瑞穂(艦これ)とは、大日本帝国海軍に所属した水上機母艦「瑞穂」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘の1人である。
CV:石上静香 イラストレーター:アキラ
2015年8月10日より開始された夏イベント「反撃!第二次SN作戦」にて先行実装された水上機母艦。
入手経路はE-3「激突!第二次南太平洋海戦」のボスドロップのみで、海域突破報酬ではないので要注意。その確率は約2~5%ほどだと言われているが、甲だろうが丙だろうが難易度に関係なくドロップする。そのため瑞穂を狙う提督は多いが、かなりドロップしにくいため屍が山のように連なっている。ちなみにドロップはS勝利限定。
ドロップ率は甲>乙>丙で、難易度が上がれば上がるほど瑞穂が出やすくなっている。ただし甲で挑むと、水母棲姫が空母棲鬼を2体引き連れてくるためS勝利が難しくなる難点がある。艦隊の強さに覚えがあり、決戦支援も惜しみなく出せるのなら甲、多少確率を下げててもS勝利を狙いたいなら乙、丙が望ましいだろう。
そしてイベント終了後には、期間限定の浴衣グラフィックが実装された。
2015年11月18日より開始された秋イベント「突入!海上輸送作戦」にてボスドロップが確認されているが、ドロップ海域であるE-3「抜錨!海上輸送部隊」は、支援艦隊に頼らないとS勝利は難しく、獲得は困難を極めた。
・・・かと思われたが、その翌年2016年2月10日から開始されたイベント「出撃!礼号作戦」では最初のステージたるE-1「カンパン湾沖」の道中でドロップするようになった。過去のイベントに比べると大分敷居が下がったどころか、攻略過程で入手できてしまった提督も少なくないに違いない。
それどころか既に所持している提督でも、2隻目以降も入手が可能で、同海域で入手できる他のレア艦を狙うのと合わせて繰り返しE-1へ出撃し続けた提督も多かった。
ちなみに以前は水母棲姫が出現するマス(マップ)のみでのドロップだったことや、互いに容姿が似ている事から水母棲姫との関連性が疑われている。水母棲姫は瑞穂が深海棲艦化した姿?
2015年のモデルグラフィック12月号は艦これ特集という事で、その表紙を描き下ろし絵の瑞穂が飾った。隣には同じように描き下ろされた水母棲姫も載っており、より一層関連性が強まったと言える。
さらに2016年6月1日に追加された梅雨限定グラでは、なんと水母棲姫のストラップを傘に付けていた。
2016年2月29日のアップデートで、ついに瑞穂が通常海域落ちした。場所は鬼畜海域で名高い5-3である。さらにその翌月の3月11日に実装された6-4でも入手可能になった。こちらはボスではなく回り道した先のLマスでのドロップが報告されているが6-4自体が現段階の最終海域であり、まずそこまで到達するにもかなり苦労することになる。現状どちらの海域も入手難易度は高めなので、イベントまで待つのも手。
長髪にお下げの髪型で、なんと砲身が三宝の上に添えられている。いかにも神事に出ていそうな装束に身を包んでいて、非常に丁寧な言葉遣いで喋る。自分が鈍足である事を気にしているらしく、他の艦娘にゆっくり行ってくれるようお願いする一面が見える。実際、瑞穂は18ノットしか出せないのだがゲーム中では何故か高速である(低速と高速の境目は28ノットである)。これは運営の設定ミスだったようで、イベント終了直後の9月7日のアプデで低速に修正された。
初期状態で零式水上観測機を持ってくる貴重な艦娘。大和、武蔵に続いて3人目である。偵察機と間違えて廃棄しないよう提督諸氏は注意しよう。
提督に対しては非常に好意的。セクハラをしても「気を使ってくれて嬉しい」と返すという、榛名のような優しい性格をしている。ディーゼルエンジンの故障に悩まされた事を気にしているらしく、図鑑の自己紹介でも気にする発言をする。そのためか、同じくディーゼルエンジンの不調に悩まされた大鯨と似通った台詞が幾つかある。
