桶川ストーカー殺人事件(桶川女子大生ストーカー殺人事件)とは、1999年10月26日に発生した殺人事件である。
概要
※以下、被害者の実名は差し控える。
1999年10月26日、埼玉県桶川市のJR桶川駅前(おけがわマイン付近)で発生。
女子大生(当時21歳)が元交際相手の小松和人(当時27歳)などのストーカーグループにストーカー行為をされたあげく、殺害された事件である。
加害者が、ストーカー行為の上で事件を起こしたため、警察(埼玉県警察上尾警察署)の怠慢な捜査が浮き彫りになり、相当バッシングを受けている。
「ストーカー行為等の規制等に関する法律(ストーカー規制法)」が制定された要因である。
2002年10月と2003年12月にドラマ化された(ソフト化はされていない)。
ストーカー行為が始まるまで
1999年1月、被害者の女子大生(以下A)が、ゲームセンターで小松和人と知り合い、交際がスタート。
しかし、小松和人はAに対して、「誠」と言う偽名を使用していたほか、年齢を23歳と偽った。
また職業は外車ディーラーと名乗っていたが、実際は和人の兄である小松武史(本業は消防士)と風俗店を経営していた。
しかし、その嘘も2月から3月にかけてバレたあげく、次のような異常な行動も行っていた。
- 高価なプレゼントを一方的に贈り、Aがそれを拒否すると、一歩的に暴力を振るう
- Aが和人の自宅に訪れたところ、室内が隠し撮りされていた。
- 30分おきにAの携帯電話に電話し、犬の散歩をしている旨を伝えると、「俺(和人)より犬のほうが大事とはどういうことだ?その犬を殺すぞ!!」と脅す。
- 携帯電話に出ないと、Aの自宅や友人にまで電話をする(電話番号は和人には教えていない)。
これに恐怖心を抱いたAは和人に対して、別れを切りだすが、和人は「家族をめちゃくちゃにしてやる」などと脅迫し、交際の続行を強要する。
そして和人はAに対して、ストーカー行為を開始することになる…
殺人を起こすまで
- 6月14日
和人と武史らが、上尾市内のAの自宅に押し入って、Aを脅迫し、現金500万円を要求するが、Aの父親に追い返される。
- 6月15日
Aとその両親が隠し撮りしたテープを持参し、上尾警察署(以下上尾署)に相談するが、追い返される。
この日からAの家に無言電話がかかるようになる。
また、武史は風俗店の雇われ店長である久保田祥史にAの殺人を依頼する。
- 7月13日
Aの自宅周辺および学校に事実無根の誹謗中傷のビラがばらまかれる。
- 7月29日
再び上尾署に相談し、名誉毀損で告訴状を提出。しかし、対応した署員は適当な対応をとった。
- 8月23日・24日
Aの父親の勤務先などに、事実無根の誹謗中傷の手紙が800通も届く。
- 9月7日
上尾署員が告訴状を改ざん。
- 9月21日
上尾署員がAの母親に対し、一度取り下げても再び訴えることが出来る(実際は不可能)として、取り下げを持ちかける。
- 10月16日
深夜、Aの自宅前に大音響を鳴らした車2台が現れる。
- 10月23日
久保田らは自宅前でAを見張り、12時に桶川駅に来たAをナイフで殺害して逃亡。
上尾署は対策本部を設置したが、あたかもAに非があるかのような説明を行う。
この結果、マスゴミによって、デマ報道が行われることになった。
犯人の行方
- 11月
写真週刊誌「フォーカス」にこの事件の特集を掲載。内容はストーカーグループの異常性を浮き彫りにしたものであった。
- 12月
フォーカスの清水潔記者により、犯人が特定。フォーカス誌に掲載される。
19日、埼玉県警察が武史と久保田ら3人を逮捕。しかし、和人は逃亡する。
- 2000年1月16日
名誉毀損で12名(武史と久保田ら含む)を逮捕。和人を指名手配。清水潔記者は北海道に向かう。
- 1月27日
和人の自殺死体が屈斜路湖で発見。遺書には和人の両親に宛てた保険金関係のことしか書かれておらず、AやAの両親への謝罪は無かった。
上尾署員への処罰
- 2000年1月
フォーカス誌に捜査のずさんさを指摘する記事が掲載。
- 3月4日
テレビ朝日系「ザ・スクープ」で事件が放送される。
- 3月7日
国会でこの事件が取り上げられる。
- 4月6日
埼玉県警が謝罪。上尾署員3名が懲戒免職、上司5名が1~4ヶ月、減給5~10%となった。
- 9月7日
元上尾署員3名に対して執行猶予3年の懲役刑の有罪判決が下された。
犯人グループへの処罰
- 2001年7月17日
久保田に懲役18年、見張り役の伊藤嘉孝に懲役15年の実刑判決が下される。
- 2002年6月27日
車の運転手役の川上聡に懲役15年実刑判決が下される。
- 2006年9月5日
武史に対して、最高裁第二小法廷で無期懲役が確定。
なお、和人に関しては、名誉毀損罪の共犯とされたが、殺人罪の共犯とはされなかった。
その後
- 2000年10月26日
遺族が殺人や名誉毀損に関与した加害者およびその家族に対して損害賠償を起こす。
- 2000年11月24日
「ストーカー行為等の規制等に関する法律」が可決。
- 2000年12月22日
遺族が埼玉県警に対して、国家賠償請求訴訟を起こす。
ところが裁判になったとたん、埼玉県警は意味不明な反論をし始める。
- 2003年2月16日
埼玉県警側に遺族に対して、計550万円の支払いを命じたが、双方とも控訴。
- 2005年1月26日
控訴を棄却。後の最高裁でも上告が棄却したため、判決が確定。
- 2006年3月31日
加害者側に対して、計1億250万円を支払いを命じた。
和人に関しては、先ほど述べた通り、刑事訴訟では殺人罪の共犯とは認定されなかったが、民事訴訟では殺人の責任があるとしている。
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