牛田成樹(うしだ しげき、1981年12月6日-)とは、徳島県小松島市出身のプロ野球選手(投手)である。
| 徳島インディゴソックス #?? 兼任投手コーチ |
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|---|---|
| 牛田成樹 | |
| 基本情報 | |
| 出身地 | 徳島県 |
| 生年月日 | 1981年12月6日 |
| 身長 体重 |
188cm 89kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2003年ドラフト4巡目 |
| 経歴 | |
選手歴
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| プロ野球選手テンプレート | |
長身から投げ下ろすストレートと、カウント用と空振りを取る用の2種類のフォークが武器のフォークピッチャー。2種類のフォークといってもNG川ではない。
2003年のドラフト4巡目で明治大学から横浜ベイスターズに入団。シーレックスの守護神を務めていたが、2006年は一軍に呼ばれると先発で7試合、中継ぎで21試合に登板。巨人戦にて8回2失点でプロ初勝利を挙げるなど、適正を模索しながら防御率2.98の好成績を残した。
リリーフエース候補と嘱望されたが、翌年からスペ体質を発症。2007年は急性大腸炎で入院し戦線離脱、2008年は右足首骨折で出遅れ、2009年は教育リーグで新型インフルエンザに感染と、期待させながらなかなか結果を残せない年が続く。
2010年、開幕一軍を掴むと開幕から9試合連続無失点など好投を続け、山口俊へ繋ぐセットアッパーとして奮闘。江尻慎太郎、真田裕貴、山口俊と4人で「クワトロS」と命名される。しかし好調ゆえに酷使状態に陥り、スペ体質の牛田が耐えきれるはずもなく、6月に右肩痛であえなく戦線離脱。9月にようやく戦線復帰し、復帰後も10試合で僅か1失点。最終的に41試合で2勝1敗23ホールド、防御率1.21という自己最高の成績を残した。
2011年は腰痛で開幕二軍スタート。5月に一軍復帰するとセットアッパーとして好投するが、8月に入って打ち込まれる場面が増え二軍落ち。10月に復帰してからは安定した投球を見せ、最終的に前年を上回る45試合に登板し2勝1敗19ホールドを挙げたが、防御率は3.69と大きく悪化してしまった。
2012年はインフルエンザに罹りまたも開幕二軍スタート。6月16日に一軍昇格、翌々日の日本ハム戦で6回からマウンドに上がるがいきなり中田翔にHRを浴び、同月27日のヤクルト戦では2イニング4失点と炎上し二軍降格。その後一軍昇格は無く僅か5試合の登板で防御率は6.43に終わった。
2013年は二軍で21試合に登板して1勝2敗、防御率2.33の成績を収めるも一軍に呼ばれることはなく、10月3日に球団から戦力外通告が発表された。
2015年に徳島インディゴソックスに選手兼任投手コーチとして入団した。
愛称は「牛くん」。大学時代から練習熱心で、夜に寮を抜け出して坂道ダッシュをするのを日課にしていたが、その坂が女子高に面していたため何度も警察に職務質問される羽目になったとかなんとか。
趣味と特技は阿波踊りで、踊るために毎年帰省している。お立ち台で披露したことも。
(2014年終了時点)
| 通算:9年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 159 | 0 | 0 | 9 | 7 | 0 | 46 | .563 | 233.0 | 86 | 277 | 91 | 84 | 3.24 | 1.14 |
打たれた動画だけである。
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最終更新:2025/12/09(火) 18:00
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