移民単語

イミン

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移民とは、移り住んできた人のことである。また、掲示板などで他のなどからやってきた人などのこともネットではす。代表例としては彡(゚)(゚)など。

概要

 長期にわたって異、出身とは違う地域に住む人のこと。昔からあることで、例えばアメリカオーストラリアは移民が作ったである。元々ヨーロッパ人がアメリカ大陸豪州にいたわけではない。また華僑といって中国人の移民が東南アジアでは見られる。シンガポール華僑である。ただしこれは近代国家概念確立し、境線が意識される以前の話であり、現代的な移民、つまり籍を変更し帰化する、労働を的に短期滞在を繰り返すという意味での移民とは必ずしも一致しない。現代においては移民問題は、国家概念と表裏一体であり、文化経済の問題とセットられる事が多い。
 現在では、移民によって安い労働を手に入れたり、みんながやりたがらない仕事やらせたり、といった為になされる。また移民する側としてはより高い賃を手に入れたり、より環境の良いで暮らす為などの理由で移民する。
 問題点としては、現地人との文化的な轢を生む、移民が現地人の仕事を奪う、移民が言などの問題で結局就職できず貧困層になる、治安の悪化などがある。このため、移民をめるもあるが慎重論もある。台湾など親日からのみの受け入れという意見もあるが、そもそも移民にみんなが嫌がる仕事やらせるのは一種の奴隷制に近いのではないかという問題もある。

日本への移民

 歴史的には、渡来人といった中国朝鮮半島から来日する職人や武人の存在、仏教僧侶日本へ教えを説きに来る事がしばしばあった。また大航海時代には、南蛮人と呼ばれるヨーロッパ人やアフリカ人の存在が知られている。有名なのは織田信長に仕えることになった弥助がいる。
 国家として民=籍保有者と法的に管理するようになってからは、朝鮮半島出身者の存在が政治的には前化してくる。これは日本朝鮮を併合し、同じ民として扱うかどうか揉めていた時期に当たる。当時日本経済であった紡績業は初期から積極的に朝鮮人を受け入れている。また第二次世界大戦日本国政府が強制的に旧植民地地域出身の者たちを籍喪失させると、「外国人」となってしまった者たちが在日外国人としてアイデンティ生活問題に悩まさせられる事になる。法律的には移民ではないが、沖縄人も日本国文化政治的に同一化を迫られる琉球処分が較的遅かったため、文化的に同化が難しく、しばしば問題を呼んだ(方言札や人類館事件など)。
 1980年代以降は、好気の煽りを受け、南米アメリカハワイに見られる「日本人移民」やその縁者、前世紀からある中国韓国人との結びつきなどを利用しての、労働不足を理由とした定住外国人増加が見られる。在留資格のあるものは、1991年122万人から2016年には238万人となっている。
 全体としてみるならば、中国韓国台湾などからの移住者が大都市に多く、職種も一般企業のほか、サービス業ンド非製造業が多いのに対し、ブラジルペルーからきた南米人は、愛知県静岡県群馬など北関東自動車工業製造業に集中して雇用されている。これは、産業界の意向を受けた1990年代の入管理法正により、海外日系人に内での職、就労、転職の制限のない「定住者」の資格が付与されたことによって増加していったものである。近年はアジア経済全体が安定的に成長してきたこともあり、必ずしも経済的移民ばかりとも言えなくなってきた。ジャパニーズポップカルチャーや日流といった文化面での交流も無視できなくなっている。また韓流華流など、アジアのカルチャーも日本人の間で消費されることもしばしばあり、相互的にもなってきている。訪日外国人旅行者数もかつては、平成に入っても400万人に満たなかったが、法務省によるビザ緩和や積極的に外国人を呼び込む政策にを切った結果、2005年の673万人から2015年1974万人と出日本人数の1621万人を初めて抜き観光として脱皮を見せている。

越境する移民ネットワーク

 オールドカマーとしては上野鶴橋コリアン・タウンは古くから飲食店を中心に地域に根付いている。ニューカマーは80年代においては単に日本にやってきて働くというのが、移民の大多数であったが、次第にと移住先のネットワークが築かれていく。池袋新宿で見られたアジア外国人ネットワーク化は以下の通りである。まず第一段階では、住み着いた人が家族族、友人や知人を呼び寄せて、ネットワークを形成する。第二段階は、新たな移住者の集中が独特のエスニック生活文化世界を形成し始める。90年代に第二段階への変化が見られ、文化情報に対する需要が喚起され、エスニックビジネスが形成される。移住者自身が始める国語新聞や雑誌、ビデオレンタル、たまり場としての飲食店や美容院などが、文化を再構成し、ネットワーク化の媒介となった。近年は中国韓国といったアジア系だけでなく、ブラジル人やインド人、トルコ人その他イスラム教徒などが新大久保や新小岩、群馬県大泉町リトルブラジル)といったところに根付いてきており、異文化を手軽に味わえる新たな観光地として賑わいを見せている。

