的な言い回しをして人々を感情的にさせ、人々が感情の赴くままに所得税累進課税や年功序列の給与体系を弱体化させていくように誘導する。
株主資本主義者は長時間労働を否定する者を罵倒する傾向がある。
株主資本主義者は「ほどほど」「適度」「無理のない範囲で」という言い回しをして労働意欲を抑制する人を非常に嫌い、そうした言葉を発する人に対して「衰退する、ダメになる、発展途上国に追い抜かれる、先進国から脱落する」といった警告をする。そして「とことん」「徹底」「どこまでも頑張る」という言い回しを非常に好む。
株主資本主義者は勤勉を深く愛し、怠惰を激しく憎むので、労働意欲を抑制する人に対して「怠け者」というレッテル貼りをして論戦で優位を得ようとする傾向がある。
人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、本質的に「怠惰」を必要とする生物なのだが、論戦に臨む株主資本主義者はそのことを都合良く忘れて「自分は勤勉であり全く怠惰ではない」という態度で振る舞う。
株主資本主義者が好む長時間労働には欠点がある。①余暇の減少による消費・需要の減少や、②精神・肉体の疲労蓄積によるメンヘラ・過労死の増加といったものである。
長時間労働が繰り返されることで労働者の余暇が減少する。そうなると、労働者の消費意欲が減退したり、非婚化と少子化が進んだり、人口が減少したり、需要が減ってデフレになったりする。株主資本主義が広まると少子化が進んでデフレになるという傾向がある。
株主資本主義者は長時間労働の欠点を意識することを苦手としており、「労働しすぎたら疲労が蓄積して肉体や精神が壊れてしまう」と考えることを苦手としている[12]。
覚醒剤を使用すると疲労が解消し、どれだけ長時間労働しても疲労を感じなくなる[13]。労働強化の副作用を意識することが苦手な株主資本主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。
株主資本主義者は、労働強化をすることも好む。
労働強化は長時間労働要求とは少し異なった概念であり、単位時間内における労働支出量を増加させることである。労働強化を簡単に言うと「同じ時間でもっと速い速度で手足を動かせ」となる。
株主資本主義に心酔する企業経営者は労働強化を好むのだが、労働強化を続けるうちに全能感・万能感に満ちあふれるようになっていく。「意志さえあれば何事も実現できる」と本気で信じ込みつつ、従業員に向かって「不可能はない」「できないとはいわせない」とパワハラ気味に接して労働強化する。そうすると会社全体が疲れ果て、従業員の精神に害が与えられ、従業員がメンヘラや過労死に近づいていくことになる。
覚醒剤を使用するとスーパーマンになったかのような感覚になり、全能感・万能感に満ちあふれ、「自分には強大な力が備わっている」と信じ込むようになる[14]。「意志さえあれば何事も実現できる」と固く信じ込む株主資本主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。
株主資本主義者は、労働者に払う費用(人件費)を減らすための手段を豊富に持っている。企業レベルで実践する手段もあるし、国家レベルで実践する手段もある。
株主資本主義者が労働者に支払う人件費を削るときに真っ先に行うことの1つは、労働者を罵倒して労働者の自信を破壊し、労働者が賃上げを要求する気持ちを起こさないようにすることである。
人というのは自信を持つと賃上げを要求するようになる。株主資本主義者にとって、労働者の自信を破壊するのは重要な課題である。
株主資本主義者が労働者の自信を破壊する時に使う言い回しの1つは「株主や経営者はリスクを負っており、檻の外で剥き出しの自然に立ち向かっており、勇気があり、優秀な存在である。一方で労働者はリスクを負っておらず、安全な檻の中で餌をもらってる家畜で、勇気がなく、劣った連中である」というものである。労働者への軽蔑感情を全開にした言い回しであり、階級社会の意識が強く表れた言い回しである。
労働者に対して「君たちは株主や経営者とは身分が違うのであり、対等に話をする権利がない」という言動をすることもある。2004年日本プロ野球再編問題の際に渡邉恒雄が「ふん、無礼な事を言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。『たかが選手』ったって立派な選手もいるけどね。オーナーとね、対等に話する協約上の根拠が一つも無い」と言い放った(動画)。渡邉恒雄の「たかが選手が」という言葉は、株主資本主義者の「たかが労働者が」という心理を代弁するような言葉である。
株主資本主義者はTPPやRCEPのような自由貿易協定を締結して自由貿易を促進することがある。自由貿易により、高賃金の国の企業は低賃金の国の企業との競争にさらされることになり、高賃金の国の企業において経営者が労働者に対して「君たちは低賃金の国の労働者と同じ仕事をしているのに高賃金をもらっている」と罵倒することが可能になる。つまり自由貿易によって労働者を罵倒して労働者の自信を破壊することができる。
自由貿易をすると、労働者を入念に罵倒して労働者の自信を効率的に破壊して労働者の給料を大いに下げることが可能になる。自由貿易は罵倒貿易とか自信破壊貿易と表現できる。
株主資本主義者が人件費を削ろうとするとき、常に激しく抵抗するのが労働組合(労組 ろうそ ろうくみ)である。株主資本主義者にとって労働組合というのは目の上のたんこぶのように邪魔な存在である。
株主資本主義と労働組合は水と油のように相性が悪いので、「株主資本主義が勃興する時代では労働組合が弱体化し、株主資本主義が抑制される時代では労働組合が強力化する」という関係性がある[15]。株主資本主義が隆盛を誇る時代で急速に発展した巨大IT企業4社のGoogle、Amazon、Facebook、AppleをGAFAと呼ぶが、2020年12月の時点でどこも労働組合を持っていなかった[16]。
株主資本主義を信奉する企業経営者が労働者に対して「もし労働組合を結成したら職場において不利益を与える」と脅して労働組合を結成することを妨害したら、日本国憲法第28条や労働組合法第7条に違反したことになり、労働委員会の救済命令を受けることになる[17]。こうした手段は不法な行為と言える。
このため株主資本主義者は、労働組合に対して罵倒の限りを尽くし、労働組合に対して汚いイメージをなすりつけ、人々が労働組合を嫌悪するように誘導し、労働者が労働組合を結成する気を起こさないようにする傾向がある。そうした手段なら合法である。
株主資本主義者は「労働組合を結成して労働組合の助けを得て労働するのは自立しておらず、依存心が強く、寄生しており、スネかじりであり、甘ったれである」とか「労働組合を結成せず労働組合の助けを得ずに労働するのは自立しており、依存心が少なく、自活しており、自分の足で立ち上がっており、自分に厳しくて立派である」と言うことがある。これは、甘ったれへの軽蔑心を持つ人や、「自立している人と思われたい」という名誉欲を持っている人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。特に、「親から自立したい」という願望が強い傾向のある10代の若者によく効く。
株主資本主義者は「労働組合を結成して1つの企業にしがみつくのは格好悪い生き方で、みっともない生き方で、往生際が悪い生き方で、見苦しい生き方で、ダサい生き方である」とか「労働組合を結成せず他の企業に転職するのは格好いい生き方で、体裁がよい生き方で、いさぎよい生き方で、見ていてすがすがしい気分になる生き方で、イケている生き方である」と言うことがある。これは、「格好いい人と思われたい」という名誉欲を持つ人や美意識を持つ人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。体裁ばかり考えてダサい者を嫌悪する傾向がある10代~20代の若者によく効く。
株主資本主義者は「労働組合の主張に従うと日本の国際競争力が落ち、日本が発展途上国に転落する」と言うことがある。これは、社内などで競争に明け暮れていて敗北や転落を恐れる心を抱えている人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。特に、組織の中で出世競争に明け暮れている傾向がある30代~40代の者によく効く。
株主資本主義者は「労働組合を結成するのは時代の流れに合っておらず、時流に乗ることができておらず、古い時代の感覚に凝り固まっており、時代遅れであり、新しい時代に対応できていない」とか「労働組合を結成せず一人で生きるのは時代の流れに合っており、時流に乗っており、古い時代の感覚からしっかり脱却しており、最先端の生き方であり、新しい時代に対応できている」と言うことがある。これは、時代遅れの生き方をする人への軽蔑心を持つ人や、「時流に乗っている優秀な人と思われたい」という名誉欲を持つ人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。特に、時代遅れと言われると傷つく傾向がある50代~60代の者によく効く。
