橋上秀樹(1965年11月4日~)とは、ヤクルトスワローズ、日本ハムファイターズ、阪神タイガースに所属していた元プロ野球選手。
2005年から2009年まで東北楽天ゴールデンイーグルスにコーチとして所属、2011年には独立リーグの新潟アルビレックスBCにて監督を務めていた。
現在は読売ジャイアンツにて一軍戦略コーチを務めている。
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1984年にドラフト3位でヤクルトスワローズに指名され入団。入団当初は捕手だったがのちに外野手にコンバートされている。現役時代は主に守備固めや対左の代打として活躍。
1990年にはのちにコーチとしても仕えることになる野村克也と出会い起用が増え、1992年にはキャリア最多出場を果たし日本シリーズでも活躍した。
1997年に日本ハムファイターズに移籍、ここでもそこそこの出場機会を得ていた。
2000年には当時野村克也が監督を務めていた阪神タイガースに移籍し、この年で引退した。
2005年、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍外野守備走塁コーチとして入団するが、シーズン開幕一か月後に一軍コーチの駒田徳広と山下大輔が降格したため松井優典と共に一軍コーチにに昇格した。
2006年には監督に就任した野村克也の下、ヘッドコーチに昇格し2009年に監督と共に退団するまで務めた。ちなみにノムさんは選手交代の際に名前を間違えることがあったなどいささか苦労したようだ。
楽天退団後は主に楽天戦の解説者を務めながら野村監督の下で学んだことをまとめた本を執筆するなどしていたが、2011年に独立リーグの新潟アルビレックスBCに監督として就任することが決まった。
新潟では上信越地区年間優勝という結果を残し、2011年限りで退団した。
2012年からは清武氏の依頼を受け読売ジャイアンツにて一軍戦略コーチを務めることになった。
入団当初は選手や首脳陣がID野球を理解しようとしなかったり、かつて巨人を苦しめた野村克也の愛弟子であることで冷遇気味であったようだが巨人が負けを重ねた5月あたりからダメもとで一部の選手が橋上に助言を仰いだところ、橋上は相手の配球などから狙うべき球などについてアドバイスしそれが見事的中したことから選手の信頼を得ることに成功し、坂本、長野、阿部などの主力選手にはそれぞれに合った助言を送るなどその手腕を十分に発揮して見事チームを3年ぶりの優勝に導いた。
また、WBCでもコーチに選出され、ベンチで阿部と話し込む姿が目撃されている。
なにが言いたいかというとこの人はあまり目立たないがもっと評価されるべき。
こんな素晴らしい人材を「野村派だから」という理由であっさり切り捨てた楽天のフロントはやはり無能と言わざるを得ない。
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最終更新:2025/12/09(火) 18:00
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