瑞穂の性能は、従来の水母である千歳甲と比べて、火力(+16)、装甲(+9)、対空(+10)、搭載数(+8)など多くの面で千歳型を凌駕している。より戦闘に向いた性能を獲得したと言えよう。代わりに若干燃費が悪化している。
ちなみに艦載機か甲標的を捨てて副砲を2つ積むと、駆逐艦に匹敵する夜戦火力を得る。
軍艦としては最初に撃沈されたためか、運の数値は9と低め。
一方で特筆すべき点として、索敵値が非常に高い。その数値は最大で92という、蒼龍や利根型を凌駕するクリーチャーっぷり。そのため索敵値が要求される3-5やイベント海域での活躍が期待される。
彼女の登場数ヵ月後秋の期間限定で浴衣姿の差分が実装された。夏イベで取り逃した提督を尻目に早々の差分実装の好待遇である。
ここまでなら良いのだが年始、節分、バレンタイン、牛丼コラボなどとにかく差分が多く実装される。その内バレンタイン以外では瑞穂が高角砲を置いてある三方に様々な物を載せているだけで中破グラは同一のままである。
このことから差分の女王、三方万能説、三方芸人、元々何が載っていたのか忘れたなど様々なあだ名がつけられることになった。これからも何かのイベントでは彼女の三方に注目していたいところだ。
瑞穂の担当絵師であるアキラ氏は瑞穂以外に観娘を描いていないため、このように多種多様な差分を用意する余裕があると推測される。
ワシントンおよびロンドン条約で、米英に対し不利な制限を課せられた帝國海軍は、秘密兵器「甲標的」を搭載する母艦を欲していた。そのため海軍は1933年に第二次補充計画を策定。このうち水上機母艦乙の仮称を付けられた艦が、後に瑞穂として生まれる事になる。
1937年5月1日に兵庫県の川崎重工神戸造船所にて起工、1938年5月16日に進水。しかしここで神戸の大水害に巻き込まれて竣工が遅れる。1939年2月25日、無事に竣工に漕ぎ着けた。佐世保鎮守府に編入。同時期に千歳や千代田も建造されている。
改千歳型、もしくは瑞穂型水上機母艦と分類される。信号符字はJQTA。
排水量1万2150トン、補給用燃料搭載量3348トン、航続距離8000海里、乗員689人。千歳型よりも兵装が強化されており、40口径89式12.7センチ連装高角砲3基、96式25ミリ連装機銃10基を装備。搭載機は95式水上偵察機24機+予備の8機である。この搭載数は日本水母最大級で、フランス海軍の水母コマンダンテスト(26機搭載)に次いで世界2位の多さだった。航空兵装は60キロ爆弾260発、30キロ爆弾480発。これは千歳型と同等である。
水上機母艦として建造されたためロンドン条約の制限外となり、1万トン以上の巨体となった。その独特な形状から、列強各国から興味を持たれており、イギリス海軍とイタリア海軍が多くの写真を撮っている。
千歳や千代田とは違い、瑞穂にはディーゼルエンジンが搭載された。燃費や経済性に優れる反面、故障が多く信頼性に欠ける代物で、潜水母艦大鯨と同じように故障で悩まされた。竣工当時、計画速力は22ノットであったが、18ノットしか出せず故障も頻発したため修理に2年近くの月日を要した。
この時、建造中だった戦艦大和にディーゼルエンジンを搭載する計画があったが、瑞穂が酷い有様だったため、機関を全てタービンエンジンにしたという小話がある。
千歳型と似たような形をしているが、瑞穂はディーゼルエンジン搭載のため煙突が無い。この点で見分ける事が可能である。また、千歳型と比べて格納庫がやや拡充されており、燃料タンクも増大されている。この事によりガソリン搭載量が270トンに増加した(千歳型の搭載量は200トン)。
1939年3月2日、瑞穂は竣工後、ただちに第四艦隊第十二戦隊へと編入され、9機の搭載機(九四式水偵と九五式水偵)を積載して青島方面へ出撃している。12日、第四艦隊の旗艦を重巡「足柄」より引き継いだ。
