紅白歌合戦とは、紅白対抗方式の歌番組である。
一般的に紅白歌合戦というと、毎年12月31日の夕方から深夜にかけて放送される、NHK紅白歌合戦を指すことが多い。
これはその年話題になったアーティストらが一堂に会し、歌やパフォーマンスを披露するというNHKの本気である。
日本最大の歌番組であり、1953年の開始以降、年末・大晦日の風物詩として日本人の誰もが知っている番組である。
開始から現在に至るまで概ね視聴率は高い。
今や「紅白=大晦日の風物詩」というイメージが定着しているが、第3回までは年明けの正月番組として放送された。第4回より大晦日に放送日が変更されており、第3回と第4回の放送があった1953年のみ年2回紅白が放送されている。
実は紅白歌合戦のパイロット版となった番組が存在している。
太平洋戦争終戦の約4ヶ月後、1945年の年越し番組として放送された「紅白音楽試合」がそれである。
当初は「紅白音楽合戦」というタイトルにしようとしたのだが、当時日本を占領していたGHQから戦争を連想させる「合戦」というタイトルの使用にクレームがつき、やむを得ず「試合」へと変更されたという話がある。
テレビ放送が始まったのは、1953年の第4回(正確には、同年1月に試験放送的に行われた第3回)だったが、この頃はまだテレビと言えば高級品であり、ラジオで聴取する人が圧倒的に多かった。
が、伊藤久男、ペギー葉山、藤山一郎などの当時の国民的スターが一堂に会した歌番組とあって、既に大人気を得ており、自分の家でラジオをいれずとも、近所からきこえてくるほどだった。
視聴率を始めて計測したのは第13回、すなわち1962年だが、このときの平均視聴率は80.2%。翌年の第14回は何と平均視聴率81.4%を記録。これは、日本放送史上最高の記録である(もっとも、当時視聴率を計測していたのは関東圏のみだったが)。
現代よりもテレビ視聴の人気が高かった時代とはいえ、まさに怪物番組である。
流石に80%を超えたのは、この2年を含め3回のみだが、これ以降も70%台を安定して保持。60%台後半に落ちただけで『凋落』と騒がれるほどだった。
1970年より紅白と同じ大晦日に日本レコード大賞が開催されるようになる。
当初は東京宝塚劇場(紅白)と帝国劇場(レコ大)という比較的近距離の会場で開催されていたため、両方を掛け持ちする歌手も多く、「レコ大で受賞した歌手が紅白にも出演する」という話題性が相乗効果を生み、夜19時から放送される「輝く!日本レコード大賞」(TBSテレビ)を見た後に「紅白歌合戦」を見るという黄金リレーが誕生。両番組ともに「大晦日の風物詩」して広く親しまれるようになった。
1973年より紅白歌合戦の会場が東京宝塚劇場から現在のNHKホールに移動。これにより両番組を掛け持ちする歌手の移動距離が大幅に増えた。この困難な移動を短時間で実現するため、レコ大の会場からNHKホールまでの道の信号を一時的にすべて青に変えたなど有名な逸話がある。
そのような無理が通るほど「紅白」「レコ大」共に国民的な番組として親しまれるようになっていた。
本当に凋落が起こったのは、1986年の第37回から。リアルで見ていた人には『加山雄三の仮面ライダー発言事件』と言えば思い出せるだろうか。
この年の平均視聴率は59.7%。番組史上初の50%台である。
実は、前年の第36回大会も、そのさらに前年の第35回の78.1%という視聴率に対して66.4%と急落していた。
これは、民放の裏番組(特に音楽番組)が次第に充実し、紅白の王座を揺るがすほどになっていたからである。
この急落をうけて、NHKは多ジャンル化を推し進め、当時の人気児童番組『にこにこぷん』からの出演者の応援参加など、現在にも通じる様々な工夫を凝らすのだが、翌年第38回の視聴率は55.2%。
凋落が鮮明になると共に、視聴率回復が困難となってきた。
視聴率が最後に60%台に達したのは、前述の第36回。70%台も同じく、前述の第35回である。
現在は、夕方19時あたりから番組が始まり、21時前後に休憩的なNHKニュースを挟み、再び0時直前(年によっては年越し)まで放送される、といういわゆる2部構成が基本だが、これが始まったのは1989年(平成元年)の第40回から。
