森野将彦とは、中日ドラゴンズに所属するドアラの中の人プロ野球選手(内野手・外野手)。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
1996年のドラフト2位で東海大相模高校から中日に入団。同期には現楽天の小山伸一郎がいる。
ポスト立浪として期待されながらも長らく一軍半の選手だったが、2005年にレフトとして出場機会を増やし、2006年にはついに立浪からサードの定位置を奪い主に5番、6番打者としてレギュラーに定着。リーグ優勝に貢献した。
2007年は中村紀洋の加入と、荒木や福留の故障離脱によりセカンドや外野での出場が多かった。前半戦は5番、福留の離脱後は3番を打ち、97打点を挙げる勝負強い打撃で日本一の原動力となる。
2008年は和田一浩の加入で今度はセンターに回る。また北京五輪代表にも選ばれた。故障離脱と北京出場により96試合の出場に留まるが、前年を上回る打率.321、19本塁打を挙げた。制度変更によりFA権を取得したが、残留を表明し長期契約を結ぶ。
2009年は中村紀洋の移籍により本職の三塁に戻るが、開幕から打撃不振のうえ失策も非常に多くなってしまった。打撃はシーズン中盤から復調し、23本塁打、109打点(リーグ2位)と持ち味の勝負強さを発揮。一方守備では、過去一軍で三塁を守った8年間で通算15失策だったのが、1年でなんと25失策を冒してしまった。
2010年は選手会長に就任。本塁打、打率は前年を下回ったが、全試合に出場。和田一浩とともに貧打のチームの中で主砲として奮闘、リーグ優勝に貢献し、ベストナインに選出された。
2011年は統一球の影響をモロに受けたのかシーズンを通して大不振に苦しみ、滅多に選手を責めない落合監督からも「森野だよ、森野!」と言われる羽目に。7月こそ月間MVPを獲得したものの、打率.232、10本塁打、45打点とレギュラー定着後最悪の数字に終わった。
クリーンナップを任される打力を持ちながら、投手と捕手以外はどこでも守れるユーティリティプレイヤーという希有な選手(2009年以降は三塁と一塁のみ)。そのため2006年に立浪からサードの定位置を奪ったのに、2007年は中村の加入でレフトに回り、2008年は和田の加入でセンターを守り、とチーム事情にポジションを振り回されがちで、ベストナインやゴールデングラブ賞にはなかなか縁が無かった。2009年以降は三塁に固定されている(試合終盤に一塁に回ることがある)が、2008年までは堅実という評価だった三塁守備で2年連続失策王になるなどやらかしが目立つ選手になってしまっている。
またポジション同様に背番号も他人の都合で振り回されがちで、入団時から背番号が7→8→16→8→31→3→30と6回、いずれも森野本人の意志とはほぼ無関係に変更されている。2009年オフには一度は立浪和義の背番号3を受け継ぐことが発表されたが、本人の希望で保留になった。しかし元の背番号31ではなく30に変更に。
ドアラと非常に仲が良く、親友にして保護者的ポジション。顔立ちが似ていることもあってドアラ本人だとか中の人だとかも言われる。そのためドアラ動画やMADでも頻出の人物。ドアラ本にもインタビューが掲載されている。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/08(月) 02:00
最終更新:2025/12/08(月) 02:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。