株主資本主義者は「労働組合は正社員の既得権益なので打破すべきだ」と言うことがある。これは、経済的な苦境に陥って既得権益への嫉妬心が増幅している人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。
株主資本主義者は「労働組合は『働かざる者食うべからず』の格言に反する存在で、生産力よりも多くの消費をしようとする怠け者の溜まり場であり、高望みをしようとするワガママな人たちの集団であり、享楽にふける不道徳な者たちの団体である」と言うことがある。これは、道徳論を気にして怠け者を軽蔑する気持ちを持つ人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。また、「現代の日本の庶民は昔よりも生活水準が向上していて、江戸時代や明治時代の大富豪と同程度の生活をしている」などと述べてから、「それなのに彼らは、きわめて恵まれていることに気付かず、ただひたすら高望みをしようとしていて、もの凄くワガママである」と述べて、「彼らは高望みしている」という言葉をさらに引き立たせる工夫をすることもある。
株主資本主義者は「労働組合の参加者は極左で、革マル派・中核派といった極左暴力集団とつながりがある過激派であり、反日で、中国・韓国とつながりがある卑劣な売国奴であり、日本の名誉と尊厳を傷つけて日本を破壊している」と言うことがある。これは、愛国心を持つ人や国家の敵に対する憎悪心をもつ人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。
株主資本主義者は「労働組合を放置すると日本が共産化する」などと言うことがある。これは、共産主義への嫌悪感を持つ人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。
ちなみに労働組合は構成員の数を増やしたり維持したりすることが組織としての大目標である[18]。労働組合が過剰に政治思想を打ち出すと組織の分裂に行き着いてしまい大目標を達成できない。ゆえに労働組合は政治思想の過剰な表明を控える傾向がある。だから「労働組合を放置すると日本が共産化する」というのは、あまり現実的ではない。
株主資本主義者は「労働組合は順法闘争をするような連中で、極めて迷惑な存在である」と言うことがある。これは、時間厳守が大好きなすべての日本人に対して労働組合を嫌悪させる効果がある。さらには1970年代国鉄における労働組合の順法闘争を憶えている世代の人々に対して労働組合を激しく憎悪させる効果がある[19]。
労働組合を罵倒するときの株主資本主義者は、多彩な表現を駆使して人々の嫌悪感情・憎悪感情をとても上手に刺激する。
株主資本主義者は労働者が労働三権を行使することを恐れており、どうにかしてそれを阻止しようと考えている。
株主資本主義者は「自由及び権利には責任及び義務が伴う」と労働者に言い聞かせることがある。この言葉を聞かされた労働者は、「労働三権を行使したら責任を取らされたり義務を課せられたりする。自分たちはただの労働者なので責任を果たしたり義務を実行したりする経済的実力がない」と考えて萎縮するようになり、労働三権を行使しなくなる可能性がある。
ちなみに「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という思想は欠点が見受けられる思想である。詳しくは当該記事を参照のこと。
株主資本主義者は労働者が労働三権を行使することを恐れており、どうにかしてそれを阻止しようと考えている。
株主資本主義者は、労働者に対して副業を解禁することがある。株主資本主義が流行る国では、直接金融や商品投資[20]でお金を儲けるマネーゲームを副業とすることや、動画を配信して投げ銭をもらうなどの業務を副業とすることが流行することになる。
副業が解禁されると、労働者が副業に熱中するようになり、「労働組合の運動は自分の副業の邪魔である」と考えるようになり、労働三権を行使しなくなる。これは株主資本主義者が心から望むことである。
また副業が解禁されると、企業経営者は労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら副業をしてお金を増殖しろ」という態度をとりやすくなり、心理的に賃下げしやすくなる。このことも株主資本主義者が心から望むことである。
株主資本主義が広まった国では労働者の賃下げが進んで労働者の生活が苦しくなっていき、労働組合を結成しての賃上げ運動が盛り上がらない。このため株主資本主義のもとで低賃金に苦しむ労働者にとって、副業は生活の糧を得るための救世主となる。
株主資本主義が広まって労働者の賃下げが進み、苦境に陥った労働者が副業として株式投資に手を出すと、その労働者は「企業はもっと労働者を賃下げして税引後当期純利益をひねり出して配当金をよこせ。政府は労働者の賃下げが進むような政策を実行しろ。政府系の公的職場の労働者を賃下げして世の中の賃下げの気運を作れ」と心から願うようになる。賃下げに苦しむ労働者が、労働者の賃下げを望むようになる。こういう姿は被虐主義(マゾヒズム)と表現することができる。または、肉屋を支持する豚と表現することもできる。
株主資本主義者は、数ある業務の中でもマネーゲーム(直接金融や商品投資)を副業として労働者に対して奨める傾向がある。マネーゲームは射幸心を強く煽ることができ、いったんハマると夢中になるからである。
株主資本主義者がマネーゲームを推奨するときは「個人が努力して金儲けすることを奨励すべきだ。努力している人の足を引っ張るべきではない。個人投資家を増やそうとしないのは成功者に対する醜い嫉妬心が原因だ」という言い回しを使い、「マネーゲームに反対する者は嫉妬に狂っているだけだ」とレッテル貼りをしていく。
また株主資本主義者がマネーゲームを推奨するときは「間接金融を支持して銀行預金を持っているだけの人は、ボーッと生きているのであり、時代の流れに対して鈍感であり、世間の動向に対してアンテナを張っておらず、怠け者である。一方、マネーゲームを支持して銀行預金以外の資産を持っている人は、シャキッと生きているのであり、時代の流れに対してとても敏感であり、世間の動向に対してアンテナを張っていて、勤勉である」という風に語り、「マネーゲームに反対する者はボケーッとした怠け者だ」とレッテル貼りをしていく。
そもそもマネーゲームというのは、利益が全く保証されておらず不安定で不確実なものであり、射幸心を強く煽るものであり、パチンコやパチスロや競馬や競輪や競艇といった賭博(ギャンブル)と同じ性質を持つものであり、推奨しにくいものである。このためマネーゲームを推奨するときは、「マネーゲームをしない者は嫉妬している怠け者だ」などとレッテル貼りして罵倒するという過激な手段を使わないと上手くいかない。
副業を解禁してしまうと、労働者が本業に集中しなくなる危険がある。「ラーメン屋の従業員が動画編集に熱中してラーメンの味が落ちる」「パソコンを使って仕事をしている人がスマホでFX取引(外国為替証拠金取引)の様子を観察することに熱中してパソコンへの入力を間違える」というようなことが起こりやすくなってしまう。本業を怠る人の割合が少しずつ増え、企業の実力が落ち、文明の発展に陰りがみられるようになる。
また副業を解禁してしまうと、労働者が貴重な余暇を副業に費やすことになり、消費を冷え込ませてデフレになる危険がある。
特にマネーゲームを副業にすることを解禁すると、それを副業にする労働者は情報を豊富に収集して入念に分析してから決断を下すようになり、大量の時間を費すようになり、余暇を削るようになり、金稼ぎに忙殺される人生を送るようになる。
「寝ても覚めてもお金を増やすことばかり考える」「10万円をもらったら消費に回さずに投資に使う」「100万円を稼いだら消費に回さずにさらに投資の勉強をする」という労働者が増える危険があり、消費を冷え込ませてデフレをもたらす危険がある。
マネーゲームを行いながらそれらについてTwitterでお喋りする人がいる。そういう人たちの集団は「株クラスタ」とか「株クラ」と呼ばれる。株クラの人たちが投資に関する情報収集や情報分析に明け暮れている様子は、Twitterを通じていくらでも観察することができる。
マネーゲームに関する情報収集と情報分析は、経済の躍動を実感できる体験であり、刺激に満ちあふれて楽しいという好ましい一面がある。しかし、余暇を削って人々の消費を抑制するという好ましくない一面がある。
マネーゲームのために労働者が余暇を削るようになると、労働者が自己決定権(人生の設計をする権利)の一部を回復不可能なほど永続的に喪失する危険が発生する。簡単な例を挙げると、「金儲けに夢中になりすぎて、友達・家族を回復不可能なほど永続的に失って、人生の設計をする権利の一部を回復不可能なほど永続的に失う」ということである。
株主資本主義が抑制される国では、人々が自己決定権の一部を回復不可能なほど永続的に喪失することを防ぐために、人々が保有する基本的人権を制限することがある。これを「限定されたパターナリスチックな制約」という。つまり、政府が「人々が余暇を喪失して友達・家族を回復不可能なほど永続的に失うことを防ぐため、マネーゲームに規制を掛ける」という政策を実行して、人々の経済活動の自由を制限する可能性がありうる。
