高橋信二とは、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(一塁手・捕手)である。背番号6。
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1996年のドラフト7位で津山工業高校から日本ハムファイターズに入団。2003年、實松一成の故障離脱に伴い正捕手に定着。2004年には26本塁打を記録し、強打の捕手として鳴らした。
しかし2005年に故障で長期離脱すると、それ以降守備型捕手である鶴岡慎也との併用が多くなり、売りの打撃でも2004年ほどのパワーは見せられず、どちらかといえば中距離打者の成績に落ち着くようになる。2007年は捕手としてマスクを被った日本シリーズの一戦で投手陣がメッタ打ちに遭い、解説にリードを酷評されたこともあった。
2008年に梨田昌孝が監督に就任すると、正捕手を守備型の鶴岡に固定したい梨田監督の意向と、フェルナンド・セギノールの退団による強打者不在もあって、一塁手での起用が増える。この年から背番号は2となった。
そして2009年は膝の怪我と大野奨太の加入もあって、ほぼシーズンを通して一塁手として出場、中盤からは4番に固定された。本塁打は僅か8本だったが、打率.309、75打点を挙げたほか7犠打を記録し、「繋ぐ4番」としてリーグ優勝に大きく貢献。ゴールデングラブ賞と一塁手のベストナインを受賞した。
しかし2010年は開幕から不振に陥り、4番を小谷野栄一に奪われる。7月1日に藤田太陽から頭部死球を受けて内耳震盪を起こすと、その影響で体調不良に陥り、そのままシーズン終了まで戦線離脱。
2011年は一塁手のマイカ・ホフパワーが加入、陽岱鋼と中田翔の台頭で稲葉篤紀が指名打者に回った関係で一軍からはじき出される格好となり、出場機会が無いまま、5月9日に読売ジャイアンツへ金銭トレードで移籍。背番号は31に。
巨人では右の代打として期待されたが満足のいく活躍は見せられず、いろいろあってオフに自ら自由契約を志願し退団。その後、オリックス・バファローズに移籍した。背番号は6。
捕手としての出場へのこだわりから、日本ハムでは一塁での出場がほとんどとなってからも登録は捕手のままだったが、巨人移籍後は内野手登録となっている。
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最終更新:2024/04/26(金) 00:00
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