矢矧(艦これ) 単語


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ヤハギ

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軽巡矢矧、着任したわ。提督、最後まで頑張っていきましょう!

矢矧(艦これ)とは、艦船擬人化ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する、大日本帝国海軍の阿賀野型軽巡洋艦3番艦「矢矧」をモデルとしたキャラクター(艦娘)である。

担当声優は山田悠希。担当イラストレーターはコニシ。

阿賀野型軽巡の三番艦、矢矧の概要よ!

かねてより本艦の実装については触れられていたが、2013年秋のイベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」の期間延長の際に、延長期間(1週間)限定の特別レアドロップ艦としてイベント最終海域の最深部に先行配置された。

同年12月24日より実装された「大型艦建造」にて本実装された。大型艦建造の中では比較的少ない建造資材での建造報告が出ている。

服装は阿賀野型共通のセーラー服にスカート、白手袋と片足のニーソックスという出で立ちで、黒髪をポニーテールにまとめている。
ややおっとりとしている阿賀野としっかり者の能代という姉達どちらとも違う凛とした雰囲気が特徴である。

戦闘でのボイスは史実での戦闘を踏まえた物が多く、特に損傷時のボイスではその耐久性の高さを誇るかのような台詞を言い放つ。
お互いに対する台詞の多い阿賀野、能代と違い、姉二人に対する台詞は無い。
これは史実でも関わりの薄かった(能代とはレイテ沖、サマール沖海戦で共に戦ったが編成は別々である)ことを反映しているのかもしれない。
ただし、阿賀野と能代も史実では関係が薄いため艦これでの阿賀野型の関係が必ずしも史実に忠実というわけではない(というよりも阿賀野が早く沈みすぎなのである)
姉妹艦への台詞がない代わりに提督に関係する台詞は豊富で、母港では提督の戦略や気配りを評価してくれる。
お触りに対しても寛容、というか向こうからも積極的に攻めてくる、艦娘の中でも数少ない肉食系。
そのほかのボイスでも全体を通して最新鋭艦としての誇りと提督への信頼を見ることができる。
また、彼女の時報ボイスは他の艦娘以上にメタ台詞が多く、提督の代わりにデイリー任務をこなそうと奮闘する彼女の姿を見ることができる。 (もちろん、彼女が秘書艦であっても毎日の任務は提督がこなさなければいけないが)

ゲーム中での性能は新鋭の軽巡洋艦として優秀な初期ステータスを有しており、また阿賀野型共通の特徴として装備スロットが初期から3つあることも強みと言える。(ただし改にしても装備スロットは3つのままで、軽巡洋艦としては横並びになる)
同型艦の阿賀野、能代と比べて火力、対空、耐久、運、回避が若干高く設定されている。
これは図鑑で自ら言っている通り後半の大きな海戦のほとんどに参加して、若干なりとも戦果を挙げていたことが理由であると考えられる。
ただし、全体の性能は高水準であるものの改造後の最終的な能力では球磨や長良といった旧型艦ネームシップに火力面で劣り、装甲で同値。燃費も軽巡の中では若干高めで扱い難いと言われることが多い。
とはいえ、球磨や長良については運営自身が初期の調整でやりすぎた、と発言しているので、それらとタメを張れる時点で決して弱い艦娘ではない。
阿賀野型共通の新兵装である、15.2cm連装砲と8cm高角砲を初期・並びに改造時に装備しているが、その性能は非常に微妙で評価に困る。というかぶっちゃけ使いづらい。(史実でも高性能な装備だったわけではないので、この辺りの性能は史実準拠と言える)

因みにやはり元矢矧乗組の海軍少尉であり、株式会社日本設計名誉会長の池田武邦氏は、ご高齢ながらも艦これ、そして艦娘の矢矧をご存知であり「かわいいじゃないか、うん、いい子だよ」と好意的な感想を述べられている。 

私の記憶の途切れた後、史実はどうなったのかしら。ま、いいわ・・・今度は全てを護りきるから!