株主資本主義が抑制される国では間接金融が主力となり、それと同時にマネーゲームに対して様々な規制が掛けられる。そのため個人が財テクする手段は、銀行への定期預金ぐらいに限られており、選択肢が狭い。しかし、銀行は金融庁の厳しい監督を受けている団体であり、財務体質が良好であることが非常に多い団体であり、預金者に定期預金を返済できなくなる危険が非常に少ない団体である。個人にとって、銀行の経営状況についての情報を収集する必要が少なく、余暇が十分に残りやすい。
株主資本主義者が天下国家を語るとき、小さな政府を志向し、かつての三公社五現業のような国の現業を消滅させる民営化を推進する傾向がある。「官から民へ」「民間にできることは民間に」というスローガンを繰り返して[21]、国の現業を完全消滅させるのが株主資本主義者である。
国の現業というのは、政府の一部門や公共企業体(公社)が国会に議決された予算に基づいて権力を行使せずに財・サービスの提供をすることである。日本を始めとして様々な国で財政民主主義が導入されているが、そういう国で現業をすると、「我々の職場は国会に支持されており、絶対に倒産しない」とか「我々が活発に労働運動をしても、我々の職場は決して倒産しない」と確信して安心する労働者が非常に多く発生し、国内の労働運動を引っ張っていく労働者が非常に多く発生し、国内の労働運動が活発化して賃上げが基調となる国になる。
民間企業の労働組合というのは御用組合になることが多く、「我々が活発に労働運動をすると我々の職場が倒産してしまう」と不安に思って恐怖する労働者ばかりで構成されており、国内の労働運動を引っ張っていく力を持っていない。
このため、株主資本主義者は国の現業を敵視し、民営化を推進する。国内の労働運動を引っ張るような強力な労働組合を消滅させ、国内の労働運動を引っ張れない軟弱な御用組合だけにするのが株主資本主義者の理想である。
また、国の現業の職場というのは国会の支持を受けた職場であり、多くの人に「絶対に消滅しない」と確信される職場であり、終身雇用になることが確実な職場である。そうした職場が民間企業と一緒になって労働市場に参加して労働者を奪い合うと、民間企業は「我々も終身雇用を労働者に約束しよう。さもないと国の現業に労働者が流れてしまう」と意識するようになり、その結果として、世の中の多くの企業が終身雇用を維持するようになる。このため、国の現業が多い国では終身雇用が増え、国の現業を減らした国では終身雇用が崩壊する[22]。
終身雇用というのは不景気で収益が減ったときに人件費を急減させることができない雇用形態であり、不景気の時に税引後当期純利益を減らす可能性を高める雇用形態であり、株主資本主義者にとって打倒すべき雇用形態である。終身雇用を破壊するために、株主資本主義者は国の現業を民営化することを目指す。
株主資本主義者の主張するとおりに国の現業を廃止し、民間企業に事業を委託しつつ民間企業に対して一切干渉しない状況にすると、民間企業がピンハネ(中間搾取・中抜き)に励むようになり、5次下請けとか8次下請けといった多重請負の状況に発展する[23]。労働者を極めて低い賃金で働かせるブラック企業が非常に安い金額で仕事を請け負った時点でやっと多重請負が止まる。ブラック企業が暗躍する社会になり、世の中の労働者の賃金が下がっていく。
国の現業を維持すると、政府が労働者へ適切な水準の給与を直接払うことになり、民間業者がピンハネすることができなくなり、ブラック企業が暗躍しにくくなる。
以上のことをまとめると、国の現業というのは一種の装置であり、「労働運動支援装置」「労働待遇向上装置・賃上げ装置・公益装置」「終身雇用普及装置」「ブラック企業抑制装置」という性質がある。
「国の現業」の短所というのは、民間企業に比べて比較的にコスト意識・効率化意識が低く、進取の精神が比較的に薄く、サービス精神も比較的に低いところである。
一方で民間企業の長所と短所は「国の現業」と全く逆となる。民間企業の長所は「国の現業」に比べて比較的にコスト意識・効率化意識が高く、進取の精神が比較的に濃く、サービス精神も比較的に高いところである。民間企業の短所は「人件費を削減して税引後当期純利益と利益剰余金を作り出そう」という欲が強く、労働者の待遇を悪化させたがる癖があるところである。
「国の現業」と民間企業の違いを表にまとめると次のようになる。
| 民間企業 | 国の現業 | |
| 長所 | コスト意識・効率化意識が高く、進取の精神が濃く、サービス精神が高い | 労働待遇向上装置・賃上げ装置・労働規制装置である。労働市場で労働者を奪い合っている民間企業に「労働者の待遇を向上させないと官営事業に労働者を奪われてしまう」と考えさせ、民間企業の労働者待遇の向上に貢献する |
| 短所 | 労働者の待遇を悪化させて人件費を削減し、税引後当期純利益や利益剰余金を稼ごうとする傾向がある | コスト意識・効率化意識が低く、進取の精神が薄く、サービス精神が低い |
このように「国の現業」と民間企業は一長一短であり、どちらも国家の発展にとって必要な存在である。しかし株主資本主義者はそうした現実を直視せず、ひたすら「国の現業」の欠点をあげつらい、民間企業の欠点をひた隠しにして、民尊官卑の言動を繰り返して、「国の現業」を叩き潰そうとする。
ちなみに、現業には「国の現業」と「地方の現業」の2種類があるが、「国の現業」の方が「地方の現業」よりも大規模な事業になりやすい。日銀は不換銀行券を通貨として発行しており、さらに「不換銀行券に交換できる中央銀行預金」を通貨と同等のものとして発行しており、つまり通貨や「通貨と同等のもの」を全く負担無しに発行できる存在である。そして政府というのは日銀法第4条に基づいて日銀に影響を与えることができ、国会の議決を受けたあとに国債を発行して日銀が発行する通貨や「通貨と同等のもの」を好きなだけ獲得できる。一方で地方公共団体は日銀に影響を与えることができず、地方議会の議決を受けた後に地方債を発行して日銀が発行する通貨や「通貨と同等のもの」を獲得するということを円滑に行えない。
このため株主資本主義者が最も敵視するのは「国の現業」である。「地方の現業」は大規模な事業になりにくく、株主資本主義者にとって大きな脅威ではない。
株主資本主義者が天下国家を語るとき、小さな政府を志向し、非現業に従事する労働者を削減することを推進する傾向がある。「小さくてスリムで賢く効率的で無駄がない政府」というスローガンを繰り返して、国の非現業を徹底的に少数にするのが株主資本主義者である。
国の非現業というのは、政府が国会に議決された予算に基づいて権力を行使する業務を行うことである。日本を始めとして様々な国で財政民主主義が導入されているが、そういう国において非現業の労働者は「我々の職場は議会に支持されており、絶対に倒産しない」と安心することになる。
非現業に従事する労働者は、現業に従事する労働者よりも、数が少なく、また争議行為に対する罰則が重いので[24]、労働運動をする力が弱い。しかし、非現業も現業も、「職場が絶対に倒産しない」という安心感を労働者に与えることは共通している。
国の非現業の職場というのは国会の支持を受けた職場であり、多くの人に「絶対に消滅しない」と確信される職場であり、終身雇用になることが確実な職場である。そうした職場も民間企業と一緒になって労働市場に参加して労働者を奪い合っている。
国の非現業の職場が雇用を減らすと、民間企業は「我々が終身雇用を労働者に約束しなくても大丈夫だ。そうしても国の非現業に労働者が流れない」と意識するようになり、その結果として、世の中において終身雇用が崩壊するようになり、株主資本主義者にとって理想の社会になる。
株主資本主義者が主張するとおりに政府の人員を極限まで減らし、「一切の無駄がない小さな政府」にすると、コロナ禍のような有事に対する対応力が急激に低下する。「平時の無駄は有事の余裕」という格言が示すように、無駄をそぎ落とした状態の政府は有事に対してとても脆弱になる。
株主資本主義者は、公務員の人員を削減するとき「有事が全く発生せず平時が永遠に続くことを大前提としていて、一種の平和ボケである」という批判を浴びて名誉を失うことになる。しかし、株主資本主義者は自らの名誉を失うことをしっかり耐え抜き、世の中の終身雇用を1つでも減らして自らの利益を増やすことを優先している。
新自由主義が主導権を握る国では政府の予算が減らされて政府が人手不足になる。そのため政府がボランティア頼みとなり、民間人をタダ働きさせることが恒例となる。政府高官が「皆さんの協力がないと○×というイベントが成功しません」と宣言し、民間人の「自分たちが協力しないと○×というイベントが失敗してしまう。もし○×というイベントが失敗したらそれは自分たちのせいである」という責任感や罪悪感を刺激し、民間人の労務を無料で享受し[25]、やりがい搾取を行っていく。
政府のそういう姿を見て、ブラック企業の経営者が「我々も政府の真似をしよう」と考えるようになり、従業員に向かって「君たちのサービス残業がないと会社が倒産します」と宣言し、従業員の「自分たちがサービス残業しないと会社が倒産してしまう。もし会社が倒産したらそれは自分たちのせいである」という責任感や罪悪感を刺激し、従業員の労務を無料で享受し、やりがい搾取を行っていく。
