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曖昧さ回避

WJプロレス

概要

2002年新日本プロレスを離脱した長州力が、「オヤジ」と呼ぶ盟友にして「平成仕掛け人」の異名をとった永島と組み、古くからのタニマチスポンサー)を社長に迎えて旗揚げした。キャッチフレーズは「ン玉飛び出るようなストロンスタイル」。「ン玉飛び出るような」とは、長州力ルーツのかの流の表現であるらしい。

新日本からは恩師であるマサ斎藤子の佐々木健介鈴木健想(現・KENSO)、プロレスリング・ノアからは大森隆男を引き抜いた上、天龍源一郎の参戦も発表された。そして長州天龍シングル6連戦をぶち上げ、その第1弾たる旗揚げ戦は2003年3月1日横浜アリーナでにぎにぎしく行われるはずだった……ところが、この日はK-1有明コロシアム)やノア日本武道館)などとかぶっていた上、ときやがったおかげで当日券も伸びなかった。???今日はいろんな行あるけどここに来なかったのはアホだな!」[1]

その後もとにかくネタに事欠かず、選手の離脱も止めがかからぬまま諸般の事情2004年8月頃に活動停止した。その後、リキプロとして長州石井らが所属するインディー団体化するも、うやむやなうちに長州は「現場監督」として新日本へUターンした。新日本では「LOCK UP」として自行的な形態を採るもこれまた自然消滅する。現在長州新日本プロレスから離れ[2]リキプロも個人事務所として存続するもののプロレス団体としてのWJの系譜は途絶えたと考えられる。

かくして伝説となっていたWJであったが、2009年、別冊宝島から暴露本『プロレス下流地帯』が出版され、永島主人公として旗揚げから崩壊までを漫画化した「地獄のどん中」が掲載された。その放漫経営っぷりとともに独特のセリフ回しがネット上でプチブレイクし、関連動画もよく上がるようになった。

WJのネタ一覧(前後で記述していないもの)

X-1

WJが復活をかけて2003年9月に行った格闘イベントX-1である。半年でもう復活をかける段階なのかよとか言わない。総合格闘技全盛期であり、「逆方向のどん中」とするも長州らが時節に媚びたように映った上、前述のように試合の途中で網が「崩壊」(実際には破れた程度であるが、若手が外から抑える事件となった)するなどやっぱりネタに事欠かなかった。試合結果は以下のとおりである。

第1試合 ○ジムチョンボン・キクチ(1R1分6KO)デヴィット・ヴェラスケス×
第2試合 ○ジェフフォード(1R2分58TKO)フィリップ・プリース×
第3試合 ○ダニエル・ピューダー(判定)ジェイ・マコーン×
第4試合 ○ジミーウェストホール(1R1分33TKO)アダムバーノン・グェラ×
第5試合 ○ジョン・フィッチ(1R2分41TKO)ゲイヴ・ガルシア×
第6試合 ○中嶋(1R1分25TKO)ジェイソンレイ×
第7試合 ○佐々木健介(1R2分35フロントネックロック)クリスチャン・ウェリッシュ×
第8試合 ○ボビー・サウスワース(2R0分41TKO)ブライアンバードー×
第9試合 ○ダン・ボビッシュ(1R1分33TKO)ベイシル・キャストー×

上記の面子のうち、WJ未参戦の選手に経験に乏しい物が立ったことも批判されたが、後にUFCストライクフォースで活躍した選手も多い。なお、健介はこの試合で手首を骨折し、年末にはベルトを保持したまま対談した。余談であるが、2ちゃんねるの芸スポなどに格闘技系大会が掲載されると、高い確率X-1の試合結果が貼り付けられる。

WJのまとめとその功罪

2000年代前半は新日本プロレスの中で確執が表面化し、橋本真也ZERO-ONEを立ち上げ、武藤敬司全日本プロレス電撃移籍するなどの大事件が発生する。そんな中、新地をめて1980年代ジャパンプロレス設立以来2度の新団体を設立した長州であったが、ずさんな運営方針から当然のように行き詰まり、半年と経たずに失速、崩壊の憂きをたどった。このgdgdの中で「長州二世」とまで言われていた佐々木健介長州に嫌悪の情を抱くようになり(借を踏み倒されたとされる)、長州の評伝執筆に際してのインタビューすら拒否するほどである[5]。また、長州現場監督として復帰してからも新日本プロレス混乱は収まるどころか拍がかかり、選手の大量離脱を含む暗期はしばらく続くこととなる。

理やりにでもよかった探しをするならば、X-1デビューし、健介オフィスダイヤモンドリング)を経てノアで活躍する中嶋を見出したことや、長州天龍遺伝子を受け継ぐ石井[6]新日本プロレスに参戦したり鈴木健想がWWE入りしたりするきっかけになったことが挙げられようか。また、健介も退団後の紆余曲折を経て「鬼嫁に敷かれるレスラー」というそれまででは考えられないキャラクターを作り出すことに成功した。なにより、WJ以前の長州も自分が「滑舌の悪いレスラー」などとしてバラエティ番組にであることなど想像もしていなかったであろう。

更に、直接は関係ないがWJの残滓といえるLOCK UPでアパッチプロレス軍などのインディーレスラーと血で血を洗う抗争を繰り広げていたのが真壁刀義であった。プエルトリコイギリスへ「左遷」されていた真壁はこの対抗戦でインディーレスラーの意地を感じ取って自分の「雑草」に更に磨きがかかったとる。こうして、真壁は「顔じゃない」レスラーからIWGPチャンピオン、そして「スイーツ真壁」へとステップアップしていくこととなる。このように、ごく短い間ながら波乱万丈の歴史をたどったWJプロレスは、何人ものレスラーや関係者の人生を変える転機となったのである。まあ、また同じようなのができても困るんだけど。

関連動画

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関連項目

外部リンク

脚注

  1. *この長対決消化不良に終わった一方、よりにもよって、武道館三沢光晴vs小橋建太のGHCヘビー級選手権試合が同年のプロレス大賞ベストバウトを獲得する名試合であった。
  2. *新日本会社であるブシロードカードゲームキングオブプロレスリング」にくから登場していること、現役の新日本選手とバラエティ番組に出演していることなどから良好な関係にあることが推測できる。
  3. *これ自体は団体にとって喜ばしいことであったが、TBSがそれまでに中継してきたプロレスやUWFインターナショナル諸般の事情で活動停止に至るというジンクスがあり、結局2度あることは3度あったのであった。
  4. *WJの行が中止になること自体はそれ以前からしくなかったが、理由と場所がアレなだけに大きな話題となった。
  5. *説・長州力 1951-2015』の著者である田崎健太2015年7月31日TBSラジオたまむすび」に出演した際明かした。長州マサ斎藤マサ健介の関係は断絶していないことから関係修復の可性がないわけではないものの、プロレス界には同様の絶縁状態の人間関係が複数存在することから現時点での和解の可性は低いと考えられる
  6. *石井プロレスキャリア天龍が立ち上げたWARスタートであり、WARの活動停止後長州恒例のサイパン合宿において運転手兼付き人として名されたのが石井であった。

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最終更新:2024/03/29(金) 15:00

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