イシノヒカル(1969年5月6日ー1986年4月11日)とは、日本の競走馬・種牡馬である。
花のように咲き乱れる「昭和47年組」の菊花賞馬であり、72年度代表馬。
馬主は石嶋清仁、調教師は東京競馬場の浅野武志、生産者は北海道・門別町の荒木牧場。
関東のイシノヒカル
1969年の5月に生まれたイシノヒカル。イシノヒカルの他に荒木牧場で生まれた馬5頭はみな牝馬で、彼がただ1頭の牡馬だったという。そのため、同世代の幼駒で遊ぶなら牝馬たちの中に1頭だけ牡馬が混じるという環境だった。
幼駒時代は牧場にいる子どもたちから「ワンダ」という愛称もつけられていたそう。
そんなワンダ――イシノヒカルは東京競馬場に厩舎を置く浅野武志厩舎に入った。浅野師はのちにイシノアラシ(1972年生まれ)でも有馬記念を勝つ調教師だった。
71年の9月終盤に中山競馬場でのデビュー戦を迎えたものの、ここでは5着に敗退。しかしこの時の勝ち馬は牝馬路線でオークスを勝つことになるタケフブキ(タケホープの全姉)だった。次走でも2着、2着とシルバーコレクターに陥ったこともあったが、11月にようやく初勝利をあげる。
その後は軌道に乗ったのか3連勝し、一気に牡馬クラシックへ突き進もうとするが、皐月賞前のオープンで4着と凡走。しかし本番では15頭中4番人気と高評価を得るが……関西からの三強と激突することになる。
そう。このクラシックにて激闘を繰り広げることとなる、ロングエース、ランドプリンス、タイテエムとの東西対決が火蓋を切ったのだ。
皐月賞。昨年に猛威をふるった馬インフルエンザの影響により、5月28日の開催となったこの大舞台。
イシノヒカルの鞍上には関東屈指の勝負師・加賀武見。加賀はイシノヒカルを下げ、後方から追い込むというレースに打って出た。が、中山の直線は残酷だった。皐月賞を勝ったのはランドプリンス。イシノヒカルは2着まで追い込むがそこまでであった。
続く日本ダービーでは状態が悪かった中での出走となってしまい、6着に敗れ去る。勝ったのは皐月賞馬と同じ関西馬のロングエースだった。
その後、ダービー直後にもう一走するが、ここでは2着に惜敗している。
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