株主資本主義の国では政府が率先垂範してブラック企業に手本を示すので、国内のブラック企業が大いに勇気づけられて勢いよく躍動する。
株主資本主義者は、小さな政府にして国や地方の非現業の人員を減らし、国や地方の規制を緩和することを好む。
規制緩和をすることで、企業は規制に対応するための人員を確保しなくて済むようになり、人件費を大いに減らすことが可能になる。
企業に対する規制が強い国では、規制を実施する監督官庁の退職者を企業が雇用する現象が多く発生する。つまり天下りの受け入れが多く発生する。退職者を雇用することで監督官庁との人脈を構築できるし、監督官庁の組織風土を把握することもできるからである。しかし、こういうことは人件費が増えることにつながるので、株主資本主義者がひどく嫌うことである。
株主資本主義者にとって小さな政府というのが理想である。株主資本主義者はその理想を達成するため、政府というものをあらゆる手段で徹底的に罵倒して、人々が政府を嫌悪するように仕向けていく。
株主資本主義者は、政府の権力を強化して大きな政府を目指そうとする政治勢力に対して、「彼らは共産主義者・社会主義者であり、彼らのいうとおりにするとソ連や北朝鮮や毛沢東時代の中国のようになる」とか「彼らはファシスト・全体主義者であり、彼らのいうとおりにすると戦前戦中の軍国主義日本やナチス・ドイツのようになる」といった具合にレッテル張りをして、猛烈に批判する。このように聞く人々の恐怖心を煽って「意思決定の自由」を侵害して困惑させる株主資本主義者の姿は、カルトとよく似ている。
株主資本主義者の中には、冷戦時代・昭和時代まで反共の闘士だった人が多い。そのため反共の思想を織り交ぜつつ政府を罵倒することは手慣れたものである。
株主資本主義者は、公務員のスキャンダルや不祥事を大いに話題にして、「公務員はたるんでいる」とみんなが糾弾するように仕向けて、民尊官卑の風潮を作りあげる。
株主資本主義者は「国の現業は不採算部門そのものであり、利益を食いつぶしていて、赤字垂れ流しの状態なので、国の現業を削減するのが当然のことだ」と主張する。「垂れ流し」とは汚水を排出する公害企業を連想させるネガティブな表現である。株主資本主義者は、相手のイメージを悪くさせるネガティブ表現を駆使するのが上手い。
株主資本主義者はときおり租税財源説を語り、「税金は財源」と語る。租税財源説の特徴の1つは、「政府は他者加害原理に基づかずに人々の財産権を侵害している」と論じて人々が政府を嫌悪するように煽る性質がある点である。
株主資本主義者にとって小さな政府というのが理想である。株主資本主義者はその理想を達成するため、財政破綻論や「日本円建て国債は子孫を苦しめる」という論理を繰り返し語って人々の不安と恐怖を煽る。
①日本には日銀法第4条があり、日本銀行に対して日本政府の経済政策の基本方針と整合的な金融政策をとるように義務づけている。そして②日本政府が通貨として採用しているのは日本銀行が発行する不換銀行券であり、日本銀行が全く負担無しで発行できるものである。以上の①と②から、日本政府は日本円建ての国債をどれだけ発行しても決して返済不可能に陥らず、財政破綻しない。また日本政府は日本円建ての国債をどれだけ発行しても日銀の支援を得て返済できるのであって子孫への増税に頼る必要が発生しない。
株主資本主義者は以上の①と②を意図的に忘却し、「日本政府は日本円建て国債を返済しきれずに財政破綻する」とか「日本円建て国債は子孫の負担を増やして子孫を苦しめる」と繰り返し語っている。②を意図的に忘却するときの株主資本主義者は商品貨幣論の支持者になる傾向がある。
株主資本主義者は「日本政府は日本円建て国債を返済しきれず、財政破綻するか、もしくは将来に増税をする」と不安を煽りつつ「日本政府はこれ以上日本円を借金できるわけがない」と論じ、「日本政府は緊縮財政や小さな政府を目指すしかなく、積極財政や大きな政府を目指すことなどありえない」という結論を導こうとする。
株主資本主義者の語る財政破綻論は、人々の不安と恐怖を煽り、人々の「意思決定の自由」を阻害し、人々を困惑させるものである。そうした姿はカルト宗教団体と酷似している。カルト宗教団体は、人々の不安と恐怖を煽り、人々の「意思決定の自由」を阻害し、人々を困惑させることを常習とする団体である。
「日本円建て国債は子孫を苦しめる」と主張するときの株主資本主義者に最もよく似ているカルト宗教団体というと統一教会である。統一教会は「あなたの行いであなたの子孫は地獄に堕ちて苦しむことになる」と言って信者の不安と恐怖を煽ることを得意としている。ハッキリ宣教師の「あなたの行いであなたの子孫が苦しむ」という説法はその好例である。
株主資本主義者が天下国家を語るとき、緊縮財政を志向し、「身を切る改革」「構造改革」「行財政改革」「行政改革」「財政改革」と称し、非現業への予算を縮小し非現業に従事する労働者の給与を削減することを推進する傾向がある。
株主資本主義者は「改革」という好ましいイメージが付着した言葉を使って自らの支持する政策のイメージを向上させる傾向がある。
公務員の給与を削減するときは人事院の勧告~内閣の法案提出~国会による法案議決という手順をたどる[26]。
非現業公務員の給料を引き下げることで優秀な人材が民間企業へ流れるようになり、官公庁の士気と実力が低下する。また、非現業公務員の給料を引き下げることで、労働市場において政府・地方公共団体と労働者を奪い合っている民間企業が「労働者の給料を引き下げても政府や地方公共団体に労働者を奪われない」と安心するようになり、労働者への給料を引き下げるようになり、世の中全体の賃下げが進む。
株主資本主義者は小さな政府を理想視しており、「国の現業」を民営化して「国の非現業」の予算を削減することを好む。しかし、株主資本主義者の中にも例外があり、自衛隊・海上保安庁・刑務所・警察・消防といった治安部門に対して特別に優しい態度になる者がいる。小さな政府を志向しつつ治安部門を特別に優遇することを夜警国家という。
自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は、法律によって労働三権をすべて否定されていて、上司が無茶な労働強化の要求をしてきても反抗せずに従う存在である。政府や地方公共団体に直接雇用されて安定した給与を得ているが、労働組合を結成することができず、世の中の労働組合運動に参加することができず、労働弱化や賃上げの気運を世の中に広めることができない。
自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は政府や地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているので、その部分は株主資本主義者にとって気に入らない。しかし自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は労働組合を作らないので、その部分は株主資本主義者にとって歓迎できる。
ちなみに、株主資本主義者が最も理想とする労働者は「民間企業に雇用されることで給料の不安定性・不確実性に悩まされていて、なおかつ労働組合に参加しない労働者」である。給料の不安定性・不確実性に悩まされているという部分が株主資本主義者にとって素晴らしいことだし、労働組合活動をしないという部分も株主資本主義者にとって大歓迎である。
他方で、「自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士以外の非現業公務員」や現業労働者は、労働三権のうち団結権と団体交渉権を認められており、上司が無茶な労働強化の要求をしてきたら労働組合を通じて反抗する存在である。政府や地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれており、そしてなおかつ労働組合の活動をすることができるので、世の中の労働組合活動の先頭に立つことが多く、労働弱化と賃上げの気運を世の中に広める可能性が極めて高い。株主資本主義者にとって「理想から最もかけ離れた労働者」であり、永遠の敵であり、不倶戴天の敵である。
以上のことを表にまとめると次のようになる。
| 民間企業に雇用されることで給料の不安定性・不確実性に悩まされていて、なおかつ労働組合に参加しない労働者 | 政府・地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているが、労働組合に参加しない労働者 | 政府・地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれていて、なおかつ労働組合に参加する労働者 | |
| 代表例 | 2020年12月以前のGAFA(米国巨大IT企業4社)の従業員 | 自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士 | 官公庁職員、郵便局員、国鉄職員 |
| 国内における労働組合の運動に対して | 「我関せず」「自分には関係ない」という態度をとる | 「我関せず」「自分には関係ない」という態度をとる | 積極的に参加し、主導していく |
