瑞鳳(ずいほう)とは、『艦隊これくしょん~艦これ』に登場する、大日本帝国海軍の軽空母「瑞鳳」をモデルにした艦娘である。担当声優は小松真奈。
2013年6月5日のアップデートで、西方海域の実装に合わせて夕張とともに追加実装された艦娘。提督諸氏から「づほ」「づほちゃん」という愛称が挙がれば、それは彼女のことである。
他の多くの空母系艦娘と同様の弓道着に加え、振り袖の巫女服をミックスしたような出で立ちの艦娘。ロングヘアーの上側をポニーテールの様に結い上げているが、結い上げてない下側に関しては通常時、中破時とも毛先まで描かれていないため、イラストによって作者の独自解釈が入ることも多い。
本人曰く「小柄なボディ」と自称するだけあって軽空母勢の中では頭身が低めであり、中破時に露わになる身体は華奢な腕・貧乳慎ましやかな胸元・腹筋のかけらも見当たらないイカ腹・くびれのないウエストという完全な幼児体型であることから、ひときわ幼げな印象を受ける[1]そのためか、台詞も若干甘えたような口調のものが多い。
外見年齢相応の茶目っ気と礼儀正しさが同居したような性格。一部の台詞からは祥鳳のみならず軽空母勢への仲間意識を強く持っているらしいことが感じられる。
提督に対しては、朝は食事を作るのを頼んだり、昼にはお手製の卵焼きを勧めたり[2]、おやつにスイーツをおねだりしたり、夜には呑み(!?)[3]に誘ったりと世話を焼きつ焼かれつ、夜更かしすれば心配し…と結構な具合に心を開いてくれていたりする。鳳翔さんが「お艦」なら、彼女の振る舞いはさしずめ甘え上手な幼な妻である。可愛いぞぅ!
彼女を秘書艦にして母港でつつくと、艦載機博士よろしく装備兵装である各種艦載機を紹介してくれる。どうやら着陸脚フェチのようだ。
さらに勢い余って艦載機にちょっかいをかける素振りを見せつつ、理性をかなぐり捨てて本能の赴くまま彼女の格納庫(意味深)をまさぐりにまさぐりまくった(意味深)提督も多いのではないだろうか。こんなに優しくていたいけなロリっ娘になんて破廉恥なことを!
祥鳳型軽空母2番艦だが、1番艦の祥鳳とは担当のキャストや絵師が異なっており、お互いに姉妹であると明言する台詞がないばかりか言及する機会さえごく少ない。デザインはむしろ五航戦の翔鶴・瑞鶴姉妹に近いものとなっている。
ただし、祥鳳と全く異なる方向性でデザインされたという訳でもなく、両者とも飛行甲板が弓になっている点は共通している。瑞鳳の弓が紅白の縞模様になっているのは、元ネタの方の飛行甲板の艦尾部分がその様に塗装されていたため。鉢巻とリボン、草履についても同様の理由から。
これらは、祥鳳が潜水母艦剣埼として竣工した後で改装されたのに対し、瑞鳳は高速給油艦高崎として建造している途中での仕様変更(中途で潜水母艦化計画を経由)により軽空母となったという出自の相違に由来すると考えられる。設計上まったく無関係な2隻の艦が、空母改造後に書類上では同型艦としてまとめられていたと理解すればよい。[4]。
入手難易度が高い(後述)ためか書籍での登場は比較的少なく、出番は『鶴翼の絆』1巻で主人公の瑞鶴と会話したり、コミックアンソロジーにちょこちょこ登場したりする程度に留まっている。また幸運艦として名高い瑞鶴や雪風と違って、瑞鳳が幸運に恵まれる描写もあんまり無い。どういうことなの……。
……が、この度2014年冬に刊行が決まったノベライズ新作『艦隊これくしょん -艦これ- 瑞の海、鳳の空』にて、貧乳仲間の龍驤と共に主役格を務める事が告知された。遂に軽空母の時代が来たのだ!