元ネタは阿賀野型軽巡洋艦3番艦「矢矧」(やはぎ)。「矢矧」は1941年11月11日、佐世保海軍工廠において起工され、1943年12月29日に竣工した。名前の由来は長野県、岐阜県 、愛知県を流れる「矢矧川」であるが、現在では「矢作川」(読みは同じ)の表記になっている。また、進水式の際はその機密保持のため、進水式で配られる記念酒盃には矢矧の名はなく「矢に萩の花」をあしらった絵が描かれていたという(このエピソードは時報にも反映されている)。

つまり、矢作でも矢萩でもなく「矢矧」なのだが、このように間違われやすい経緯を持っている。私の名前、漢字で書けます?

戦歴

マリアナからレイテ

竣工後、佐世保鎮守府に所属し第三艦隊第十戦隊所属となる。その後、すぐに佐世保工廠に入渠し1944年1月4日に出渠。レーダーの公試を行っている。2月13日、シンガポールを経由してリンガ泊地へ進出、訓練に従事する。
4月14日、潜水艦攻撃のためリンガを出撃するも発見できず。ベルハラ経由でリンガに帰投する。5月12日、ペンゲラップ出港後に敵潜水艦と遭遇、爆雷攻撃を行っている。15日、タウイタウイ泊地へ入港し、あ号作戦に参加、 

 初陣は1944年6月19日、第十戦隊を率いて参加したマリアナ沖海戦である。なお、かつての第十戦隊旗艦であり阿賀野姉妹の長女「阿賀野」は同年2月16日に既に戦没している。この海戦で大日本帝国海軍は航空母艦「大鳳」及び「翔鶴」を米潜水艦による攻撃(「大鳳」を沈めたのは、またお前か「アルバコア」)で喪失しており、「矢矧」はもっぱら両艦の救助活動に専念していた。対空戦闘を行うもののこの戦闘で「矢矧」に損害はなかった。作戦後、矢矧は中城湾へ帰投。

同年7月、マリアナ沖海戦での対空戦闘で力不足と思われたのか機銃の数が6基から52基にまで増設され、レーダーも新たに搭載された。8日、沖縄へ兵員輸送する金剛たちを護衛し呉を出港。一時は空襲を避けるために佐伯湾に避難したが、無事に送り届ける事に成功した。その後、マニラを経由してリンガ入港。訓練に従事する。

同年10月、レイテ沖海戦における一連の諸海戦に栗田艦隊として参戦。この海戦には姉の「能代」も参加している。24日のシブヤン海海戦では「能代」共々、「敵の潜水艦を発見!」と誤報を発し(正体は流木だったらしい)艦隊は混乱してしまう。その後、米第38任務部隊の空襲を受け「矢矧」は小型爆弾を被弾、艦首に4m強の破孔が発生し速力が22ノットまで低下した。しかし、即日修理を行い、翌日の戦闘では半ば無理やりで32ノット(本来の最大速力は35ノット)で航行した。損傷により伊藤比良雄大尉以下44名が戦死。この海戦で帝国海軍は戦艦「武蔵」を失う。

10月25日、栗田艦隊第10戦隊の旗艦としてサマール沖海戦に参加。「能代」らと共に護衛空母群(日本側は主力機動部隊と誤認)を捕捉し、追撃するも撃沈には至らなかった。夜明けだったためか、この護衛空母群は艦載機の発艦を完了しておらず、機動部隊としては脆弱な状態であった。格好の獲物を見つけた栗田艦隊はすかさず突撃を開始。護衛空母群は慌てて煙幕を張り、砲撃から身を守ろうとした。この際「矢矧」は僚艦とともに遠距離雷撃を敢行するも命中しなかった。そこへ、果敢にも煙幕の外に飛び出してきた駆逐艦「ジョンストン」が栗田艦隊に反撃、魚雷で「熊野」を大破させられてしまう。が、その「ジョンストン」も戦艦榛名の砲撃で大ダメージを負い、一気に満身創痍となった。第10戦隊の「雪風」「浦風」は、旗艦の「矢矧」とともに手負いの「ジョンストン」を砲撃。沈没せしてめている。しかし、空襲の被害も大きく栗田艦隊は帰路につくまで18回の航空攻撃を受け、「矢矧」自身は比較的軽微な被害で空襲をやり過ごしたが、翌26日に姉の「能代」を喪失してしまう。この時点で竣工していた阿賀野型姉妹は3隻だけだったため[1]「能代」が沈没したことにより、事実上「矢矧」一人になってしまった。

