Jazz(ジャズ)とは、
使われている音においては、テンションノートが多用される点で、俗に言うポップスやクラシックと大きく異なる。テンションノートとは9th♭、9th♯、11th♯、13th♭のことであり、一般的なブルーノートスケールと呼ばれる音階にも含まれる音である、テンションコードとはセブンスコードにテンションを加えたコードのことである。
リズムで異なる点としては、スウィングと呼ばれるハネのリズムが挙げられる。これは例えば通常のリズムで言う8分音符2つを、4分音符を3分割したうちの2つ(最初の1音と最後の1音)に置換したリズムのことである。間が無いのでリズムが跳ねているように聞こえる。
この様な一見複雑な理論やリズムを、即興(いわゆるアドリブ)で合わせられる理由として、コード進行等にある程度のパターンがある点が挙げられる。パターンは8や16小節単位で組まれることが多く、また、12小節をループするブルースも良く演奏される。また、もうひとつはトリオのように、リズムはベースとドラム、コードはピアノだけ、というように複雑な音の重なりをピアノにすべて委ねることで、音として破綻(不協和音)を生み出さないようにしているからだ。ピアノとギターのようにコード楽器が複数いる時も、片方が和音を少なくする、オブリガード気味にする、等々で不協和音を起こさないようにしている場合が多い。
比較的小規模のコンボと多人数構成のビッグバンドに大別される。
最小2-3人から、多くても10人を越えることは稀。モダンジャズの一般的な形態である。大学のいわゆる「ジャズ研」の多くが副目的とする演奏形態 (主目的は酒) であり、喫茶店や洒落を気取ったラーメン屋とかで耳にすることの多い「ジャズ」は一般的にこれ。
10人を越える多人数により編成される。ポップスなどでもよく見られる形態であるが、往年のスウィング・ジャズによりジャズの定形式にもなった。中にはジャズ研と看板を掲げてながらビッグバンドしかやってなかったり、ビッグバンドに手を出しているジャズ研サークルもある。
より詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
【1800年代】
当時、黒人奴隷売買の中心地だったニューオリンズは、かつてスペイン領、フランス領だったこともあって、アメリカ領となったあとも様々な人種で溢れかえっていたため、ジャズができるための土壌が出来上がりつつあった。
1861~1865年 南北戦争
南軍が敗北、奴隷制度が廃止となり、黒人達が自由となる(しかし、奴隷解放は他国の介入を避けるために北軍が用いた大義名分だったため、地域差はあるものの実質的には奴隷制はなくならなかった)。また、ニューオリンズでは南軍の軍隊が使っていた楽器が払い下がり、安価で手に入るようになる。これがきっかけで黒人達がブラスバンドを結成し、次第にワークソング、黒人霊歌、コール&レスポンスといった黒人音楽のスタイルを楽器で演奏するようになる。そしてそこに、黒人の中でも比較的裕福なクレオールと呼ばれる身分の人たちが、ヨーロッパのクラシック音楽を伝えることにより、アフリカ音楽とヨーロッパ音楽が融合をはじめたと言われている。
そして、黒人霊歌や行進曲、ヨーロッパ民謡などが混ざり合いラグタイムと呼ばれるシンコペーションを特徴とする音楽が誕生。
また、この頃、ミシシッピ川デルタ地帯から黒人労働者がニューオリンズへ職を求めて移住してくるようになる。これにより、ニューオリンズにブルースが伝わる。
1900年前後 上記してきた音楽が混ざり合いジャズ(ニューオリンズ・ジャズ)が自然発生する。
このようにして生まれたジャズという音楽は、のちに”ジャズ・ジャイアンツ”とよばれる抜きん出た才能を持った人たちの出現によって各地に果ては世界中に広まり、そして次第に変化し進歩していくこととなる。
【1920年代】
ルイ・アームストロング
ニューオリンズで生まれ、キング・オリヴァーに師事。オリヴァーに呼ばれシカゴへ、その後ニューヨークへ進出。ニューヨークのビッグ・バンド・サウンドにニューオリンズのジャズを持ち込む。
デューク・エリントン
同じくニューヨークへ進出。黒人居住地区ハーレムのコットン・クラブに出演。
【1930年代】
ベニー・グッドマン
自身のビッグ・バンドが大ヒット、スイング・ジャズを大流行させる。ジャズを大衆音楽として認めさせ、1938年にはカーネギー・ホールに進出し、大成功を収めている。
カウント・ベイシー
禁酒法時代、合法的に酒が飲める歓楽街として栄えていたカンサスシティ。ベイシーはそこで当時三大楽団の一つに数えられていたベニー・モウンテン楽団を継承し、成功を収める。そして、さらなる成功を求めてニューヨークへと進出する。
【1940年代】
1940年代半ば、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらによる「ビ・バップ革命」。ビ・バップと呼ばれるスタイルが確立。
これにより、ジャズは劇的にスタイルが変化したため、それまでのジャズと区別すべく、これ以降のジャズを総称して「モダン・ジャズ」と呼んでいる。
1940年代後半になると、このビ・バップに対し、マイルス・デイビス、ギル・エヴァンス、レニー・トリスターノらが、ビ・バップの即興性を基調としながらもアンサンブルを重視する、クールジャズというスタイルを確立する。
【1950年代】
1950年代初頭、クールジャズの延長として、アメリカ西海岸でウェスト・コースト・ジャズが起こる。
1950年代半ば、ビ・バップは、モダン・ジャズでは最も一般的なスタイルとされるハード・バップへ発展する。
1950年代後半、ハード・バップが行き詰まる。これを打開すべく、1960年代初頭にかけてマイルス・デイビスらの提唱するモード・ジャズ、より黒人的なファンキー・ジャズ、そしてより自由な演奏を追求したフリー・ジャズが台頭してくる。
【1960年代】
ロック・ミュージックの台頭により、ジャズは圧迫され影響を受ける。とくにマイルス・デイビスがロックに傾倒。
ロックの影響を受けたジャズロック、モード・ジャズとフリー・ジャズの中間くらいの新流派とよばれるスタイルが起こる。
ブラジルで生まれた新しい音楽ボサ・ノヴァもジャズに影響を及ぼす。
【1970年代】
様々な音楽ジャンルをまたがった音楽性のため当初クロス・オーバーと呼ばれていたフュージョン。ミュージシャンが自主的に活動するロフト・ジャズ。50年代活躍したハードバッパー達が中心となったハードバップ・リヴァイバルといったジャンルが起こる。
作業用BGM、アニメ色のない作業用BGMとしてタグされることが多く、コメントでは「マスター、○○○ください」が多く見られ、親しまれている。
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最終更新:2024/04/25(木) 10:00
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