| 株主資本主義者にとって | 理想の労働者 | 半分理想、半分気に入らない | 永遠の敵、不倶戴天の敵 |
株主資本主義者にとって国内の労働組合の活発化を抑え込むことは最大の課題である。夜警国家を採用して治安部門の雇用を増やすことは国内の労働組合の活発化に直結しないので、株主資本主義者にとって許容範囲内の政策である。
先述のように、自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士というのは株主資本主義者にとって「半分理想、半分気に入らない」という存在であるが、反・株主資本主義の支持者(ステークホルダー資本主義の支持者)にとっても「半分理想、半分気に入らない」という存在である。
自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は政府・地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているので、世の中の民間企業に「我が社も従業員に給料の安定性・確実性を保障しよう。そうしないと労働者が自衛隊・海上保安庁・刑務所・警察・消防に流出する」と考えさせる存在であり、その部分は反・株主資本主義者にとって好ましい。しかし自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は労働組合を結成できず、世の中の労働組合活動に参加できない存在であり、その部分は反・株主資本主義者にとって好ましくない。
企業が労働者を簡単に解雇できるようにすることを「解雇規制の緩和」という。株主資本主義者はこの政策を大いに支持する。解雇規制の緩和の具体例は、アルバイト・パート・派遣社員・契約社員といった非正規雇用の形態で従業員を雇用することを解禁する政策である。
解雇規制を緩和するだけではなく、官公庁や学校のような非現業の公的職場が率先して非正規雇用をする。そうすることで世の中の企業に「政府や地方公共団体を見習ってどんどん非正規雇用を拡大すべきだ」とメッセージを送る。これを官製ワーキングプア(官製ワープア)という。日本政府は教育分野でそうした政策を実行しており、2012年の時点で非正規教員の割合が全体の16.1%になっている(記事)。
解雇規制の緩和により終身雇用が破壊される。先述のように、終身雇用というのは不景気で収益が減ったときに人件費を急減させることができない雇用形態であり、不景気の時に企業の税引後当期純利益を減らす可能性を高める雇用形態であり、株主資本主義者にとって打倒すべき制度である。
解雇規制を緩和すると、不景気で業績不振に陥って収益を低下させた企業が、人件費を一気に削減して税引後当期純利益を確保し、倒産を簡単に回避するようになる。つまり、企業が人件費を「景気に対応する調整弁」として使うようになる。
株主資本主義者の言うとおりに解雇規制を緩和して、それから不景気になると、企業がしっかり生き残って従業員が路頭に迷うことになり、まさしく滅私奉公を絵に描いたような社会になる。
株主資本主義者というと小さな政府の信奉者であり、強大な政府を批判することに余念が無く、「戦前の軍国主義日本では自由が封殺され、滅私奉公が強制され、『お国のために命を捨てて奉公せよ』という社会になった。そんなことを繰り返してはならず、政府の権力を制限して小さな政府を実現せねばならない」と熱心に主張するのが常である。
表向きはそのようなことをいうのだが、実際の株主資本主義者は「企業栄えて従業員滅ぶ」の滅私奉公を非常に好み、「企業のために『解雇されずに済む権利』を捨てて奉公せよ」という社会を理想とし、解雇規制をひたすら緩和しようとする。
「一将功成りて万骨枯る」ということわざがあり、1人の将軍に手柄をもたせるため数万の兵士が犠牲になる、という戦争の現実を捉えた表現である(資料)。株主資本主義者の言うとおりに解雇規制を緩和して、それから不景気になると、「企業生き残りて万骨枯る」といった社会になる。
新自由主義に従って解雇規制を緩和すると、「ひたすら労働強化して従業員を酷使し、過酷な労働の結果として従業員が『疲れ果てた抜け殻』になったら従業員を解雇する」という企業経営が可能になる。良心のタガが外れた企業経営者が増え[27]、人から効率的に労働を絞り取る企業経営の手法が世の中に広がっていく。
反・新自由主義が主張するように解雇規制を強化すると、従業員が『疲れ果てた抜け殻』になっても企業は従業員を解雇できなくなる。このため企業経営者の間で「労働強化して従業員を酷使して従業員が『疲れ果てた抜け殻』になってしまったら、その従業員を解雇できず、企業経営にとって重い負担となる。ゆえに従業員の酷使をやめよう。従業員が抜け殻になってしまうことを避けよう」という判断が広まり、人から効率的に労働を絞り取る企業経営の手法が世の中から減っていく。
解雇規制の緩和には大きな欠点がある。解雇規制の緩和をすると、経営者の権力が劇的に増強され、従業員の自由が一気に制限され、専制君主のようなワンマン社長が増えることになる。すべての従業員は経営者の機嫌を取ることを最優先に考えるようになり、仕事に対する集中力を減らしていく。そして企業が「解雇の権限を持つ経営者」と「解雇されるがままの従業員」で構成される階級社会となり、企業の中で「階級が異なる人に話しかけることは止めておこう」という気運が広がり、従業員が経営者に対して積極的情報提供権(表現の自由)を行使することをためらうようになり、風通しが悪くなる。企業の中で情報の流通が阻害され、欠点がいつまで経っても残り続けるようになり、発展せずに停滞するようになる。
株主資本主義者は「解雇規制と終身雇用の維持のため低賃金になる」という見解を持つことを好む。その見解に従って「賃上げのために解雇規制を緩和して終身雇用を廃止しよう」と主張するのがいつもの姿である[28]。
一方、反・株主資本主義者(ステークホルダー資本主義の支持者)は、「解雇規制を緩和して終身雇用を否定するという手法で労働組合を弱体化させたことで、成果主義・能力主義の給与体系が導入されて低賃金になった」と主張する。
株主資本主義者は「解雇規制と終身雇用が賃下げを生む」と考え、反・株主資本主義者は「解雇規制の緩和と終身雇用の否定が労働組合の弱体化を生み、そして賃下げを生む」と考える。両者は、賃下げの原因を分析することにおいて、明らかに正反対の考え方をしている。
両者の違いを明らかにするため表にすると、以下のようになる。
| 株主資本主義 | 反・株主資本主義 | |
| 賃下げの原因は何か | 解雇規制と終身雇用 | 解雇規制を緩和して終身雇用を崩壊させるという方法で労働組合を弱体化させたこと |
| 賃上げするにはなにをしたらいいか | 解雇規制を緩和して、終身雇用を崩壊させる | 解雇規制を強化して、終身雇用を維持させて、労働組合の活動を活発化させる |
株主資本主義が盛んになる国で重視されるのは観光業である。「観光立国」という看板を掲げ、インバウンド(外国人観光客)をひたすら呼び込もうとする。
株主資本主義が勢いを持つ日本では、2006年に観光立国推進基本法が可決された。そして2016年にIR推進法が可決され、2018年にIR実施法が可決され、IR(統合型リゾート)を整備する法律が作られた。これらの法律によって、カジノなどの施設を作って外国人観光客を呼び込もうとする政策が推進される。
観光業というのは、株主資本主義者にとって非常に好ましい産業である。観光業というのは正規雇用が少なくて非正規雇用が多いことで有名である[29]。観光業は繁忙期と閑散期の波が激しく、正規雇用して正社員を増やすことが難しく、アルバイト・パート・派遣社員・契約社員といった非正規雇用の形態で従業員を雇用せざるをえないのが実情である。
株主資本主義者は解雇規制の緩和を目指しており、「正社員は解雇しにくく、まさに既得権益である。正社員という雇用形態を消滅させて、全ての労働者を解雇しやすい非正規雇用にしてしまおう」と論ずることが多い[30]。そうした株主資本主義者にとって、非正規雇用が多い観光業はまさしく理想の業種である。
非正規雇用の割合が多い観光業を増やすことで、観光業以外の業種に勤める人々に対して「観光業の人たちが非正規雇用で生活しているのだから、君たちも非正規雇用で生活できるはずだ」と同調圧力を掛ける。これが株主資本主義者の目標の1つである。
反・株主資本主義者(ステークホルダー資本主義の支持者)は、「正規雇用が多い業種を育成し、給料の確実性・安定性に恵まれた労働者を増やすべきだ」と論じるのが常である。そして「観光業を重視すると世の中の非正規雇用が増えてしまい、給料の不確実性・不安定性に悩まされる労働者が増えてしまう」と論じ、観光立国の政策に対して反対の立場を取ることが多い[31]。
株主資本主義者は観光業を重視するので、休日分散についても賛成する傾向がある。
休日分散とは、1つの国をいくつかの地域に分け、地域ごとに大型連休をずらして取得させることをいう。例えば、「5月1日~5日に北海道・東北・関東甲信越が休暇に入り、5月6日~10日に東海・関西・中国・四国・九州・沖縄が休暇に入る」といった具合に休暇を分散させる。