レイテ沖海戦の終結後、「矢矧」は一度ブルネイ泊地へ撤退。そこへ生き残った残存艦艇も続々とやってきた。連合国軍の空襲圏内にあるブルネイ泊地に大和や長門といった主力艦を留め置くのは危険と判断した上層部はこれら戦艦群に内地へ帰還するよう命令を下す。矢矧はその護衛として選ばれ、一緒に内地を目指すこととなった。
帰還途上の台湾海峡で米潜水艦「シーライオン」の襲撃を受け金剛を失ったが、実はこのシーライオンが定めた最初の標的は矢矧であった。が、直前で大物の金剛に狙いを変え、矢矧は辛くも内地へ帰還する事が出来た。

何とか母港へと帰還した矢矧は、11月15日第十戦隊解隊に伴い第二水雷戦隊に旗艦として編入された。この時に改修工事を受けており、機銃の数が更に増やされた。
1945年3月19日、呉で入渠中に米機動部隊の空襲を受け、対空戦闘。
そして4月5日、連合艦隊司令部より沖縄への突入命令が下る。その夜、矢矧と大和に着任した海兵74期、経理学校35期出身の少尉候補生73名が退艦。未来に若者を少しでも残そうと、着任してから日が浅い若年士官たちを、温存が決まっていた雲龍型空母に退避させたのだ。また傷病兵も地上勤務に回して退艦させる。代わりに燃料などの補給物資が積み込まれ、無事に沖縄へ辿り着いた時のために陸戦用小銃も積まれた。

最期の出撃

 1945年4月6日。米軍の沖縄上陸を受け連合艦隊は、かねてより大本営より下令されていた天号作戦のうち天一号作戦を発動。「矢矧」は水上特攻を敢行する戦艦「大和」の護衛として、「雪風」「初霜」「」ら駆逐艦8隻を連れ、共に沖縄へと向かう。この際、武器弾薬以外に救命用の多量の角材も積載していた。[2]また、艦長である原為一大佐は少尉候補生23名を退艦させ、食糧庫より米麦20日分のうち5日分を残して返納している。[3]更に、坊ノ岬沖海戦直前にも、「矢矧」から搭載していた水上偵察機1機が発進している。それらの理由は語るまでもないだろう・・・。

 大和とともに徳島沖を出撃し、艦隊は輪形陣を取る。矢矧はその先頭を任され、大隈海峡を突破。沖縄へ向けて航行する。米軍を欺くため一時は台湾へ向かうかのように航路を変えたが、通用しなかった。

 海戦が始まるや、旗艦「大和」の護衛として同行した「矢矧」は米機動部隊の猛攻を受ける。事前に日本海軍の暗号電文を傍受・解読し、さらに航空機による事前偵察まで行って、ほぼ完全に日本側の作戦や艦隊構成を読み切っていた米軍は、途中で殲滅することを最終目標とした[4]。そして、11隻の空母及び戦艦9隻と無数の駆逐艦で「大和」達を出迎えているが、のべ400機近い最新鋭艦載機の猛攻により、米戦艦は砲戦の機会すら与えられなかっった。
 空襲開始から30分も経たないうちに「矢矧」は魚雷を左舷中央と艦尾に受ける。これによって機関が停止してしまった「矢矧」は、もはや動くことすらままならず、守るべき「大和」が猛攻撃を受け、傾斜していく姿を見守ることしか出来なかった。

