野田佳彦とは、民主党所属の国会議員、衆議院議員。現在、第95代内閣総理大臣と第9代民主党代表を務める。千葉県出身。
1957年生まれ。父親は陸上自衛隊第一空挺団の隊員。千葉県立船橋高等学校卒。早稲田大学政経学部卒。松下政経塾(第一期生)卒業後、千葉県議会議員に就任。
1993年、細川護熙を補佐して日本新党を結党し、1993年に行われた第40回衆議院議員総選挙で旧千葉1区から出馬して当選し、政治改革法成立や米の部分開放などを実現させた。その後後継政党である新進党の結党に参加し、1996年に行われた第41回衆議院議員総選挙で千葉県第4区から出馬するも自民党の田中昭一に敗れる。落選後新進党から民主党へ移った。
2000年、「ニッポンまる洗い」を掲げて第42回衆議院議員総選挙で千葉4区から出馬して当選して国政復帰を果たした。衆議院議員法務委員会理事や予算委員、民主党総務長を務めた。
2001年には民主党代表戦に立候補したが、菅直人に敗れる。その後、民主党国対委員長に就任。
2005年、前原誠司を党代表に推薦したが、翌年には偽メール問題で前原と共に辞職。
2008年には「小沢氏の考えだけが反映されるのではなく、党内でも政策論争をすべき」として、党代表選に立候補を図ったが、小沢派議員からの猛烈な抗議によって出馬を断念。同年日本の宇宙開発・利用の枠組みを定めた宇宙基本法設立のために「宇宙基本法検討プロジェクトチーム」を設立し座長を務めた。(その後宇宙基本法は参議院本議会で自民・公明・民主党等の賛成多数で可決、成立して2008年5月28日ごろに公布された)
2009年9月、鳩山内閣で財務副大臣に就任。
2010年6月、菅直人財務大臣が首相になると、財務大臣に昇格。円高対策に翻弄され続けていた。
2011年8月29日、民主党代表選挙で新代表に選出された。8月30日午後、衆議院・参議院両院の首班指名選挙にて第95代内閣総理大臣(松下政経塾出身者としては初)に指名され、9月2日に内閣総理大臣に任命された。
駅前で12時間連続で演説したり、企業献金は一切受け取らないなどの地道な活動で次第に影響力をつけていったと言われている。
ちなみに既婚者で2人の息子がいる。
現役かつ重度の格闘技ファン、わけてもプロレスファンとして知られており、力道山の時代から足しげく会場に通っていたという。全日派で、ジャンボ鶴田のファン。
野党時代、自民党の論争の末に横槍を入れられたことについて、記者会見で「せっかくストロングスタイルの試合で熱くなっているのに、魔界倶楽部が乱入してきた」と、プオタにしかわからない例えを見せた。現在でも懲りずに何かしらのプオタ的例えをしているようだが、一般人には伝わらないということで新聞やテレビではもれなく削除されている。
・・・と、今までの発言を見ると、民主党には珍しく右派的な主張の持ち主であることがわかる。
左派的な現在の民主党執行部と対立することもあり、場合によっては自民党と協調路線を取ることもある。
拉致議連であり朝鮮銀行の救済に反対したり人権擁護法案にも反対したことからニコニコ動画では
「どうして民主党にいるの?」等とコメントされることが多い
ちなみに内閣総理大臣に就任した際、韓国メディアは「野田氏は国粋・右派的な思想を持っている」「教育・歴史的に保守・右翼的な影響力を持っており、日韓関係に影響が出るのではないか」、中国メディアは「軍人首相の誕生」「とりあえずタカ派・右翼とレッテル張りするのは時期尚早」「短命で終わる可能性」「親中の海江田がなると思ってたのにー」と報じており、野田氏の思想が外交面で影響が出るのではないかと危惧している。
しかし、韓国民団の祝賀式に賛同し「選挙協力に感謝する」などの趣旨を言ったとして一部ネット上からは批判の声が上がっている。
2012年6月の内閣改造の際に、防衛大臣に森本敏氏を起用したため、日本の国防が良い方向に向かっていくのではという期待が高まっている。
2012年6月26日に、それまで議論されてきた消費税増税法案をマニフェストに違反する形で国会に提出し、衆議院で可決させる。
2009年に行われた衆院選の際には、「マニフェストに書いてないことはやらないんです。」っと発言したほか、「天下りを撤廃すれば消費税増税の必要性は無い」といった主張を行っている。
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最終更新:2025/12/10(水) 06:00
最終更新:2025/12/10(水) 05:00
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