|
||||||||||||||||||||||||||
福原忍とは、阪神タイガースに所属するプロ野球選手である。背番号は『28』。ポジションは投手。
二岡智宏(現・北海道日本ハムファイターズ)と広陵まで同窓。その二岡と高校野球で一緒にプレーし、新井貴浩(現・阪神タイガース)と高校時代に対戦した事がある。
東洋大学では4年の時に6連勝を達成し、東都大学リーグ1部昇格の原動力となった。その後、1998年のドラフトで阪神タイガースに入団。
阪神時代初期はかなりの速球派だった。150km/hを超えるストレートを武器とし、多彩な変化球で相手を打ち取るといった投球が魅力的だった。
ルーキーイヤーは野村克也監督に買われ、先発、中継ぎ、抑えでフル稼働。最終的に10勝7敗9セーブ、防御率4.09の成績を残す。ちなみに、この年の新人投手初の勝利投手で、史上初の4月中の新人初勝利、セーブを達成している。
2000年からは先発ローテーションに転向し、そこそこの勝利を勝ち取っていたが、負け越すシーズンが多かった。2002年に一度手術をし、2003年は終盤の5試合にしか投げられなかった。2004年、2005年とリーグ最多敗戦投手の不名誉な記録を作っている(ちなみに、2004年は10勝15敗と、二桁勝利投手にはなっている。)。
2006年、ようやく覚醒する。先発ローテーションとして23試合に先発登板し、12勝5敗、防御率も2.09と素晴らしい防御率を叩きだし、この年だけ『左の井川慶、右の福原忍』という2枚看板ができた。しかし、井川はメジャーリーグへ移籍し、2007年以降の福原も加齢と共に投手としての能力を失っていった。2010年の途中から先発失格の烙印を押されて中継ぎへと転向した。しかし中日ドラゴンズの山本昌に「歩幅を広げた方がいい」という助言を貰い、一度狭めていた歩幅を戻したところ、全盛期に近い球威を取り戻した。以降、中継ぎ投手として活躍することに。
中継ぎで球威を取り戻した2011年オフ以降は度々大リーグからのオファーが来ているが、並々ならぬ猛虎魂を発揮して残留している。
2014年、自身初のタイトルとなる最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。まだまだやれることを証明した。
蛇足だが、『やってやるぜ!』は『藤原』の方である。『福原』ではない。
福原の動画はないようだ・・・。
。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/08(月) 04:00
最終更新:2025/12/08(月) 04:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。