「矢矧」の救助を試みた艦船が駆逐艦「磯風」及び「初霜」である。「磯風」は「矢矧」に接舷しての決死の救助活動を行い、古村啓蔵少将は「初霜」に救助され生還している。古村少将は救助された「初霜」で天一号作戦中止の報を受けた。また、作戦終了後には「雪風」「冬月」も生存者の救出活動に加わっている。

 「矢矧」は沈むまでに魚雷6本以上、爆弾10発以上を被弾したが、その堅牢さは乗員が「もう早く沈んでくれと思うほど沈まなかった」との回想を残すほどであった。矢矧の中破セリフは「私を沈めたいなら、魚雷5、6本くらい撃ち込まないと…駄目よ!」であるが、実際のところそれ以上の打撃に耐えていたようだ。
 「矢矧」の沈没は1945年4月7日14時5分、「大和」が沈む僅か20分前であった。「矢矧」の戦死者は446名、艦長原為一大佐並びに第二水雷戦隊司令古村啓蔵少将を含む乗員507名が生還した。6月20日、除籍。

 昭和44年4月7日、矢矧戦没から24年後。「矢矧」及び彼女と運命を共にした戦没者の慰霊碑が、佐世保旧海軍墓地東公園に建立された。彼女の遺品ともいえる、レイテ沖にて損傷・交換された12サンチ見張り用双眼鏡も、池田武邦氏の寄贈により海上自衛隊江田島術科学校にて保存されている。
 当時の海上幕僚長にして元矢矧乗組士官だった板谷隆一氏は、佐世保旧海軍墓地に建立された、軍艦矢矧慰霊碑の最後にこのように記している。

ゆきしふね かえらぬおかに はなふぶき

その他

「矢矧」の名はのちに海上保安庁やはぎ型巡視船に受け継がれている。また、「矢矧」の名を持つ軍艦は過去に筑摩型防護巡洋艦の2番艦があった。

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そうね。この次の関連項目がもしあるのなら、今度は軍艦じゃないってのもいいかもね。

  • 艦隊これくしょん~艦これ~
  • 軽巡洋艦(艦これ)
  • 阿賀野型軽巡洋艦
    • 阿賀野(艦これ)
    • 能代(艦これ)
    • 矢矧(艦これ)
    • 酒匂(艦これ)
  • 山田悠希
  • 軍艦
  • 巡洋艦
2013年 秋イベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」 新規実装艦娘
阿賀野型軽巡洋艦 - 阿賀野 能代 矢矧
伊号潜水艦 - 伊8 伊19       大和型戦艦 - 武蔵

第十戦隊(旗艦:矢矧) 所属駆逐艦
第四駆逐隊 野分(艦これ) 山雲(艦これ) 満潮(艦これ)
第十七駆逐隊 浦風(艦これ) 磯風(艦これ) 浜風(艦これ) 雪風(艦これ)
第十駆逐隊 朝雲(艦これ)→第四駆逐隊へ異動
第六一駆逐隊 秋月(艦これ) 初月 若月
附属 霜月→第41駆逐隊へ編入

第二水雷戦隊(旗艦:矢矧) 所属駆逐艦
第七駆逐隊 潮(艦これ) 響(艦これ) 霞(艦これ)→第21駆逐隊へ異動
第十七駆逐隊 浦風(艦これ) 磯風(艦これ) 浜風(艦これ) 雪風(艦これ)
第二一駆逐隊 初霜(艦これ) 時雨(艦これ) | 朝霜(艦これ) 霞(艦これ)
第四一駆逐隊 涼月 冬月

脚注

  1. *妹である「酒匂」は1944年11月30日に就役している。戦争最末期だったこともあり目立った戦果はなく、終戦時は復員船として最後のご奉公を果たした後長門ともに「アレ」を迎えている。
  2. *補修やダメージコントロールを目的として木材や角材などを各艦搭載するのが通常であるが、「矢矧」は救命用としても搭載していた。
  3. *艦長である原為一大佐と副長との協議があったという説と、艦長の独断だったという説がある。
  4. *米軍は「大和」達が途中で引き返すことを恐れて、潜水艦が雷撃することまで禁止する徹底ぶりだった。

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