日本からの移民

  日本への移住と同じくらい古い時代から、日本からの移民も見られる。日本列島が形成されたあと、縄文人という人達が住んでいたが、縄文人達は一部アイヌ沖縄人の祖先と混血して今に至っている。また古来から中国日本文化的に一体的な時期を有していたので、しばしば中国文化を学びに出かけることをしている。歴史上の人物では倍仲麻呂が唐において科挙に合格して役人として成り上がりを見せている。また遣唐使が取りやめになったあとも、経済的交流は見せており、倭寇と呼ばれる人達が日中を往来している(海賊として働くこともあったが、基本的には私貿易を行う商人である、界人としての見方もある)。いわゆる鎖国政策が取られる前までは、日本海外との往来は活発で、東南アジアや遠くはスペインまで貿易、宗教的帰依のために出かけることがあった。支倉常長山田長政などがいる。幕末であるが、ジョン万次郎という漂流の末、半ば難民同然でアメリカに渡り業をなしたものもいる。
 但し、必ずしも穏便に移民が行われたことばかりではなく、人身売買による日本人連れ去りもしばしば見られる。記録が残っている限りでは、フロイス日本史日本人連れ去りがあったとされる。
 明治以降は、アメリカハワイへの移民、ブラジル移民が顕著である。これらの移民は日本国内での生活が困窮していて、フロンティアとして出稼ぎに行く、日本国政府としては外貨を稼ぎに行ってもらい、本経済の助けとしてもらう意図があった。但しハワイ移民に見られるように、経済弱者であった沖縄人がハワイで再び奴隷同然で働かされるなど良いことばかりではない。似たようなことは北海道開拓の満州開拓団でも見られる。そして第二次世界大戦後旧植民地に取り残された日本人は棄民とも称され、日系人もしくは残留日本人としてと途絶され未だに尾を引いている。
 日本戦後経済成長を果たしたあとは、企業人としての移民が立ってきている。その始まりはニクソン・ショック後のドルペッグ制の崩壊であるが、これにより日本経済に見合った通貨価値として円が評価され、急速に円高が進んだ。ここから日本企業は今までの原材料輸入―完成品輸出という輸出産業から、海外投資を強めて現地生産現地販売へと方針転換を行うようになる。特に中国経済成長が決定的になってからは、本社工場だけでなく、下請け工場も関連部品を扱ってもらうために中国本土へ移転するケースがしばしば見られる。また90年代後半から企業駐在員とその家族の移住が増えてきている。在留邦人の数は、80年台から増加が顕著となり、1990年の62万人から2005年には101万人、2016年133万人をえている。最近事件の犠牲になったアルジェリア人質事件や駐在員ではないが現地の経済開発に携わっていた日本人がいたバングラデシュのダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件も日本人際的に活動していることの例である。但し、現地駐在員はローテーションで派遣される事が多く、必ずしも定着的とは言えない。また現地社員とも交流が乏しい点が摘されている。
 また移民ではないが、海外旅行を楽しむ日本人1972年の年間100万えから90年代半ばまでの1500万人えまで増加傾向であり、2016年1600万人と決して海外旅行しくない事を示している。最近は、経済観光的だけでなく、文化的動機による移民も立つようになってきている。明治時代から日本にとって欧は文明として学問や文化に浴する異の地であった。夏目漱石福沢諭吉など明治の文人が残した随筆や著書は率直にそのことを今に伝える。戦後も留学先や文化的に活躍する的で移住する例はしばしばある。ジャズダンスポップアップ、ヘアメイクなどの分野で活躍を見る人はニューヨークに渡り、グラフィックアート演劇写真などの分野で活躍を見る人はロンドンに渡る傾向が強かった。学問も相対的にはかつてほどではないとは言え、医学物理学実験設備においてアメリカヨーロッパにしかないものもまだあり、日本からアメリカへの留学生は今も多い。また人文系社会科学系においてもケンブリッジ大学ハーバード大学などが歴史的にも教授に置いても魅的な中、留学の意義は残っていると言えよう。また数としては多いとは言えないものの、海外結婚する例や移住する例もあり、ドキュメンタリー映画の『世界残酷物語』や『地球の歩き方』などは文化人類学的にバックパッカーを後押しする役を担った。硬な面では報道写真も異の人たちをカメラに残すというマインドを持って活動している。現在でも異文化を覗き見するカルチャーは残っている(日本テレビ世界の果てまでイッテQ!テレビ朝日ナスDは好評を博している)。また近年はテレビ番組で「海外に住む日本人紹介する」ことが一つのジャンルとなっている。食やエンターテイメントなど日本文化が輸出されると同時にその文化を現地で広めようという人たちもいる。

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最終更新:2024/03/29(金) 07:00

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