改装するとステータスだけでなく容姿も変わる(初期の頃では)数少ない艦娘の一人であり、レイテ沖海戦時の甲板塗装をモチーフにしたものに変化する。同じくレイテ沖仕様に着替えるちとちよのような極端な変化はなく着衣の色が変わっただけなのだが、ちゃんと図鑑には改装後の物も別に登録されるので、育てておいて損は無い。改装すると袴の裾に「づほ」と書かれる(改装前の裾には書かれていない)。これは飛行機から見間違えないように、飛行甲板に「づほ」と書かれていた史実より。上述の愛称「づほ」はこの表記に由来する。
性能は軽空母の中では平均的。艦これでは28ノットが高速と低速の境目となっているので速力はギリギリ高速である(瑞鳳の速力は28ノット)。祥鳳と同等のステータスだが、運が光っておりその数値は30。飛龍の35に次ぐ高さであり、改造するとあの瑞鶴と同じ40に…まさに正規空母並みである(その他は他の軽空母と変わらなかったり)。ちなみに、この運の高さは『空母機動部隊として最後まで残って戦った』、もしくは『南太平洋海戦で一撃轟沈の危機が迫ったが運良く回避出来た』という戦史に由来するという説もある。
改装前では30機、改装後では48機の搭載能力を持ち、どちらも一番最後のスロットの搭載数が少なめとなっている。この少ないスロットには戦闘機や艦爆などを乗せても打撃力や制空力に欠けるので、機銃を載せたり彩雲を載せる提督が多いようである。
中破以上した時にドック入りさせると「温泉、入りたいなっ」というが、この元ネタは仙台の秋保温泉の「ホテル瑞鳳」からではないかと言われている。ちなみに「ホテル瑞鳳」の瑞鳳の由来は初代仙台藩主伊達政宗の墓所である「瑞鳳殿」からではないかと思われる。
話題に出せば大半が盛り上がるであろう彼女だが、そこまで高い人気を持っている訳ではない。原因として出現率の異様な低さが1つとして上がっている。
まず、前提となるレア度はSR(金背景)。金剛型四姉妹や夕張、殆どの正規空母達と同じレア度であり、軽空母全体でもトップクラス。
改造するとレア度が1段階増えH(ホロ)に、さらに他の艦と同じく改造後に付く菊水に似た模様も入る。
建造の場合、彼女ら祥鳳型の所要時間は2時間40分。瑞鳳のSRに対して祥鳳はR(銀背景)[5]である為、レア度による優先順位から大半は祥鳳が登場することとなる。
ドロップの場合、通常海域での出現が確認されていたのは4-2ボス戦程度しかなかっため、「軽空母が瑞鳳以外全員揃っている」「瑞鳳より先に五航戦が揃った」といった状況[6]が起こりうる。
2013年12月から2014年1月にかけて開催されたイベントではE-2海域全域でのドロップが報告されていた。
なお、現在は2014年2月26日のアップデートにより追加された5-4海域でのボスドロップも確認されている。 こちらは周回が容易(ある編成でボス確定)のため、多少難易度は下がったのかもしれない。
ただ5-4は現状最深部の海域であり、ここへ至るには毛根が死滅しかねない程の凶悪な難易度を誇る海域を幾つも突破しなければならない。5-4や4-2以外でもドロップが確認されているが大半が難所の海域で、しかもボスドロップ限定となっている。ちなみに大型建造でも建造可能ではあるが、やはり低確率である。
彼女を轟沈してしまった提督曰く、 「彼女の轟沈の台詞は散っていく桜より儚く、もう会えない親友以上に彼女に会えないかもしれない」と語っている。慢心ダメ、ゼッタイ。
前述の通り、元々は高速給油艦、高崎として建造されていた(起工は1935年)。
ただし高崎はロンドン海軍軍縮条約による空母の保有制限をかいくぐるため、戦時には迅速に空母に改装可能な設計がなされていた。そして条約から日本が脱退した後、建造途中でより改装が容易な潜水母艦(潜水空母ではなく、洋上で潜水艦に補給・整備が出来る艦のこと)へと仕様変更がなされ、さらに航空母艦へと仕様が変更された上で高崎から瑞鳳へと改名し、1940年12月27日に竣工。佐世保鎮守府に配属された。1941年4月10日、第三航空戦隊所属となる。僚艦には鳳翔がいた。
太平洋戦争開戦当初は最前線に出る事は無く、試験航海も兼ねて本土・台湾間の航空機輸送作戦に従事していた。1942年4月、米空母「ホーネット」が放ったB-25部隊が日本本土を初空襲する(ドーリットル空襲)。瑞鳳は、空襲を終えて撤退する米機動部隊の追撃を行ったが、発見する事が出来ず帰投した。続く一ヵ月後の1942年5月4日に生起した珊瑚海海戦で、唯一無二の姉である祥鳳をいきなり失ってしまった。