このときは、1部を『昭和の紅白』、2部を『平成の紅白』と銘打ち、放送時間も出場する歌手も一気に倍近くに増やした。
また、出場する面々にも大きく変化を見せ、それまで常連とされていた歌手を減らして新しい顔を揃えたほか、聖飢魔Ⅱなど若者に人気な個性的なアーティストも出場させ、番組のさらなる変化・改革を進めた。
が、ここでとうとう平均視聴率(2部)が47.2%を記録。常連が減ったためか放送が長すぎたためか、初の40%台を記録してしまった。
翌1990年からは、DREAMS_COME_TRUE、B.B.クイーンズ、ポール・サイモン、シンディ・ローパー、久保田利伸、長渕剛など、若者に人気のある面子をさらに充実させ、前年までは出場しなかった郷ひろみ、布施明、橋幸夫などの常連組も一気に再出演させたことで、視聴率は51.5%に回復。
以後、レコード大賞との衝突に概ね勝ち続け、90年代は50%台で安定していく。
また、全編ハイビジョンでの製作・放送も、1990年に始まった。
紅白の放送時間拡大は、1部が完全に裏番組になってしまった日本レコード大賞にも大打撃を与えた。
レコ大よりも紅白を優先したい歌手の間ではレコ大の出演を辞退するケースが急増。特に、紅白1部には比較的年齢の若いアイドル・歌手・バンドが集中して出演するために、それらの出演者やそのファンが紅白に流れる結果となった。
これが1990年代以降のレコ大の権威失墜の一因となり、2006年にレコ大が開催日を12月30日に移動するまで視聴率は下がり続けていった。
年間での最高視聴率の座を奪われたのは、安室奈美恵が号泣しつつ復帰ステージを披露した1998年第49回。
57.2%という90年代では最高の視聴率だが、日本代表が初出場を果たしたW杯サッカーフランス大会『日本 - クロアチア』が60.9%を記録したためだった。
これはまあ仕方ないにしても、人気低下が決定的になったのは、2000年=第51回。1989年から11年ぶりに40%台に視聴率が低下し、以後、50%に達することはなくなる。
これ以降は、W杯サッカー日韓大会の試合や『千と千尋の神隠し』のテレビ放映に、年間最高視聴率の座を奪われることも珍しくなくなる。
2002年には、それまでの会場審査に加え、BSハイビジョンデジタル放送視聴者によるデータ投票も開始されたが、翌2003年には、4分間ながらついに裏番組に視聴率で追い抜かれる。
2004年には、とうとう平均視聴率が39.3%、30%台を記録。初期の半分以下である。
視聴者からもう一度聞きたい曲を集め、それを出場者に反映させるという『スキウタアンケート』も2005年には実施されたが、トップ50に2曲がランクインした橋幸夫が出場を逃すなど、結局意味があるのかわからないという結果に終わり、視聴率は40%台に達しつつも、NHKの迷走を露呈することになった。
以後、現在に至るまで、40%を超えるか超えないか、というのが一つの成功の基準となっている。
もっとも、テレビ全体の視聴率が低下している現代の日本において、平均視聴率でこの値をたたき出しているあたり、昔と代わらず怪物番組であると言えるかもしれない。
なお、地上デジタル放送が開始されてからは、視聴者も勝敗に関する投票に参加することができるようになったが、これについては、一部のアイドルファンや狂信的視聴者による組織票を懸念する声もあり、あくまでも会場審査員の投票が最高審査基準となっている。
このため、2004年、2016年の2回では圧倒的に視聴者投票や会場観客審査で白が勝っていたにも関わらず、審査員票が紅に集中したことで白が勝利を逃す結果になり、「一票の格差問題」などと揶揄された。
ちなみに、データ放送による投票開始後は勝敗が一定しなくなっている。
2005年までは、紅白組ともに28勝と一定していたのだが、これ以降白組が6連勝した(最多連勝記録)。
第66回を終えた時点の勝敗は、紅組30勝、白組36勝と、かなりバランスが崩れている。
もちろん、その年の日本の音楽シーンを代表するような面々が集められる。
……はずだが、中には話題になったか?と思うアーティストが出ていることがある。特に2000年代後半からその傾向は強い(例:GIRL NEXT DOOR)。