1940年2月5日からは一線を退いて予備艦となり、横須賀工廠で機関の修理を始めた。この時の改修で、ある程度の問題は解決したが未だ常時全力発揮が出来ないという問題を抱えていた。そしてこの改修の際にドイツから輸入したハイン幕装置を艦尾に設置。この装置は、船の航行を止めずに水上機を回収できる画期的な物であったが、安全な水偵の吊り上げが出来ない事と、実験的な導入に過ぎない事からあまり活用されなかったという。ちなみにゲームでは甲標的を搭載可能だが、実際は速力の問題から甲標的は積み込まれなかった。
1940年6月1日、連合艦隊所属となる。9月7日、トラック泊地に入港。8日間の滞在の後、出港。ちなみに瑞穂がトラック方面に赴いたのはこれが最初で最後である。10月11日、横浜港沖で行われた皇紀2600年特別観艦式に参加。蒼龍の隣に位置し、第一列艦としてその威容を周囲に示した。
12月10日には横須賀を出港し、南支・海南島・仏印にて作戦行動を行う。翌年2月21日、作戦を終えて佐世保へ帰還する。また3月3日から7日にかけて、台湾の馬公へ入港している。その後、横須賀へ帰投。
機関の問題が解決したのは1941年に入ってからだった。
1941年4月、艦隊演習で雨天飛行をしていたパイロットが1名行方不明になる。後に殉職と判定された。
10月14日、横須賀を出港し、瀬戸内海西部へと回航。そこで準姉妹艦「千歳」と第十一航空戦隊を編成。
続いて10月25日には、瑞穂所属の零式艦上観測機が訓練中に空中分解を起こし、パイロットが殉職する悲劇に見舞われた。当時、零観は新鋭機で、瑞穂の居る第十一航空戦隊が初の配備先であった。射出時に上翼中央部にシワが寄っていたようで、それが原因で空中分解をしたと推測された。このため零観は一度、全機が航空技術廠へ空輸され補強が施された。
開戦の気運が高まる11月27日、寺島水道を出港し12月2日にパラオへ到着。現地にて軽巡「長良」、第二十四駆逐隊(江風、涼風、海風、山風)を第十一航空戦隊の指揮下に入れる。
そして同年12月8日には大東亜戦争が勃発。瑞穂は第十一航空戦隊の旗艦としてパラオを出撃。南方作戦に挑む陸軍を支援するため、8日から16日にかけてフィリピンの米軍を水偵で攻撃。のべ出撃機数は零観81機、九四式水偵7機だった。続いてルソン島南端のレガスビーを攻撃し、上陸した陸軍の部隊を援護した。その後、17日にラモン湾上陸作戦に参加。29日、一度パラオへ帰投し整備を受ける。
年が変わって1942年1月にはメナド、ケンダリー、アンボンの攻略作戦に参加。1月4日、占領したダバオのマララグ湾に停泊していた瑞穂ら主力艦艇は、8機のB-17から爆撃を受ける。幸い瑞穂に被害は無かったが重巡「妙高」が中破する損害を出す。
1月9日、メナド攻略を支援するためマララグ湾を出撃。艦載機を発進させて輸送船団の護衛や対潜掃討に従事した。その途中、パトロール中だった瑞穂所属の零式水上観測機がメナド制圧に向かう友軍の九十六式双発輸送機を誤射し、挙句撃墜してしまう事故が発生。搭乗員5名と降下兵12名全員が戦死した。
1月11日、スラウェシ島バンカ泊地にて大型飛行艇9機と爆撃機4機と交戦。艦載の零観を発進させ、爆撃機2機を撃墜する戦果を挙げるも零観3機を喪失した。
24日、ケンダリーに向かう輸送船団や主力隊を護衛。ケンダリーが間もなく失陥すると察した米水母「チャイルズ」は南方へ脱出、瑞穂は艦載機でチャイルズを追撃するも撃沈に失敗。ケンダリーは占領に成功した。25日、指揮下の軽巡長良と駆逐艦「初春」が衝突。長良は損傷するも現地で修理を行い、2月2日に戦線復帰。
1月29日、アンボン攻略部隊の護衛を行い、31日にはアンボンの敵軍に対し対地攻撃を敢行。先に上陸していた陸戦部隊を支援した。その後、一時は戦況が膠着するも無事に占領を果たす。作戦後、ケンダリーへ帰投。
2月にはマカッサル攻略、バンジェルマシン攻略、スラバヤ占領、チモール島クーパン上陸作戦を支援。