休日分散の利点は、道路の渋滞や新幹線・飛行機の混雑が減り、宿泊施設の宿泊代も安くなり、観光業にとっての閑散期が減って観光業の企業の売上が増える、といったところである。従来どおりに全国一斉に休暇を取ると、道路の渋滞や新幹線・飛行機の混雑が強烈になり、宿泊施設の宿泊代も高くなり、観光業にとっての閑散期が発生して観光業の企業の売上が低いままになる。
休日分散の大きな欠点は、遠隔地に住む友人・家族と同時に休暇を取ることができず、人々の間で分断が進んでしまうところである。先ほどの例のように「5月1日~5日に北海道・東北・関東甲信越が休暇に入り、5月6日~10日に東海・関西・中国・四国・九州・沖縄が休暇に入る」という制度を導入すると、「北海道で就職した人が5月3日になって関西に帰省しても、関西に住んでいる友人・家族は休暇期間に入っておらず、会えない」というような、非常に残酷なことになる。
株主資本主義者というのは成果主義・能力主義を推進するところがあり、格差社会・階級社会の出現を望むところがあり、階級社会の意識が強い。階級社会の意識が強くなると「階級が異なる人と情報を交換して仲良くしよう」という気運が薄れ、「みんな一斉に休日をとって同窓会などを開いて交流しよう」という気運が薄れ、社会の分断を肯定する気持ちが生じ、休日分散に賛成する気持ちが生じるようになる。
株主資本主義者は解雇規制の緩和と終身雇用の破壊を好む。その理由は「不景気の時に人件費を急減させて税引後当期純利益を確保できるようにするため」というものがあるが、それ以外には「労働者の消費意欲を破壊して、労働者が賃上げを志向しなくなるようにするため」というものがある。
解雇規制の緩和で解雇されるリスクが増えて将来の給料の不確実性が増大した労働者は、給料の不確実性に備えるため貯蓄に励むようになり、消費を嫌がるようになり、倹約・節約志向になり、結婚・子作りを避けるようになる[32]。そういう労働者が増えると世の中の需要が減っていき、デフレになっていく。
消費意欲が消え失せた労働者は、「消費のために給与を何が何でも増やさねばならない」と考えることがなく、企業に対して賃上げを求めない。世の中がそういう労働者ばかりになったら、賃上げの気運が育たなくなり、株主資本主義者にとって理想の楽園となる。
ちなみに消費というのは、消費者が生産者に情報を提供する行為であり、消費者が生産者を教導・教育する行為である。消費者がお金を払ってより良い製品を購入することで、生産者は製品の良し悪しを理解することができる。消費者が生産者に対して「この部分が良くてあの部分はダメだ」と誉めたり叱ったりすることで生産者は製品をさらに理解することができる。
生産者というものは、生産することばかりに気を取られて製品の良し悪しに気づかないことが、しばしばある。このため消費者からの情報提供があると大きな助けとなる。
解雇規制の緩和をすると国内の消費が減少し、消費者から生産者へ情報が流れる現象が減っていき、生産者が消費者から良質な情報を受け取れなくなり、生産者の技術力が停滞する。
株主資本主義が主導権を握る国では、消費税が増税されていく傾向にある。
消費税が増税されると、買い物に対して巨額の罰金が発生するようになり、労働者を含むすべての人の消費意欲が薄れ、すべての人が消費を嫌がるようになり、倹約・節約志向になり、買い物を楽しみにしなくなる。消費税10%の国で110万円の物品を購入すると領収書に「物品100万円 消費税10万円」と記載されるのだが、こういう数字を見る消費者は「消費は悪いことである」という思想を持つようになり、倹約好みの性格に変貌していく。
消費意欲が消え失せた労働者は、「消費のために給与を何が何でも増やさねばならない」と考えることがなく、企業に対して賃上げを求めない。世の中がそういう労働者ばかりになったら、賃上げの気運が育たなくなり、株主資本主義者にとって理想の楽園となる。
株主資本主義者のほとんどすべてが新自由主義者である。新自由主義者というと「政府の規制や税金を最小限にして自由な経済活動を促進しよう」と言って法人税・所得税・相続税・贈与税を減税するように訴えるのがいつもの姿であるが、消費税に対しては妙におとなしくなってあまり抵抗しないことが多い。株主資本主義や新自由主義が盛んな国では消費税が増税されていくという傾向が見られる。
株主資本主義者は、成果主義・能力主義を導入した給与体系を支持する傾向がある。成果主義や能力主義を導入した給与体系をごく簡単に表現すると、「優秀で成果を出している人を賃上げして、無能で成果を出していない人を賃下げする制度」となる。
劣った人ほど自己評価が高く、「自分は優秀で能力が高いのでいくらでも成果を出すことができる」と思い込む傾向がある。そうした心理傾向をダニング=クルーガー効果という。このため劣った人は、株主資本主義者が「成果主義・能力主義を導入して優秀で成果を出している人を賃上げする」と語ると「自分が賃上げされる」と信じ込んで大喜びする傾向があり、株主資本主義者の口車に乗る傾向がある。
優秀な人ほど自己評価が低く、「自分は劣っていてまだ努力が必要な存在であり、さしたる成果を出していない」と思い込む傾向がある。この心理傾向もダニング=クルーガー効果という。優秀な人は「自分は優秀で成果を出している」と言い出さない傾向があり、あまり熱心に賃上げを要求しない傾向がある。そして優秀な人を雇用している経営者は、優秀な人の謙虚な心理を利用する傾向があり、優秀な人に対して欠点を指摘して反省させ、優秀な人が賃上げを要求しないように釘を刺し、賃上げしないで済むように仕向ける傾向がある。このため成果主義や能力主義によって優秀な人が賃上げされるとは限らない。
成果主義や能力主義を導入して「優秀で成果を出している人を賃上げして、無能で成果を出していない人を賃下げする制度」を導入すると、優秀で成果を出している人の賃金がさほど伸びず、無能で成果を出していない人の賃金がはっきりと下落し、全体として賃下げが進む。優秀で失敗を全く犯さない人に対しては「自分は優秀でないかもしれない」という謙虚な心を利用して賃上げを抑制し、無能で失敗をポロポロと犯す人に対しては失敗したことを叩いて賃下げする。
人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、「無能になる時間」を大量に必要とする生物であり、本質的に「無能」な存在である。そのため無能で成果を出していない人を賃下げする制度を導入してしまえば、どのような人に対しても賃下げの圧力を強く加えることができる。
株主資本主義者は「人間が本質的に『無能』な存在であるという現実」と、「成果主義や能力主義を導入した給与体系」という、2つの強力な武器を利用して賃下げに励んでいる。
株主資本主義者が好む成果主義や能力主義を採用すると、労働者の間で「労働組合に入りたくない」という気持ちを持つ者が発生する。労働組合というのは「労働組合に加入する労働者の一律のベア(ベースアップ・基本給賃上げ)を達成しよう」と意気込む団体であり、組合員の間で一種の平等主義がある。このため「成果主義・能力主義の給与体系が導入されたので、頑張って働いて他の人よりも多い給与をもらおう」などと思うようになった者は、平等主義を掲げる労働組合に対して否定的になる傾向が強い。つまり、成果主義・能力主義は労働組合を弱体化させる効果がある。
株主資本主義者が好む成果主義や能力主義を採用すると、企業の人事部(総務部)や経営者が「この従業員は無能である」と認定するだけで従業員の給料を下げることができるようになる。従業員の成果や能力を評価する人事部・経営者の権力が非常に強くなり、従業員の誰もが人事部・経営者の顔色をうかがう社風になり、従業員が萎縮するようになり、自由な社風からほど遠い状態になる。
株主資本主義者というと新自由主義を信奉していることが多く、「全体主義国では自由が封殺される。そんなことが起こってはならず、自由を守り抜かねばならない。そのために政府の権力を最小限にするべきだ」といったことを唱え、自由を尊重して権力を制限することを声高らかに主張する。
口先ではそのようなことをいうのだが、実際の株主資本主義者・新自由主義者は従業員の自由を制限して経営者の権力を増大させる成果主義・能力主義を好む。
成果主義や能力主義の対極に位置する給与体系というと年功主義(年功序列)である。新自由主義の支持者は年功主義の長所を一切認めず、年功序列を徹底的に批判する傾向がある。
年功主義の長所を1つだけ挙げると、経営者の権力を制限して恣意的な賃下げを防止できるところである。経営者が「こいつは気に入らないので『成果を挙げていない』と認定して賃下げしてやれ」と行動することができなくなる。
そもそも成果主義や能力主義というものは、「労働者に支払う賃金」を決める方法に関する思想である。その「労働者に支払われる賃金」というものには2通りの定義を与えることができる。
1つは「労働者から提供された労働力に支払われる対価」という定義であり、株主資本主義者が好む定義である。労働力を商品として扱い、賃金を商品価格と見なすので、商業的な感覚が色濃い定義である。労働力という商品の良し悪しによって賃金が変わるという考え方であり、成果主義・能力主義を生み出す定義である。