1942年6月5日、ミッドウェー海戦に空母戦力として鳳翔とともに参戦。主力空母はあくまで赤城・加賀・飛龍・蒼龍の4隻で、瑞鳳と鳳翔は旧式機ばかり搭載した予備戦力の扱いであった。ところが主力空母4隻を一挙に失ってしまったため急遽、第三航空戦隊に攻撃の命令が下る。瑞鳳隊の航空機は魚雷を搭載していなかったが、それでも敵襲に備えて発艦準備を整える。攻撃の機会を窺う瑞鳳であったが米艦隊とは会敵せず、何も出来ないまま海戦が終わってしまった。9日、残存の攻略部隊は北方へと向かい、陽動のためアリューシャン方面の米軍拠点ダッチハーバーを空襲していた龍驤・隼鷹と合流。大湊へ帰投した。帰投後、艦隊司令の山本五十六より感状を承っている。
空母不足の穴を埋めるべく軽空母の瑞鳳も最前線へ投入される事に。第一航空戦隊が纏めて消滅してしまったため、1942年7月14日に再編成が行われた。なんと瑞鳳は翔鶴・瑞鶴の正規空母とともに栄えある第一航空戦隊へと配属された。それから約3ヶ月後の10月26日に行われた南太平洋海戦では翔鶴・瑞鶴とともに機動部隊を編成しソロモン方面へ進出、米海軍と矛を交えた。しかし第一次攻撃隊発艦直後に、偵察のドーントレス急降下爆撃機2機の奇襲に遭う。瑞鳳側は敵襲に全く気づいておらず、しかもその時の飛行甲板には発艦準備中の第二次攻撃隊が所狭しと並べられていた。下手すれば、ミッドウェーの悪夢再来となりかねない最悪の状況であったが、ドーントレスが投じた爆弾は運良く航空機の無い艦尾に命中、引火による大爆発は避けられた。瑞鳳の運が高いのは、ここから来ているのかもしれない。ただ、このダメージで瑞鳳は中破してしまい、艦載機の発進こそ辛うじて可能だったが着艦が困難になってしまった。そのため瑞鳳は戦闘開始早々に空母としての能力を喪失してしまうのだった。
その後、米空母ホーネットより飛来した攻撃隊の空襲を受ける。これに対し瑞鳳は迎撃のため14機の零戦隊を出撃させ、ドーントレス2機を撃墜した。しかしこの攻撃で翔鶴は爆弾を6発被弾。手傷を負った翔鶴と一緒に瑞鳳は戦場を離脱した。
ドーントレス急襲前に発艦した瑞鳳の航空隊は第一次攻撃隊として翔鶴・瑞鶴の航空隊とともに、米機動部隊へ向けて飛行した。すると前方より米空母ホーネットから発進した敵の攻撃隊が近づく。しかし両者ともに手出しはせず、素通り。しかし次に遭遇したエンタープライズの攻撃隊とすれ違った時、第一次攻撃隊の最後尾に付いていた瑞鳳の零戦隊が反転攻撃。敵航空隊5機(雷撃隊の指揮官機を含む)を撃墜。他にも1機の無線と機銃を破壊してエンタープライズへ撤退させた。しかし空戦で零戦2機が撃墜され、帰投方向を見失った零戦2機も瑞鳳に帰り着く事無く失われた。誘導機として零戦隊を率いていた九九艦爆も未帰還となった。
この後、第一次攻撃隊は米空母ホーネットを発見。3発の爆弾を飛行甲板に撃ち込み、最終的に撃沈へと追い込んだ。しかし瑞鳳隊は道中で敵航空隊に反転攻撃をしたためこの攻撃には参加できなかった。なお、生き残った瑞鳳隊は瑞鶴へと着艦した。
その後、佐世保工廠で傷を直した瑞鳳は1943年、ガダルカナル島撤退作戦の支援や硫黄島付近の索敵、南方の日本軍拠点への航空機輸送作戦等に従事。硫黄島付近は危険が多い海域となっていたが瑞鳳は被弾する事なく作戦を完遂させた。横須賀・トラック間の輸送任務にも従事した。瑞鳳の放置ボイスは、硫黄島付近の策敵や横須賀・トラック間の輸送任務に従事した事に因るものだろう。
同年3月には「い号作戦」により瑞鳳航空隊の一部を南方の陸上基地へ貸し出している他、ラエ基地に輸送する兵員と物資を載せた輸送船団を護衛するため瑞鳳所属の零戦15機を派遣している。しかし米軍の新戦術「反跳爆撃」により輸送船団は護衛の駆逐艦もろとも壊滅するという手痛い敗北を喫している(ビスマルク海海戦)。
1944年4月8日、第一航空戦隊所属だった瑞鳳は大鳳の完成を以って古巣の第三航空戦隊へと配置換えとなった。同年6月、絶対国防圏の要であるサイパン島に米軍が襲来。これを迎え撃つべく連合艦隊は再建したばかりの機動部隊をマリアナ諸島に送り込み、マリアナ沖海戦が発生。瑞鳳も第三航空戦隊としてこの作戦に参加。千歳・千代田とともに前衛部隊を送り出し、翔鶴ら本隊が繰り出した航空隊の前面に展開させた。しかし米軍の濃厚な統制砲火と対空網に引っかかり、送り出した航空機の大半が撃墜されてしまっている。