2月6日、マカッサル攻略支援に従事。同日に指揮下の駆逐艦涼風が潜水艦の雷撃により大破する。2月8日、序盤のレガスビー攻撃以降、別行動をしていた千歳と合流。2隻ともマカッサル攻略作戦に参加し、占領。
2月17日、チモール島攻略作戦が立案される。しかしチモールとケンダリーからは385海里あり、ケンダリーの航空隊が上空支援するのは難しいと判断されたため、支援として第十一航空戦隊から瑞穂と第39号哨戒艇が第二護衛部隊に貸し出された。2月18日、第39号哨戒艇とともにビノンゴ島へ臨時の水上機基地を設営。翌日にはロンブレン島北岸に水上機基地を設営している。21日、ジャワ島攻略作戦の最中に有力なABCD艦隊が出現。状況の逼迫により司令部は瑞穂と第39号哨戒艇に原隊への復帰を命じ、瑞穂は十一航戦へと戻っていった。その後は輸送船団の上空支援や対地攻撃に従事。零式観測機で味方の支援に徹したが、さすがにB-17やB-24といった大型爆撃機を食い止める事は出来なかった。
3月1日、スラバヤ沖海戦に参戦するも、既に主要海戦は終結しており日本の勝利が決していた。瑞穂は艦載機で輸送船団を護衛していたが、敵の敗残艦隊を捕捉。千歳とともに爆装した艦載機を発進させ、カリマタ海峡で敗走する米駆逐艦「ポープ」を爆撃。至近弾を与え、重油を漏洩させた。
続いて生起したスラバヤ攻略作戦において瑞穂は千歳と合わせて延べ643機の艦載機を発進させる。敵機撃墜3、撃破19、車両撃破22、駆逐艦1隻廃艦、商船1隻撃沈および1隻撃破、潜水艦2隻撃破不確実を報じた。
6日、スターリング湾へ寄港。9日にオランダ軍が降伏した事でジャワ方面の攻略作戦は概ね終了。瑞穂は船体の修理を行うため前線から退き、14日に占領したばかりのマカッサルへ寄港。
一連の攻略作戦で、偵察機パイロット1名が戦死。
陸軍の支援を終えた瑞穂はダバオを経由して、1942年3月28日に横須賀へ入港。機関の改修を受ける事になり、入渠する。工事が続く4月20日、ドゥーリットル空襲に遭遇。横須賀軍港にB-25が襲来し、瑞穂は無事だったものの傍で改修工事を受けていた大鯨に爆弾が命中するなどの被害が出た。その後、空襲を行った米機動部隊を追撃する艦隊が編成されたが、機関の工事中だったためか横須賀にいるにも関わらず瑞穂は編入されなかった。
この改修でようやく殆どの問題点が解決され、全力発揮が可能となった。5月1日、ミッドウェー作戦参加のため集結地点である瀬戸内海西部の柱島へ向けて回航。
その途上の5月1日23時30分、御前崎沖にて米潜水艦「ドラム」の雷撃を受ける。放たれた2本の魚雷のうち、1本が命中し炎上。格納庫内の爆弾と揮発油に引火し、航行不能となる。火災自体は鎮火に成功したが、浸水によって傾斜が激しくなり転覆。翌3時30分に沈没してしまった。機密区画の中央隔壁に被雷した事が致命傷になったという。
乗組員101名が被雷の際に戦死。瑞穂は菊の御紋を戴いた「軍艦」であり、これが軍艦の初喪失となった。重傷者17名、軽傷者14名を出すも、大熊艦長を含む476名の生存者は救助に来た重巡「高雄」「摩耶」によって救出されている。1942年5月20日、除籍。
| 2015年夏イベント『反撃!第二次SN作戦』 新規実装艦娘 |
| 白露型駆逐艦 - 海風 江風 伊・Maesttrale級駆逐艦 - Libeccio(リベッチオ) 夕雲型駆逐艦 - 風雲 秋月型駆逐艦 - 照月 瑞穂型水上機母艦 - 瑞穂 改風早型給油艦 - 速吸 |
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最終更新:2025/12/09(火) 22:00
最終更新:2025/12/09(火) 22:00
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