小学生編から登場している古参の一人で、若林みたいに怪我で大会の参加は遅れた。
対ふらの小サッカー部戦でPKを取られてしまうが、松山が蹴る直前に登場し、見事に阻止して勝利に貢献した。
また、彼はキャプ翼三大奥義のひとつ三角飛びの使い手で、全国の小学生の心を貫いた。そんな彼だが、小学生の頃からある片鱗を見せていた・・・それについては後で記載する。
彼の特徴は攻撃的ゴールキーパーで、三角飛びをはじめとした空手を流用した独特な技を持つキャラクターで、『キャプテン翼』のゴールキーパーの中でももっとも多くの技を持つゴールキーパーである。また、国内ではさすがにトップクラスの能力を持っており、一時期若林にもっとも近いのでは?とも囁かれていた。
日向の後ろを追って東邦学園へ入学。2年生のときから正GKとしてゴールを守るが、やはり南葛には勝てなかった。
またこの頃からぽつぽつと失点も目立つようになり、予選での武蔵中学戦で2失点、明和FCのOB対決となった準決勝の明和東中学戦でも1失点し、決勝戦ではぼろぼろになりながらゴールを守る・・・がやはり大量失点をしていた。この時の相手GKは森崎で、不覚ながらも森崎と同じ成績で終わると言う結末で終えた。
満を持して正ゴールキーパーとして参加、だがシュナイダー相手に手も足も出ないどころかフルボッコされて怪我を負うという失態を見せる。その後、もっとも得点力のないイタリアから失点、挙句の果てにはディアス単体に4失点、フランス戦はもはやトラウマクラスの4失点+PKで4失点とやはり大量失点の散々な成績を残す形になった。PK最後の正拳ディアェンスは見ものではあるものの、ディアスにボコボコにされるその姿は見るものの涙を誘う。結局若林に西ドイツ戦は任せる形になって退場した。
余談ながら、若林はこの西ドイツ戦で三角飛びの発展系を披露するという若島津涙目なことをしていた。哀れ若島津。
ようやく、南葛を下して単独優秀を日向と共に味わった。この時も彼は日向と共に東邦学園に入学していた。
後のワールドユースでゴールキーパーとして選ばれるが、オランダユースとのテストマッチでは一戦目は6失点、二戦目は7失点と森崎を超えるスコアを叩くと言う快挙を果たす。また三戦目は圧勝したといえど、1失点しているため、実質3戦で14失点していることになる。
その後、アジア予選前に若林が正ゴールキーパーと言われてすねはじめ、
という迷言をはいてユースチームから抜け出した。この時、タイガーショットを至近距離を片手で受け止めるという荒業を見せるが・・・この時、この成長の証には何の意味ももたらせることはなかった。横浜フリューゲルスへと入団、そこで自らの実力を磨くことに。しかし、それでも試合が気になるのかきちんとアジア予選の試合は見に来ていた・・・だが、そこで彼が見たのは両腕を負傷しながらもゴールを守る若林の姿である。
その後、日向の母親の医療費の肩代わりをし、ワールドユース予選からチームと合流、対メキシコ戦ではツインシュートに匹敵するビッグバンシュートをとめたり、ルチャ殺法を得意の高さでのセービングで完全に凌ぎきると大活躍を果たす・・・が、彼の活躍はここがピークだったといっても過言ではない。次の試合であるウルグアイ戦、リアルジャパン7だった火野、そしてビクトリーノとの対戦である。この試合では火野のトルネードシュートをこともあろうか股抜き、さらにまったく反応できずに失点を喫し、さらにはビクトリーノのスライディングシュートもとれず、味方のオウンゴールがあったとは言えどやはり世界を相手になると大量失点をする若島津の姿がそこにはあった。哀れ若島津。
その後、当たり前だが若林が復帰してからはベンチでひっそりと見ている立場になるが、最終決戦ブラジルにおいて若林が負傷したため、果敢にオーバーラップしてフィールドを駆け巡る若島津の姿があり、若林からは攻撃に関しては俺より上だ!と言わしめるほどであるが、若島津よ本当にそれでいいのか?
いつの間にか新田と仲良しになっていた。名古屋グランパスエイトで活躍している。特に目立った活躍はなく、日向のイタリアへの見送りをしたぐらいしか見せ場がなかった。余談ながら新田との対戦では勝利している。
・・・が、実はドイツで活躍している若林がいつの間にか攻撃的なプレーをいくつか習得してしまったため、彼の存在価値がやや薄くなってしまった感がある。
「また若林との壮絶なゴールキーパー争いがはじまるんだ」(そもそも勝ち目はありません)
吉良監督の下、ゴールキーパーとしてオリンピック予選のメンバーに選ばれた・・・が、そこにはフィールドを駆け巡るFW若島津の姿があった。吉良監督いわく、日向とのツートップは明和時代からあったといい、その攻撃力と高さ自体は今までの全日本ユースのFWにはないものばかりであった(元々チビが多かった) その中では異彩の必殺技から数々の新田とのコンビプレイを披露、FWとしては大活躍するという快挙を成し遂げた。・・・が、その後ろでゴールを守っていたのは若林、そして森崎有三であり、その森崎は世界相手に失点はあまりせず、今までのザルさはどこへいったのかと言われんばかりの大成長を果たしていた。若島津よ、そろそろGKに戻らなくていいのか?
といいつつも、対ギリシャ戦では前半は若島津はきちんとGKの仕事・・・はあまりいいとは言えず、やはり失点していた。
余談ではあるが、若島津がFWにコンバートしてしまった理由に関して説明すれば、『動く不謹慎』こと乙武洋匡が作者である高橋陽一と対談した際に「若島津をFWに」とリクエストした事も少なからず影響している。
乙武は趣味でキャプテン翼の登場人物でスタンディングメンバーを決めたりする妄想をしていたようである。
実際、若島津の実力は森崎と若林、果たしてどっちに近いか・・・?という疑問が残る。そんな中で、とあるサイトでは実際の失点数などで割り出した結果、森崎に近いという結果が出たというデータが存在する。あくまで失点数によるものであるため、参考記録に過ぎない。ただし、歴代の受賞暦を比較すると若島津より森崎の方が輝かしい経歴を持っているため、ますます立場のないことになっている。
ただし、ここまでこれだけのことを言い放っているが国内最強であるのは間違いないため、そんな彼の今後のFW人生GKとしてを見守っていくしかない。
1では、若林とは圧倒的なステータス差で負けており、2・4・5ではスペック差で惨敗している。ただし、3では若林よりも若島津の三角飛びが重宝されるため、若林に勝った時期が存在している。
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最終更新:2024/03/29(金) 00:00
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