進藤達哉 単語

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シンドウタツヤ

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進藤達哉とは、富山県出身の元プロ野球選手である。

概要

横浜DeNAベイスターズ #78
打撃兼作戦担当コーチ
進藤達哉
基本情報
出身地 富山県
生年 1970年1月14日
身長
体重
174 cm
75 kg
選手情報
投球・打撃 右投右打
守備位置 三塁手遊撃手二塁手
プロ入り 1987年
引退 2003年
経歴

選手歴
富山県高岡商業高等学校
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ1988年-2000年
オリックス・ブルーウェーブ2001年-2003年
監督コーチ
横浜ベイスターズ2004年-2007年
富山サンダーバーズ2010年-2013年
横浜DeNAベイスターズ2014年-)

プロ野球選手テンプレート

1987年ドラフト外横浜大洋ホエールズに入団。

1988年に一軍に1試合だけ出場。1989年から一軍に定着し、1992年遊撃手レギュラーに定着する。

1996年監督に就任した大矢明彦の思いつきによって、ローズ:二→三、石井:三→遊、進藤:遊→二という大コンバートが断行される。しかしローズエラーを連発し、進藤も背筋を痛めたため、ローズは元の二塁に戻し、進藤を三塁に回すという再コンバートが行われた。1997年から1999年までゴールデングラブ賞を受賞し、1998年チームの38年ぶりの優勝日本一にも貢献した。

1999年オフFA宣言し、オリックス仰木監督が強い獲得意思を示すが、セカンドでの起用を希望する進藤ポジションの保は出来ないとするオリックスとの意向が一致せず、一転して横浜への残留が決まった。2000年右手首の故障や金城龍彦ブレイクなどでわずか59試合の出場に終わり、その年のオフオリックスとの間で3対3の大トレードが成立し、移籍することとなった(進藤戸叶尚新井潔⇔小川博文前田和之・杉本友)。仰木監督が前年から進藤を欲しがっていたこと、また横浜の新監督に決まっていた森祇晶小川を評価していたことから成立したトレードであった。

オリックスでは席となっていた背番号7(かつて阪急ブレーブス福本豊が付けていた)を貰うなど期待されたが、結局それほどはかばかしい成果は残せなかった。それでも(打線崩壊で仕方なくではあるが)四番ショートを打つなどそれなりに足跡を残し、2003年に現役引退した。

横浜ベイスターズ2004年から2007年まで3年間コーチを務め、2008年横浜スカウト。
2010年富山サンダーバーズコーチに就任。2012年からは監督を務めた。

2014年から古巣横浜DeNAベイスターズの一軍コーチに就任。

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