藤岡弘、とは、日本の俳優にして現代の「サムライ」である。
1946年2月19日生まれ。愛媛県出身。空手、柔道、居合道等の武術の有段者であり、
まさに「現代に生けるサムライ」。
他にも普通・大型特殊自動車、大型自動二輪、スキューバダイビング、小型船舶・パワーボート、
銃砲、自家用飛行機、調理師免許、アマチュア無線といった数々の資格を取得している。
1965年、松竹ニューフェイスとしてデビュー。
1971年、特撮ドラマ『仮面ライダー』において本郷猛/仮面ライダー(新)1号を演じ、同時にスーツアクターも兼任している。
撮影中にバイク事故で左大腿部を複雑骨折し、長期休業に追い込まれるものの、不屈のサムライ魂で復帰。
(この長期休業の間にストーリー展開されたのがライダー2号編。)
以降、『仮面ライダー』を不動のシリーズとして礎を築く。
海外作品においては1984年、ハリウッド映画『SFソードキル』に初出演。
余りにも歪められたサムライの劇中描写にダメ出しをしまくってシーンを変更させたと言う逸話がある。
米国俳優協会に入会した際のある出来事がきっかけで名前の後ろに「、」を付けると言う改名を行っている。
仮面ライダーの他にも多数のドラマ等に出演している事は有名であるが、中でもセガサターンの一連のCMで「せがた三四郎」役で出演していたことは記憶に新しい。
野球少年にサターンを押し付け、いや薦めたり、桜の花散る中で真宮寺さくらとイチャイチャしたり、ゾンビと戦ったりと
多くのサターンユーザの心を掴んだ事は………ゲームファンの記憶にも刻みつけられていることだろう。
ちなみにいろいろ危ないアクションにも挑戦しているが、瓦割り、素足でスケートなどは実際に藤岡が行なっていた。
当時はある事情によって負債をたくさん抱えてしまっていただけに、藤岡にとってはありがたいヒットとなった。
2002年、故・川口浩の後を引き継ぎテレビ朝日の「藤岡弘、探検隊シリーズ」で秘境を探検し、
新たに「藤岡隊長」の愛称をファンより与えられる。
ボランティア活動も積極的に行っており、まさに『仮面ライダー』が画面から飛び出した様だと称えられた。
他にもサムライぶりを発揮した濃いエピソードが多数在るが、Wikipedia等や本人の著書に詳しく記載されているので
機会があれば閲覧したり、読んでみる事をお勧めする。
仮面ライダーをやっていた時代のことは「青春時代」と称して語っている。上記のように仮面ライダーのスーツも着て演じていた。藤岡が入って演じたことによって、ヒーロースーツのあるべき姿の模索にもなった。
有名な事故の後、仮面ライダー第1話の放送を病室で見ることになったが、せっかく大役を掴んだ先に起こしてしまった事故という悔しさがつのり、放送は最後まで見ることが出来なかったという。
入院生活中はその悔しさから、どんな友人の見舞いがきても応じる気持ちになれず、帰ってもらっていたほどだった。退院後は友人に勧められた整骨院で必死にリハビリを行なっていた。当時の院長の息子(父を継いだ二代目の医師)は、仮面ライダー直撃世代で、「藤岡が右足を立てて寝ている姿がとても格好良かった」と語っている。
佐々木剛や宮内洋と比較すると、TV番組やイベントで変身ポーズを見せる機会が少ない。これは藤岡がしっかり精神を整えてからでないと出来ないからのようである。つまり突発的に「変身ポーズやって!」という軽はずみな状況下では出来ないという意味のようだ。
ちなみに佐々木剛とは所属していた劇団が同じ戦友だったので、強い信頼感があったようである。
せがた三四郎で大ブレイクしていた頃、テレビ番組の企画で小河内ダム(仮面ライダー第1話における一番最初の撮影場所)に訪れるという企画があった。
懐かしさのあまり「自分の青春時代が蘇ってきた」とホロリとしていたが、その時にサプライズで大野剣友会の面々がやってきた。久々の再会を前に、藤岡は人目をはばからず男泣きを見せていた。その後は大野剣友会の面々と仮面ライダー対ショッカー戦闘員の立ち回りを久々に演じて昔を懐かしんだ。
その後は緑川ルリ子役の森川千恵子(当時は真樹千恵子、番組でのテロップはカマフォード・千恵子)と再会するなど、特撮ファンには胸熱な番組企画だった。
※その他出演作はTVドラマ等多数。詳細はWikipedia等に詳しい。
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最終更新:2025/12/10(水) 05:00
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