森福允彦(もりふく まさひこ、1986年7月29日-)とは、愛知県出身のプロ野球選手(投手・福の神)である。現在は読売ジャイアンツに所属。
一軍定着当初はスポーツ新聞などでもたまに間違われたが、名前は「充彦」ではなく「允彦(まさひこ)」である。
| 読売ジャイアンツ #13 | |
|---|---|
| 森福允彦 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 愛知県豊橋市 |
| 生年月日 | 1986年7月29日 |
| 身長 体重 |
171cm 65kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2006年大学生・社会人ドラフト4巡目 |
| 経歴 | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2013年 |
| プロ野球選手テンプレート | |
豊川高校では「三河のドクターK」と呼ばれ、2年次には56イニング自責点ゼロという記録をマークし工藤公康の持っていた愛知県記録を更新した。卒業後はシダックスに入社し、1年目から武田勝とともに主力投手として活躍。
2006年にシダックスが廃部となったことで高卒社会人2年目ながら特例でドラフト対象選手となる。一時は恩師・野村克也のいる東北楽天ゴールデンイーグルスが自由枠での獲得を打診したものの断りを入れ、結局大学生・社会人ドラフト4巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団。
対右の被打率が滅法悪かったため、たまにワンポイントで投げる程度で3年目まではほとんど目立たなかったが、2010年(4年目)はフォームをサイドスローに変えたことで制球力が向上。打者の左右を問わず安定した投球内容を見せるようになり、6月頃からコツコツと敗戦処理で好投。8月26日のオリックス・バファローズ戦、延長戦に登板し2イニングで5者連続三振を奪ったことで起用が増え、翌日の千葉ロッテマリーンズ戦で2点リードの5回表1死満塁という場面の火消し役を任されて見事に抑えきった。これ以降、疲れの見えた甲藤啓介に替わって主に中盤の火消し役として、イニング跨ぎ、ロングリリーフもこなす大車輪の活躍を見せた。大逆転優勝の口火となった9月19日・20日の埼玉西武ライオンズ戦では2試合続けて勝ち投手になるなど、ホークスの逆転優勝に大きく貢献。その働きぶりから名前にあやかって「福の神」とも呼ばれた。
2011年は攝津正が先発に転向したため、本格的にセットアッパーの役割に回り、前年以上に安定した投球を続ける。馬原孝浩が不調、ブライアン・ファルケンボーグが故障で立て続けに戦線離脱した時期には、一時的に守護神も務め、5月1日のロッテ戦では1球でプロ初セーブを達成。中継ぎ部門ファン投票1位でオールスター出場も果たした。最終的に60試合に登板し4勝2敗1セーブ34ホールド、防御率1.13とセットアッパーとしてフル回転。
日本シリーズ第4戦では、1点リードの6回裏ノーアウト満塁から登板して見事に無失点で切り抜ける神リリーフで勝利を呼び込み、江夏の21球になぞらえ「森福の11球」と称えられ、日本一の立役者のひとりとして一躍その名が知れ渡った。
2012年もセットアッパーで始まったが、馬原のシーズン絶望とファルケンボーグの長期離脱により、5月後半からクローザーを務める。肉体的にも精神的にも負担が大きかったのか8月中旬頃には疲れが見え、それ以降は岡島秀樹にクローザーの座を譲りセットアッパーに戻った。なぜかリード時はちゃんと抑えるのに同点の終盤に登板すると打たれて敗戦投手になるパターンが多く5敗を喫したが、65試合に登板して2勝24ホールド17セーブ、防御率1.39と、リリーフ陣の柱として活躍した。
クライマックスシリーズでも西武との1stステージ第1戦の9回でファルケンボーグの作った無死満塁のピンチを1失点で凌ぎ勝利を呼び込む福の神ぶりを見せたが、北海道日本ハムファイターズのファイナルステージでは第1戦で二岡智宏に決勝打、第2戦で糸井嘉男にダメ押しの2ランホームランを浴びて力尽きた。
2013年、WBC日本代表に選出されたが大会前に肩痛を訴えたこともあり、本戦では第1ラウンドのキューバ戦と第2ラウンドのオランダ戦(順位決定戦)と消化試合の登板のみに留まった。シーズンでもその影響か前半戦は不調で、気分転換も兼ねてか5月6日のロッテ戦ではまさかのプロ初先発を務めたが2回1失点で負け投手になった(ちなみにプロ200試合目の登板であった)。その後も調子が戻らず6月に一度抹消、7月に復帰してからは復調し、後半戦はセットアッパーとして活躍。57試合で3勝2敗15ホールド、防御率2.58と最終的にはまずまずの数字にまとめた。
2014年は4年連続で50試合登板を達成。主に要所での火消し役を担い、チームのピンチを何度も救った。しかし日本シリーズでは福留孝介にタイムリーヒットを打たれて降板した1試合の登板だけだった。
2015年は4月24日の西武戦で通算100ホールドを達成したが、対右の被打率が.458(前年は.246)まで悪化するなど不調で、徐々に首脳陣の信頼を失いフェードアウト。8月半ばに二軍落ちしてシーズンを終えた。32試合で防御率5.82という成績に終わり、連続50試合登板も4年でストップした。
2016年は50試合に左のワンポイントとして登板。16ホールド、防御率2.16と好成績を残した。オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍した。背番号は13。
2017年は開幕を一軍で迎えたが、背信投球が続いて結果を残せず30試合の登板に留まった。
2018年は2試合の登板に留まった。
身長171cm(実際はもっと低いのでは?とも言われる)と小柄ながら、身体をひねる球持ちの良い投球フォームからスライダーとシュート、右打者の内角を突くストレートを軸にコーナーを攻めて打者を打ち取る。左のサイドスローだが、右打者にも強く、外角の出し入れとインコースを突くクロスファイアの精度は一級品。
その一方、投球の間合いが非常に長く、同様の傾向がある松岡健一とともによくネタにされる。
長い時には森福が1球投げる間に牧田和久は3球投げ、青木宣親はランニングホームランを3本打ち、水が沸騰するとも言われている。(関連動画参照)
愛称は「ちょめ」。由来は不明。だからといって「SBM48ちょ」はどうかと思うんですが。
Twitterでは「チャオ♪」の挨拶に始まりひたすらテンションが高い。見た目もチャラい。秋山監督や小久保裕紀が睨みを効かせているせいか真面目な選手が多いホークスの中では珍しいチャラ系。一部ではオカマっぽいとも言われている。
人なつっこい性格で愛想が良く、非常に女性ファン受けが良い。2012年のバレンタインではチョコレート数でぶっちぎりのチームトップであった。2011年のオールスターではぼっちになっていた斎藤佑樹に話しかけたりしていたそうだが、ダルビッシュ有には緊張して話しかけられなかったようである。同級生なのに。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#223 | 8878 |
| 通算:12年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 416 | 0 | 0 | 17 | 17 | 18 | 131 | .500 | 353.0 | 83 | 321 | 110 | 100 | 2.55 | 1.03 |
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最終更新:2025/12/07(日) 11:00
最終更新:2025/12/07(日) 11:00
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