青木篤志とは、全日本プロレス所属のプロレスラーである。
1977年9月25日生まれ
身長170cm。体重85kg(2017年5月時の公式データ)
2005年12月デビュー
デビューはプロレスリングノア。
(ノア時代のことや細かい戴冠歴はWikiPedia等でご確認を)
2013年から全日本プロレスに参戦し同年に全日所属となる。
2014年に世界ジュニアヘビー級王者奪取。デビュー当初から期待され、かつ安定した実力を持った選手だったが、ノア時代はシングルのベルトには縁がなく、これがシングル初戴冠だった。
2016年のチャンピオンカーニバルには、同じユニット(Evolution)で活動しているジョー・ドーリングが脳腫瘍により欠場したため代理として緊急参戦。ヘビー級のリーグ戦でありながら3勝3敗と大健闘した。
(うち1勝は神谷英慶の負傷欠場による不戦勝)。
同年には佐藤光留とのタッグでアジアタッグも奪取している。
ファイトスタイルは、腕ひしぎ逆十字で試合を決めることが多いものの、関節技重視というよりオールラウンダータイプ。ノア時代は試合中に感情を露わにすることもあったが、全日においては年齢と立ち位置からか、どちらかというとクールで堅実な試合ぶりを見せることが多くなった。
世界ジュニアがシングルベルトとしては初戴冠だったからか、同ベルトに対する思い入れは強い。
鈴木鼓太郎が全日を退団した際、王者だった鼓太郎は同ベルトを返上。その後に行われた王座をかけたリーグ戦で優勝した青木は
「このベルトは一度捨てられたベルト。このままではベルトが可哀想。俺がもう一度輝かせる」
と、ベルトに対する思いを吐露した。
また王座から陥落した後も、つねにその時の王者の動向には目を光らせ、時に「ベルト保持者として、もっとベルトの価値を上げる仕掛けをしてほしい」などの苦言を呈している。
元々キツイ発言が多いことに定評があった青木であるが、宮原健斗に対しても、関わりを持ち始めてからずっと厳しい発言しかしていない。
宮原が三冠王者になった後も、防衛戦で好勝負を繰り広げても、青木の宮原評は好転していない。
また佐藤光留とのタッグは「変態自衛隊」のチーム名(命名は佐藤)で活動しているが、青木は当初からその名称を嫌っており、組んでから3年たった2017の時点でも「変態自衛隊(の名称)は認めない」と吐き捨てている。
つまりは変に頭が固い簡単に自分を曲げない一本気な男である。
そんな青木であるが、ニコプロの定期番組(青木篤志の毒演会)においては、意外なほどファンからのイジりを許容する。時に青木が怒っても不思議ではないイジりコメントも入るが、それすら苦笑交じりに流す様は、彼のプロレス同様、受け身の上手さを感じさせる。
でも宮原には冷たい。
変態自衛隊の呼称も認めない。
彼が宮原を評価し、変態自衛隊のチーム名を受け入れる日は来るのだろうか。
2016チャンピオン・カーニバルBブロック公式戦 青木篤志 vs 吉江豊
2016チャンピオン・カーニバルBブロック公式戦 大森隆男 vs 青木篤志
2016チャンピオン・カーニバルBブロック公式戦 青木篤志 vs 崔領二
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最終更新:2025/12/07(日) 12:00
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