Jazz(ジャズ)とは、
使われている音について、俗に言うポップスやクラシックと大きく異なるのはテンションコードが多用する点である。テンションとは9th♭、9th♯、11th♯、13th♭のことであり、一般的なブルーノートと呼ばれる音階にも含まれる音である、テンションコードとはセブンスコードにテンションを加えたコードのことである。
リズムの観点で異なる点は、スウィングと呼ばれるハネのリズムである。これは例えば通常のリズムで言う8分音符2つを、4分音符を3分割したうちの2つ(最初の1音と最後の1音)に置換したリズムのことである。間が無いのでリズムが跳ねているように聞こえる。
このように一見すると複雑な理論やリズムを即興で合わせられるのは、コード展開にパターンがある場合がまずひとつ。パターンは12小節で組まれることが多い。また、もうひとつはトリオのように、リズムはベースとドラム、コードはピアノだけ、というように複雑な音の重なりをピアノにすべて委ねることで、音として破綻(不協和音)を生み出さないようにしているからだ。
【1800年代】
当時、黒人奴隷売買の中心地だったニューオリンズは、かつてスペイン領、フランス領だったこともあって、アメリカ領となったあとも様々な人種で溢れかえっていた。
1861~1865年 南北戦争
南軍が敗北、奴隷制度が廃止となり、黒人達が自由となる。また、ニューオリンズでは南軍の軍隊が使っていた楽器が払い下がり、安価で手に入るようになる。これがきっかけで黒人達がブラスバンドを結成し、次第にワークソング、黒人霊歌、コール&レスポンスといった黒人音楽のスタイルを楽器で演奏するようになる。そしてそこに、黒人の中でも比較的裕福なクレオールと呼ばれる身分の人たちが、ヨーロッパのクラシック音楽を伝ることにより、アフリカ音楽とヨーロッパ音楽が融合をはじめる。
→黒人霊歌や行進曲、ヨーロッパ民謡などが混ざり合いラグタイムと呼ばれるシンコペーションを特徴とする音楽が誕生。
→また、この頃、ミシシッピ川デルタ地帯から黒人労働者がニューオリンズへ職を求めて移住してくるようになる。これにより、ニューオリンズにブルースが伝わる。
1900年前後 上記してきた音楽が混ざり合いジャズ(ニューオリンズ・ジャズ)が自然発生する。
【1920年代】
ルイ・アームストロング
シカゴからニューヨークへ、ニューヨークのビッグ・バンド・サウンドにニューオリンズのジャズを持ち込む。
デューク・エリントン
同じくニューヨークへ進出。黒人居住地区ハーレムのコットン・クラブに出演。
【1930年代】
ベニー・グッドマンのビッグ・バンドが大ヒット。スイング・ジャズが大流行し、ジャズが大衆音楽として認められる。
【1940年代】
1940年代半ば、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらによる「ビ・バップ革命」。ビ・バップと呼ばれるスタイルが確立。
これ以降のジャズは「モダン・ジャズ」と呼ばれる。
1940年代後半になると、このビ・バップに対し、マイルス・デイビス、ギル・エヴァンス、レニー・トリスターノらが、ビ・バップの即興性を基調としながらもアンサンブルを重視する、クールジャズというスタイルを確立する。
【1950年代】
1950年代初頭、クールジャズの延長として、アメリカ西海岸でウェスト・コースト・ジャズが起こる。
1950年代半ば、ビ・バップは、モダン・ジャズでは最も一般的なスタイルとされるハード・バップへ発展する。
1950年代後半、ハード・バップが行き詰まる。これを打開すべく、1960年代初頭にかけてマイルス・デイビスの提唱するモード・ジャズ、より黒人的なファンキー・ジャズ、そしてコードからの開放フリー・ジャズが台頭してくる。
【1960年代】
ロック・ミュージックの台頭により、ジャズは圧迫され影響を受ける。とくにマイルス・デイビスがロックに傾倒。
ジョン・コルトレーン大活躍。
ジャズロック、ボサノヴァ、モード・ジャズとフリー・ジャズの中間くらいの新流派とよばれるスタイルが起こる。
【1970年代】
作業用BGM、アニメ色のない作業用BGMとしてタグされることが多く、コメントでは「マスター、○○○ください」が多く見られ、親しまれている。
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最終更新:2024/04/25(木) 19:00
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