もう1つは「『労働者から時間と生命力を奪い取る』という加害行為を懲罰して抑制するための罰金」という定義であり、労働組合の参加者や反・株主資本主義者が好む定義である。商業的な思想ではなく、社会規律の維持を優先する思想であり、成果主義・能力主義の思想を生み出さない思想である。
株主資本主義者は国会議員や地方議員の給料(議員歳費)を削減することを好む。
株主資本主義者が最も恐れることは、「解雇規制を強化してほしい」「国の現業を復活させて世の中の終身雇用を増やして労働者の経済的地位を安定させてほしい」といった労働者保護の民意を受け取る国会議員が出現することである。それを防ぐために最も有効なことは議員歳費の削減である。議員歳費を削減すれば、労働者からの民意を吸収することを得意とする非・富裕層議員が政治活動しにくくなる。
一方、事業で大成功を収めた企業経営者から政治家に転身した成金議員や、先代からの資産を大量に相続した世襲議員のような富裕層議員は、議員歳費を減らされても簡単に政治活動を行うことができる。
議員歳費をゼロにすると、非・富裕層議員が政治活動を行えなくなる。選挙に立候補して当選しても議員歳費をもらえず極貧の生活に転落することが予測できるので、非・富裕層から選挙に立候補することを誰も行わなくなる。非・富裕層の被選挙権を実質的に制限して富裕層の被選挙権のみを実質的に認める制限選挙になる。
株主資本主義者は議員歳費の支給を嫌い、成金議員・世襲議員を好み、普通選挙を嫌い、制限選挙を好み、民主主義を嫌い、エリート主義を好むという傾向がある。「制限選挙だったころのA国は栄えていたが、普通選挙を取り入れて民衆の意見を取り入れるようになってから没落していった」などと語るのがおなじみの姿である[33]。
株主資本主義者は民意を嫌っており、「大衆は愚かで馬鹿なので、大衆の言うことなど聞くべきではない」と断言して、民意を軽視する風潮を作り出そうとする傾向がある。民意を吸収する政治に対して「衆愚政治であり、ポピュリズムであり、大衆迎合である」というレッテル貼りをし、民意を吸収する政治家に対して「あのようなポピュリスト政治家を台頭させると、政府の財政が破綻するかハイパーインフレになるかのどちらかになり、経済が荒廃し、1990年代初頭のソ連のようになる」という極論を浴びせて攻め潰しにかかる。そして「民意を吸収する政治家の言うことは、まことに甘い誘惑であるが、身を滅ぼすものである。決してそういう危険な誘惑に負けてはいけない」と言う傾向がある。
株主資本主義に好意的な経済学者の書く教科書では、「社会的分業こそが人類の発展をもたらしたのだ」と熱っぽく述べる文章がしばしば見られる[34]。その論理からすると、「面倒で難しい政治のことは成金議員や世襲議員などの少数の知的エリートに任せておき、その他大勢は政治のことを考えずに生産に打ち込めばよろしい」ということになり、制限選挙や階級社会を大いに肯定することになる。制限選挙を導入して階級社会が出現すると、民意が政治に反映されず、統治される人々から統治者への情報伝達が行われず、情報の流通が阻害され、社会が停滞しやすくなる。
世界中の経済学部で採用されている教科書というとN・グレゴリー・マンキューが書いた教科書である。その教科書には次のような自然率仮説が繰り返し出てくる[35]。
『自然率仮説』
短期において名目価格と名目賃金は硬直的で上昇しにくいので、個人消費や政府購入などの需要が増えると短期において供給が増える。つまり、企業が雇用を増やして商品の生産を増やす。
しかし長期において名目価格と名目賃金は伸縮的で上昇しやすいので、個人消費や政府購入などの需要が増えたとしても長期において供給が増えるわけではない。つまり、企業が雇用を増やして商品の生産を増やすという現象が発生せず、供給が一定の自然率の水準を保ったままになる。
この自然率仮説を支持する人は「自然率仮説によると、需要を増やしても短期的に供給を増やして景気浮揚する効果があるだけであり、長期的に供給を増やす効果を見込めない。長期を見据えた経済政策をするのなら需要を増やす意味がない」と語ることが多い。
株主資本主義は小さな政府や緊縮財政で官公需を減らす思想であり、賃下げによって民需を減らす思想であり、需要を減らす思想である。このため自然率仮説は、株主資本主義者にとってお気に入りの仮説である。
自然率仮説に対しては1つの反論が考えられる。「個人消費や政府購入などの需要を長期にわたって増やし続けると、消費者から生産者に向けての情報提供が続けられることになり、消費者から生産者へ感謝の言葉が掛けられるなどして内発的動機付けが強く掛かり、生産者の生産技術が向上し、長期的に供給が増えるのではないか」というものである。
N・グレゴリー・マンキューの教科書では「GDP(国内総生産)は生産要素(資本と労働)と生産関数(生産技術)によって決まる」と説かれている[36]。その言い方に倣って表現すると「需要には生産技術を上昇させる効果があるのではないか」となる。
消費というのは、消費者が生産者に情報を提供する行為であり、消費者が生産者を教導・教育する行為である。消費者がお金を払ってより良い製品を購入することで、生産者は製品の良し悪しを理解することができる。消費者が生産者に対して「この部分が良くてあの部分はダメだ」と誉めたり叱ったりすることで生産者は製品をさらに理解することができる。
様々なスポーツにおいて、道具を消費する選手が道具を作る職人に向かって情報提供をすることで職人の生産技術が向上していくという現象が見られる。一流のサッカー選手がシューズ職人に情報提供することでシューズ職人の腕が上がる、というのが代表例である。
消費者が生産者に感謝の言葉を掛けることで、生産者に対して内発的動機付けが強力に掛かり、生産者が張り切るようになって労働強化が進み、生産者が生産技術を向上させていく。
このため、「需要を増やしても長期的には供給が増えない」と言い切る自然率仮説というものは疑わしいところがある。自然率仮説というのは「消費者から生産者への情報提供による生産技術の向上」や「内発的動機付けの労働強化による生産技術の向上」を完全に無視する考え方であり、「需要は生産技術の向上に対して全く影響力がない」と言い切る考え方であり、わりと非現実的な考え方である。
仮に需要によって生産技術が向上するのなら、生産技術の向上に応じて供給が増え、需要と供給が両方とも増えることになる。需要を増やして情報提供や内発的動機付けが多く発生するのなら供給が伸びてインフレーションを抑制し、名目価格や名目賃金の上昇があまり発生しなくなる。
株主資本主義というのは成果主義・能力主義の給与体系を肯定する思想であり、階級社会を肯定する思想である。そして階級社会というのは、人々が「あの人は自分と住む世界が違うので話しかけられない」と考える社会であり、人々が積極的情報提供権(表現の自由)を封印する社会であり、情報の円滑な流通が停滞する社会である。ゆえに株主資本主義は「情報の円滑な流通の重要性を認識できない」という性質があるとみなしてよい。
株主資本主義者は「消費というのは、消費者が生産者に情報を提供する行為であり、消費者が生産者を教導・教育する行為である」と説かれてもそのことを理解できない傾向にあり、自然率仮説にこだわる傾向にある。そうした傾向は、株主資本主義の「情報の流通の重要性を理解できない」という性質をそのまま反映していると見なすことができる。
株式投資をしてA社の株を所有したうえで株主資本主義に染まると、A社の「協力企業に払う費用」が削られることを非常に喜ぶようになる。
「協力企業に払う費用」は、A社が小売業・卸売業なら「商品を仕入れる仕入れ費用」となり、製造業なら「原材料を購入する原材料費」や「労務を購入する外注費」となる。そのほか、「会社の昼食を提供する弁当屋に払う費用」「銀行に支払う利子」「社債を購入した企業に支払う利子」のようなものも含まれる。
株主資本主義が優勢な国では、「原材料の価格が高騰して資源インフレが発生しているのに、仕入れ価格の値上がり分を価格に転嫁できない中小企業が多い」というニュースが多く流れるようになる[37]。
そうしたニュースに接した株主資本主義者は「世の中に協力会社へ支払う費用を低く維持する流れが起こっている。立場の強い大企業が立場の弱い中小企業へ威圧的に接して値上げを許さない弱肉強食の社会になっている。ゆえに自分が株式を保有しているA社も、協力会社へ支払う費用も低く維持されるだろう」と考えて喜ぶ。
株主資本主義者は弱肉強食という四文字熟語を好み、「弱いものが強いものにおとなしく従って食い物にされるのは極めて当然だ。それが人類社会の掟であり、自然界の真理というものだ」と語ることが多く、強いものが上に立って弱いものが下に回る階級社会を好む。
株主資本主義は解雇規制の緩和を望む傾向がある。その理由としては、①不景気になって収益が急減しても人件費を急減させて税引後当期純利益を確保できる企業を作ることと、②労働者の「解雇されるリスク」を高めて労働者を不安にさせて労働者の消費意欲を破壊して労働者が賃上げを求めないように誘導することが挙げられるが、それ以外に、③企業の市場占有率を高めて協力企業に対して高圧的に接することができるようにして企業が「協力企業に払う費用」を削減しやすくすることも挙げることができる。