また瑞鳳には対空レーダーが装備されており、前衛部隊を出撃させた後、接近する米軍航空隊を発見した。
翔鶴・大鳳・飛鷹が撃沈され航空機も300機以上が撃墜されるなど帝国海軍の大敗北に終わったが瑞鳳は損害無く帰投した。余談だが、瑞鳳は本隊の前方に展開する前衛艦隊に所属していたのだが、その前衛艦隊の中でも最前列に配置されていた。それでいて損害が無かったのは、ここでも瑞鳳の強運が発動したからと思われる。その代わり、後方にいたはずの本隊は米潜水艦の襲撃を許し、虎の子の翔鶴と大鳳が撃沈される憂き目を見ている。
何とか大海戦を生き延びた瑞鳳であったが、生き残った空母には更に過酷な運命が待ち受けているのだった。
瑞鶴や翔鶴といった再編後の一航戦を構成する空母と並び各地を転戦した歴戦の艦ではあったが、機体以上に熟練パイロットの喪失は深刻であり、その最後の戦いとなったレイテ沖海戦では、瑞鳳を擁する小沢機動部隊の役割は米海軍に対する囮でしかなかった。
1944年10月、皇国の喉元であるフィリピンに米軍が迫る。帝國海軍は捷一号作戦を発令、持てる艦隊戦力を全てフィリピン沖へと出撃させた。ここまで生き残っていた瑞鳳も小沢機動部隊の一員として作戦に参加。瑞鶴や千歳、千代田と同じように船体を迷彩で染めた。
彼女ら空母群に課せられた任務は米軍の航空兵力を引き寄せて、主力のレイテ湾突入を助ける事だった。しかし彼女らに与えられた航空機と護衛艦艇は極僅かなものであり、雲霞の如く迫り来る米軍航空隊の猛攻に晒されれば全滅必至であった。
そしてエンガノ岬沖海戦において瑞鳳は最期の時を迎える。海軍の読みどおり小沢機動部隊に米軍機が殺到。十数機の護衛機に対し、米軍は150機に及ぶ爆撃機で攻撃。
10月24日、まず第一波の80機が襲来。8時35分、瑞鳳の後部甲板に爆弾一発が直撃。リフトを貫通し、リフト機械室が破壊されてしまった。2分後には旗艦瑞鶴も被弾し小沢機動部隊は激しい爆弾の驟雨に晒される。爆弾2発を受けた瑞鳳は操舵不能となり、格納庫が炎上。8時58分、護衛の駆逐艦「秋月」が沈没。軽巡「多摩」が被弾により落伍、艦隊より離れた。9時37分、被弾により傾いていた千歳が沈没。
第二波は9時58分に始まり、千代田も被弾。機関に火災が発生し航行不能、以降は漂流。敵は瑞鶴、大淀、伊勢に攻撃を集中させ、瑞鳳にも攻撃の手が及んだ。踏みとどまる瑞鳳は対空砲で反撃し、敵機を撃退。直撃弾を受ける事は無かったが多数の至近弾が飛んできて、破孔が生じる。また、この頃から船体が傾斜し始める。
第三波は午後1時6分に始まった。1時17分、瑞鳳の船体後部に魚雷が命中し右へ傾斜。28分から至近弾を7発受け、50分には第二缶室使用不能、速力は僅か6ノットにまで低下した。2時5分には遂に航行不能に陥った。2時14分には旗艦瑞鶴が沈没。旗艦沈没後も満身創痍の体で浮いていた瑞鳳であったが、約20機の敵機に襲撃される。3時27分、浸水により船体を真っ二つにして艦尾から沈んで行った。沈没した瑞鳳の乗組員は航空戦艦「伊勢」と駆逐艦「桑」(未実装)によって救助された。
小沢機動部隊の空母はごく僅かな直掩機しか擁しておらず、それを遥かに上回る物量の米軍艦載機による集中攻撃を受けた末、瑞鳳は最終的に至近弾82発、魚雷2発、爆弾2発の被害を受けて沈没したのだった(同海戦にて瑞鶴・千歳・千代田も戦没)。
なお、この戦いで小沢機動部隊、うち第三航空戦隊が全滅したことにより、帝国海軍の空母機動部隊は文字通り壊滅している[7]その中でも瑞鳳は最後に沈んだ艦であり、『日本の空母機動部隊の幕引きを務めた艦』と言うこともできるだろう。
相方の祥鳳が沈んでから自身も沈没するまでの約2年5ヶ月、策敵や航空機輸送といった後方任務に徹しつつ大きな海戦にも参加した瑞鳳は小柄な体に似合わない大きな戦歴を持っていると言える。
ちなみに瑞鳳らが身を挺して敵航空兵力の引き寄せを行ったにも関わらず主力の栗田艦隊はレイテ湾を目前にして謎の反転。作戦は失敗に終わっている。俗に言う栗田ターンである。
9月16日に完成。作成者曰く「まさぐっていたらできた」とのこと。
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最終更新:2024/04/26(金) 02:00
最終更新:2024/04/26(金) 02:00
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