同じく年末の音楽番組である日本レコード大賞などは、受賞アーティストがエイベックス所属のみになるなど、もはや露骨と言って良いレベルに達しているが、それほどではないにしてもネット上を中心に批判が起こることもある。
もちろん、一般的に知られていなかったが、紅白の出場で一躍注目されるアーティストも最近では多い(例:秋川雅史)。
また、紅白歌合戦に出ることはアーティストにとってとても名誉なことであるが、一部アーティストは様々な理由で出演を拒否している。その理由の一例として、拘束時間が長い、曲に優劣をつけたくないなどがあげられる。
有名な例では、GLAYが彼ら自身の年越しライブのために2000年大会出場を辞退したことがある。また、アーティスト単体でなくレコード会社単位での年越しイベント・ライブも最近では増えているため、人気を得たアーティスト全員を集めることは最早難しくなっている。
*過去の顔ぶれはこちらをご覧ください。
第66回(2015年) / 第65回(2014年) / 第64回(2013年) / 第63回(2012年) / 第62回(2011年) / 第61回(2010年) / 第60回(2009年)
今回は司会者は2018年11月9日に、出場歌手は2018年11月14日に発表が行われた。
内村光良と桑子真帆は2年連続2回目、広瀬すずは初の司会、櫻井翔は嵐として2010年から連続5回白組司会を務めたが単独では初の司会。
白組・紅組ともに21組、計42組(特別企画やジャパンカルチャー特集を含むと計46組)が出場した。うち初出場は10組。
下記表は五十音順であり、アーティスト名の後ろの数字は今回を含めた紅白出場回数である(「(初)」は初出場)。
紅組(司会:広瀬すず) | 白組(司会:櫻井翔) |
---|---|
aiko(13) あいみょん(初) いきものがかり(10) 石川さゆり(41) AKB48(11) 丘みどり(2) 欅坂46(3) 坂本冬美(30) 島津亜矢(5) Superfly(3) DAOKO(初) 天童よしみ(23) TWICE(2) 西野カナ(9) 乃木坂46(4) Perfume(11) 松田聖子(22) 松任谷由実(3) MISIA(3) 水森かおり(16) Little Glee Monster(2) |
嵐(10) |
以下は特別企画 | |
椎名林檎(6) | 宮本浩次(初) |
世界で人気のジャパンカルチャーを特集 | |
Aqours(初) | 刀剣男士(初) |
紅白歌合戦は第23回よりNHKホールが使用されているため、番組観覧応募が行われているが(対象者はNHK受信料を支払っている者、これから新たに支払う者、免除されている者、これらの家族に制限されている)、キャパシティが3,600席程度であるのに対して、ここ最近では毎回100万枚以上の応募が来る上に、当選はがきは2人までが来ることが可能であることから、枚数が半減するため、当選することはなかなか難しい。
また、応募期間自体についても司会者や出演者が発表される前になることから、たとえ当選しても期待していた出演者がでなければ何の意味も無いため、応募自体にもかなりのリスクが伴う(当選確率を上げるためにはがきの枚数を増やせば尚更である)。
NHKは当選はがきの転売を禁止していており、本人確認も実施されているが、当選はがきの同行者の分に関しては特に本人確認はされないため、インターネットオークションで同行する権利に対して10万円以上の高額取引となっている。
8K/スーパーハイビジョンでのライブパブリックビューイングが実施されており、映像もテレビで放送しているものと異なるため、こちらもかなりの人出となる。近年の開催場所は以下の通り。
あまりにも人口に膾炙した番組であり、歌番組の代名詞的存在であるため、対決形式の音楽番組には、同番組のタイトルをひっぱってきたものも多い。
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最終更新:2024/04/24(水) 04:00
最終更新:2024/04/24(水) 04:00
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