解雇規制が緩和されて企業が労働者を自由に解雇できるようになると、企業は「労働者をいくら雇っても好きなときに解雇できる」と考えるようになって極めて積極的に雇用するようになり、市場占有率を拡大する機会が巡ってきたときに一気に雇用を拡大するようになり、企業が市場占有率を伸ばしやすくなる。
市場占有率を伸ばして寡占に近い状態になった企業は、協力企業に対して「君たちは私たちの要求を呑まねばならない」と高圧的に接しやすくなり、「協力企業に払う費用」を削減しやすくなる。
株主資本主義が優勢になる国では、解雇規制の緩和などを原因として企業の合併が進み、1つの市場を数社で占有する寡占の状態や、1つの市場を1社で占有する独占の状態になりやすくなり、市場占有率が高い企業が出現しやすくなる。つまり、企業間の格差が広がっていく。そうなると、大企業が中小企業の協力企業に対して値引きを要求しやすくなるのである。
株主資本主義者は、企業を経営するにあたって、間接金融で資金調達することを嫌い、直接金融で資金調達することを大いに好む。
間接金融の代表例は、銀行による証書貸付・手形貸付である。直接金融の代表例は、社債やCPを短期金融市場・長期金融市場に売り出してそれらの市場参加者からお金を借りることである。
銀行による証書貸付・手形貸付を繰り返すと、融資担当の銀行員に温情を感じるようになってしまう。その銀行員が「私もノルマを課されているんです。どうか借り入れして利子を払っていただけませんか」と泣きついてくると、どうしても温情を殺しきれず、必要も無いのに銀行から借り入れをする羽目になる。結果として、企業は銀行に無駄な利子を払う羽目になり、「協力企業に払う費用」を無駄に払う羽目になる。
社債やCPを短期金融市場・長期金融市場に売り出して資金調達することを続けていれば、市場参加者とはドライな関係であるので、借りたくもないときに無駄に借り入れすることにならず、「協力企業に払う費用」を無駄に払わなくて済む。
株主資本主義が優勢な国では、バーゼル合意(BIS規制)が強化されて銀行の信用創造が制限され、銀行の経営が苦しくなり、間接金融が衰えていく。
そして株主資本主義が優勢な国では直接金融が賛美される。政府が「貯蓄から投資へ」とか「貯蓄から資産形成へ」という標語を打ち出しつつ[38]、「間接金融から直接金融への転換を目指すべきだ」と主張するようになる。
直接金融に参加する企業は「経営状況を常に良好にして、財務諸表を常に良好なものにしよう」と考えるようになる。短期金融市場・長期金融市場の参加者は企業の財務諸表を見てその企業の社債やCPを買うかどうかを決めるからである。そのため、直接金融に参加する企業は非常に短期的な視野で企業経営するようになり、「ある期でいったん損失を出すが、その10年後に大きな収益を上げる」というような長期的視野を持つ経営計画を立てられなくなる。これが直接金融の短所である。
間接金融にも「企業が銀行員から良質な情報を収集できるようになって成長しやすくなる」という長所がある。詳しくは間接金融の記事を参照のこと。
株主資本主義者はTPPやRCEPのような自由貿易協定を締結して自由貿易を促進することがある。自由貿易により、企業は、高賃金の国で製造される商品を購入せずに低賃金の国で製造される商品を購入できるようになり、原材料費などの費用を削減できるようになる。
株主資本主義を弱体化させるためには法人税の強化が有効である。
法人税を増税すると各企業が「法人税を節税するために法人所得を圧縮しよう」と考えるようになる。なぜなら、法人税は法人所得に法人税率を掛けて徴税額を計算するからである。
そして企業が「法人所得を圧縮するために損金を増やそう」と考えるようになり、「間接金融や社債発行で資金調達しよう。つまり銀行から借り入れて銀行に利子を払うか、社債を発行して社債保有者に利子を払うか、どちらかにしよう。銀行や社債保有者に支払う利子は、企業会計における費用であり、税務における損金である」と考えるようになり、「株式発行で資金調達するのは止めておこう。株主へ支払う配当は企業会計における費用ではないし、税務における損金でもない」と考えるようになる。
その結果として、各企業が公募増資を減らすようになり、株主資本主義が弱体化していく。
ちなみに法人税を強化すると社会の構造が大きく変わり、中小企業への銀行融資が増えて中小企業に優しい社会になり、中小企業と大企業の格差が多少なりとも縮小する。
法人税を強化すると各企業の税引後当期純利益が減ることになり、各企業の利益剰余金が減ることになる。
企業は借り入れするときに利子を支払いつつ元金を返済するのだが、元金の返済は「その他利益剰余金の見合いとなる銀行預金」を原資としている。そのため、法人税が強化されて企業の「その他利益剰余金の見合いとなる銀行預金」が減ると、企業は元金を短期で返済しにくくなり、元金を長期にわたって返済するように変化していく。つまり法人税を強化すると企業が短期借り入れから長期借り入れに移行していくのである。
企業が短期借り入れから長期借り入れに移行すると、短期金融市場での需要が減って短期金利が下落し、長期金融市場での需要が増えて長期金利が上昇する。つまり法人税を強化すると長期金利と短期金利の差が拡大し、長短金利差が拡大するのである。
ごく一般的にいうと、長期金利と短期金利の差が拡大すると、すなわち長短金利差が拡大すると、銀行の経営が良好になる。そうなると銀行は「経営に余裕が出てきたことだし、なんだか怪しい中小企業にも融資をしてみよう」と考えるようになり、中小企業への融資を積極的に行うようになる。つまり法人税を強化すると、中小企業が銀行から融資を受けやすくなり、中小企業の経営が比較的に容易になり、中小企業と大企業の格差が多少なりとも縮小する。
株主資本主義を弱体化させるためには金融所得税の強化が有効である。
株式等の譲渡で発生する株式譲渡益に掛ける株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や、株式の配当に掛ける株式等配当課税(インカムゲイン税)を累進課税にする。こうすることで「大金持ちの投資家」が出現しにくくなり、各企業が「大金持ちの投資家に当社の株式を買ってもらおう。彼らが気に入るような株主資本主義の企業経営をしよう」と考えなくなり、株主資本主義が弱体化する。
2021年12月31日の時点において、日本の株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や株式等配当課税(インカムゲイン税)は一律課税であり、一律で20.315%(所得税・復興特別所得税15.315%、住民税5%)となっており、累進課税が導入されていない。そして高額所得者ほど株式譲渡や株式配当で得られる収入の割合が多い。このため申告納税者の所得税負担率を見てみると、所得金額が1億円までは所得税負担率が右肩上がりの累進課税となっているが、所得金額が1億円を超えると所得税負担額が右肩下がりになっている(記事)。このことを1億円の壁という。
2021年8月26日になって自民党総裁選挙に出馬した岸田文雄は、「株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や株式等配当課税(インカムゲイン税)の一律課税を見直す。1億円の壁を打破する」と発言し、9月29日になって総裁選に勝利して10月4日に首相へ就任したが、10月10日になって「金融課税について、当面、見直しをしない」という発言をした(記事)。つまり、岸田文雄は株主資本主義の弱体化をしようとしたが、あっさり断念した。
株主資本主義を弱体化させるためには解雇規制を強化することが有効である。
解雇規制を強化することで、不景気になったときも各企業が雇用を維持するようになり、「労働者に払う費用」を簡単に削れなくなる。
解雇規制を強化することで、企業が雇用の拡大を積極的に行わなくなり、企業の市場占有率が伸びにくくなり、大企業と中小企業の格差が縮小し、各企業が「協力企業に払う費用」を簡単に削れなくなる。
このため解雇規制を強化することで、各企業の経営者は株主に対し「解雇規制があるので株主の皆さんの要求には応じられません」と拒絶できるようになり、各企業において株主の発言力が急激に低下し、株主が「物言わぬ株主」「黙りこくった株主」というべき存在になり、株主資本主義が弱体化していく。
株主資本主義を弱体化させるためにはかつての三公社五現業のような国の現業を創設することが有効である。
国の現業を創設すると、それに従事する労働者が熱心に労働運動を行うようになり、世の中の労働運動が活発化し、賃上げの気運が生まれる。各企業の経営者は株主に対し「国の現業の労働組合が作り出す労働運動の勢いが強いので、株主の皆さんの『人件費を削れ』という要求には応じられません」と拒絶できるようになり、各企業において株主の発言力が急激に低下し、株主が「物言わぬ株主」「黙りこくった株主」というべき存在になり、株主資本主義が弱体化していく。
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最終更新:2025/12/09(火) 10:00
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