笑福亭鶴瓶とは、関西お笑い界を代表するお笑い芸人の一人である。同時に、すでにベテラン・重鎮のポジションに居るにもかかわらず、若手芸人も真っ青の暴走をやってのけるパンクな芸人魂を持った猛獣でもある。
1951年、大阪府大阪市平野区に生まれる。本名・駿河学。
京都産業大学に入学し、学生時代に落語研究会に在籍しつつも、後にプロデビューするコミックフォークグループ「あのねのね」のメンバーとして活動していた。パートはバックダンサー(自称)。歌に合わせて適当に後ろで踊っていたらしい。
この時に一緒にメンバーとして在籍していた女性と後に結婚することとなる。
またこの経歴からか、鶴瓶はこの時期のフォークソングに非常に造詣が深く、ミュージシャンの知り合いも多い。二人の間に生まれた息子も後にロックミュージシャンとなっている。
1972年に笑福亭松鶴(六代目)一門に入門。大学も中退し、お笑いの道に入る。
しかし、師匠は当初から鶴瓶に落語家としてよりもお笑いタレントとしての素質を見抜き、ほとんど落語の稽古をつけなかったという。
この頃はかつてのトレードマークでもあった巨大なアフロヘアーをしており、一目見ただけで忘れることができなくなるほどのインパクトのある風貌をしていた。
芸歴数年の駆け出しの若手時代からテレビやラジオで活躍。
ラジオパーソナリティとしては「ミッドナイト東海」(東海ラジオ)、「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)、「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」(ラジオ大阪)などで人気を博した。
テレビでも関西の番組はもちろんのこと、徐々にではあるが関東の番組にも出演するようになる。
だが、そんな折に「独占!男の時間」(東京12チャンネル、現:テレビ東京)という生放送深夜番組で自分の男性器を露出してカメラに押し付けるというなど、前代未聞の暴挙を行う。これがきっかけでテレ東無期限出入り禁止(現在は解除)はもちろん、関東の他局でも「生放送に何をしでかすかわからない男」として知れ渡り、東京撤退をせざるを得ない状況になる。
大阪・名古屋での活動中心に一度は戻ったものの、再びチャンスが巡ってくる。
1982年、「突然ガバチョ!」(毎日放送)という関西ローカルのバラエティ番組が始まる。「テレビにらめっこ」などヒット企画が生まれ、この番組の司会者であった鶴瓶が再び脚光を浴びることとなる。
翌1983年には、あのNHKが「YOU」という若者向け番組の大阪製作版の司会に起用し、関東でも徐々にその顔を見る機会が増え始める。この機に乗じて、東京のテレビ番組にも数々出演や司会で登場するようになる。
だが、なかなかヒット番組が生まれず打ち切りの連続で、「東京進出は再び失敗か?」と囁かれた。
それを救ったのがビートたけしやタモリといったほぼ同世代の大物たちである。
たけしは「こんな逸材を関西に帰らせてはいけない」と言って業界関係者を説得。タモリも、鶴瓶が1987年からレギュラー出演している「笑っていいとも!」(フジテレビ)の降板を自ら申し出た時もなんとか慰留させ続けて現在まで出演させている。
ここでさらに鶴瓶の人気を決定付けるテレビ番組が関西ローカルから始まる。
1987年、「鶴瓶上岡パペポTV」(読売テレビ)がスタート。同じく関東ではそこまで評価されていなかった上岡龍太郎と二人のみでダラダラ雑談するだけのこの番組だが、そのトークの絶妙さから徐々に他地域でも放送される人気番組となっていく。関東でも、ちょうど同時期から始まったテレビ放送の24時間化の波に乗って放送が始まり、それまであまり認知されていなかった鶴瓶のトークの面白さが評価されるようになる。
この頃からようやく関東発の全国ネット番組にも多く出演するようになり、現在まで続く人気を定着させた。
お笑い芸人としての活動の傍ら、数々のテレビドラマや映画にも出演し俳優としても活躍している。
若手時代から現在に至るまで、時には非常に常識外れのアナーキーな言動を見せることで知られる。
特に、酒を飲ませて泥酔させたり、番組スタッフや上層部に憤りを感じさせると、「悪瓶」(ナインティナイン命名)モードに変身し、数々の事件を起こした。
1975年、「独占!男の時間」(東京12チャンネル、現:テレビ東京)の生放送で突如男性器を露出しカメラに押し付けるという事件を起こす。この勢いで、当時の同局社長が可愛がっていた錦鯉(時価数百万円相当)を庭の池の噴水に頭から突き刺して殺すという暴挙まで行い、局内で大問題となった。
なんとか番組司会の山城新伍の計らいで最終回にも出演したが、ここでも生放送で肛門をカメラに見せつけた。
これにより、鶴瓶は同局から無期限出入り禁止処分を喰らう。
2003年、「きらきらアフロ」(テレビ大阪)の東京収録でこの処分が28年ぶりに解除され、ようやくテレビ東京に足を踏み入れるのを許された。
この時、事件当時に「男の時間」の番組ADとして鶴瓶を羽交い絞めして止めた人物と再会したそうだが、現在ではかなり上層部の幹部にまで出世していたらしい。
1997年、「27時間チャレンジテレビ」(テレビ朝日)の企画の一環で結成されたブリーフ4(ビートたけし、今田耕司、東野幸治と共に白ブリーフ一丁でロケを行う)で、深夜の丹波哲郎邸に訪問し丹波の私物の骨董品をおもちゃにしてゲームコーナーを行うという企画が生放送で行われた。
これに先駆けて4人は都内の寿司屋で飲酒しており、鶴瓶は「悪瓶」になってしまっていた・・・
丹波邸訪問前から、近所のお宅の奥さんを口説こうとしたり、真夜中の高級住宅街で奇声を挙げて歌うなど、他の3人と比べ明らかに言動がおかしい鶴瓶。嫌な予感は的中する。
番組の進行を無視して鶴瓶は「たーんばさーん、パーンパン♪」と歌い踊り、突如丹波邸のリビングで脱糞しようとし、他の3人やスタッフから本気で阻止されるという強烈な行動を行い、日本中を震撼、そして爆笑させた。
2003年、「27時間テレビ」(フジテレビ)の企画で長崎県松浦市の飛島から中継ロケを行った。
前年2002年に泥酔して半ケツを晒して、スタジオの明石家さんまが若手時代に京都に居た恋人と駆け落ちしようとした話を突如暴露するなど暴走したため、「今年は酒を飲まない」と宣言するも早速飲酒。完全に出来上がった「悪瓶」は大事件を起こす・・・
深夜の中継で、ココリコが酒で潰れた鶴瓶を起き上がらせようとした瞬間鶴瓶は突如パンツを下し、全国ネットの生放送で男性器を露出させた。
カメラマンやココリコが映らないようにすぐ動き、放送もすぐにCMが流れたが、はっきりと男性器を映し出してしまった。
翌日のスポーツ新聞では「鶴瓶開チン」の見出しが躍ったのは言うまでもない。
無期限出入り禁止処分を出したテレビ東京と違い、スタッフ側も煽ったということでフジテレビはこのような処置は行わなかった。
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