桑田真澄とは、読売ジャイアンツ、ピッツバーグ・パイレーツに所属した元プロ野球選手(投手)。
PL学園で1年からエースとして活躍。同期の清原和博とは「KKコンビ」と呼ばれ、1年夏から3年夏まで甲子園に5期連続出場し優勝2回、準優勝2回というドカベンの明訓高校ばりの戦績を残した。1年からずっとエースを張ったが、打者としての素質にも優れ、清原の前の3番を打ち、甲子園通算6本塁打という史上2位の記録も持っている。
ドラフト会議の時点では大学進学を表明していたが、清原が入団を熱望していた巨人が1位で強行指名し、巨人に入団。不透明な入団に密約説も囁かれた。清原は6球団の競合の末西武に入団、打倒巨人に燃えることになる。
巨人では2年目に15勝を挙げ沢村賞を獲ると、その後6年連続2桁勝利を達成するなど主戦投手として活躍。藤田監督時代には斎藤雅樹、槙原寛己とともに三本柱と呼ばれた。しかし、95年に右肘の靱帯を断裂する、投手生命に関わる大怪我を負い手術。翌96年を棒に振る。97年、2年ぶりにマウンドに復帰した際に、プレートに右肘を載せ野球の神様に感謝を捧げた場面は、プロ野球の名場面として知られている。
98年には16勝を挙げるが、その後は成績が低迷。一度は引退を決意するが、原辰徳に引き留められて2002年に復活し12勝を挙げる。しかしそれ以降は再び低迷。2006年、巨人退団を決意し、メジャー挑戦を表明した。
2007年、ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約。故障で開幕メジャー入りを逃すが、6月に念願のメジャー昇格を果たした。最初は好投を見せるも徐々に打ちこまれ、最終的には19試合で防御率9点台という結果に終わり8月に解雇される。その後去就が注目されたが、翌年3月に引退を表明。現在は野球解説者を務めている。
トレードマークは顔のほくろ。多額の借金を抱えていたことでも有名。
高校時代の実績が示すように打撃にも優れ、通算打率.216、7本塁打という数字を残している。桑田に代打が出された際、解説者が「桑田に代打を出すなら、桑田より打てる打者を」と言ったことは有名。その資質は「桑田がショートに転向すれば、巨人のショートは10年安泰」とまで言われたらしく、実際に引退後、マスターズリーグのオールスター戦でショートの守備に就いたことがある。そのときには本職顔負けの好守を見せたばかりか、佐々岡真司からホームランまで打った。現役復帰すればいいのに。
巨人時代。
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最終更新:2024/04/25(木) 23:00
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