P-MODEL は、日本における代表的なニューウェーブ/テクノポップ・バンドの一つ。
プログレッシブ・ロック・バンド「マンドレイク」を母体として1979年1月1日に結成。結成時のメンバーは平沢進、田中晴美、田井中貞利、秋山勝彦。
同年7月25日、ワーナー・パイオニアからシングル盤「美術館で会った人だろ」でメジャー・デビュー、続いて8月25日にファースト・アルバム「イン・ア・モデル・ルーム」発売。
ポップな電子音によって演奏されるパンクロックと、ピンク色を多用したアートワーク、ステージにおける奇矯な振る舞いなどが話題となり、ヒカシューやプラスチックスと共に「テクノ御三家」と呼ばれ、1980年のテクノポップ・ブームの一翼を担う存在となる。
加熱するブームへの危機感から、81年のサードアルバム「ポプリ」では、リバーブの深い湿った音を使い、アンチ・テクノポップ的な態度を表明。以降、88年の活動凍結まで、テクノポップ的な音作りからは完全に離れることになる。
1991年に活動再開(「解凍」)。凍結前からは一転し、テクノポップを前面に押し出して積極的な活動を行う。1993年に活動を一時休止、再開(「改訂」)後の1995年のアルバム「舟」以降の音は、同時期の平沢進によるソロ作品に近い、アジアンバロックを想起させるようなものとなっている。
2000年に再び活動停止、これ以降 P-MODEL としての活動は2008年現在まで行われていない。
以下の一覧は平沢進のオフィシャルサイトによるもの。P-MODELの音楽性の変遷についての解りやすい指標となるため、発表レーベルを付加した。
「アナザー・ゲーム」と「カルカドル」の間に「スキューバ」が発表されているが、平沢進のソロ作品としての性格が強いため、オリジナルアルバムとしては扱われていない。
なお、「音楽産業廃棄物」の初出はCDではなく、当時のP-MODELウェブサイトからの有料MP3配信である(ミュージシャンが自らのサイトで行う有料MP3配信としてはP-MODELの試みが日本初とも称される)。P-MODELは結成より一貫して流通に対して極めて意識的なバンドであり、MP3ファイルについても、流通を自らの手で行うための重要な一手段として登場当初より捉えていたものと考えられる。
平沢進ソロの方が高い人気を博しているが、P-MODELについてもPVやライブ映像、TV出演時の映像等がアップロードされているほか、VOCALOIDを用いたカバーも複数存在する。
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最終更新:2024/04/20(土) 06:00
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