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そもそもポメスって何?

ドイツ語フライドポテトを意味するpommesから。フランス語だとpommesはりんご(の複数形)なので、画像検索をかけるとりんごフライドポテトが混ざって出てくる。

以下ではに個人的に気になったことや気が付いたことを書いています。

カツラシユウホウ

カツラシユウホウは1955年まれの日本の元競走馬である。

1958年皐月賞東京優駿(日本ダービー)菊花賞クラシック三冠をすべて2着に入るという異業を達成した、シルバーコレクターの先駆者ともいえる存在。

概要

プリメロミネノマツ、セフト

プリメロは種として顕彰馬トキツカゼトサミドリを始めとして数多くの産駒を輩出した。ミネノマツは1949年桜花賞3着。トキノミノルを産駒として出している。このことからも血は良いと言える。

以下齢表記は旧表記。

1957年9月の新戦を1着でデビューすると、その後2着→1着→2着→1着を繰り返し、12月朝日杯3歳ステークスを1身半差つけて優勝。最優秀3歳も獲得した。

4歳になると、1着→1着→2着→1着と堅実に戦い、皐月賞に1番人気で臨んだが、レコード勝ちしたタイセイホープにクビ差で負けて2着。その後のNHK杯2着東京優駿も1番人気になったが、今度はダイゴホマレにハナ差でまた2着中山4歳ステークス(現ラジオNIKKEI賞)では5着となったものの、その後調子を取り戻して、いつものように1着→2着(毎日王冠)→1着の後、阪神大賞典優勝する。菊花賞皐月賞ダービーの2着もあってか2番人気となるが、コマヒカリに半身差でまたまた2着。ついにクラシック三冠すべて2着という記録を作ってしまう。
中央競馬では、タカハタが1952年に変則三冠皐月賞東京優駿優駿牝馬オークス))ですべて2着、ヴィルシーナ2012年牝馬三冠桜花賞優駿牝馬秋華賞)ですべて2着という記録を作っているが、いまのところ三冠カツラシユウホウのみである。
その後、有馬記念ファン投票1位に選ばれるが、故障したこともあり、出走していない。

5歳になり、中京記念優勝した後、天皇賞(春)に出走する。1番人気となるが、今度はトサオーにクビ差で負けて2着八大競走4戦2着4回という記録も記録する。その後は鳴尾記念を優勝した程度で、6歳はオープン戦2戦2着2回、その後引退する。

最強のシルバーコレクター?

競争成績は25戦13勝2着11回で、(2着が多いことを気にしなければ)連対率は96%とかなり良い。重賞レースならステイゴールドとかとは違って普通に勝てるのだが、大レースではあと一歩及ばない。クラシック三冠天皇賞(春)の4戦がすべて差が半身以内であることや、同じ相手に負けていない(タカハタは皐月賞東京優駿クリハナに、ヴィルシーナは3戦ともジェンティルドンナに負けている。)ことを考えると、シルバーコレクターの中では間違いなく強く、色々な意味で惜しいだった。

当時は結構人気があっただったようで、4歳以降は2番人気が2回あったことを除けばすべて1番人気だったし、有馬記念ファン投票も前年1位ハクチカラ(7,356票)を大幅に上回る18,952票も集めている(ちなみにコダマはこの記録は上回ることができず、この票数を初めて上回ったのはシンザンである)。

タチカゼ

タチカゼは1946年まれの日本の元競走馬で、1949年優駿競走(現在東京優駿(日本ダービー))で19番人気、単勝554.3倍という低人気で勝ったである。

概要

プリメロ第参パプース、シアンモアはともに小岩井農場が輸入した種で、血統としては良いといえる。500キロえるような大だったらしい。

タチカゼをる上で忘れてはいけないのは、関西調教師、伊藤勝吉調教師だろう。伊藤調教師は日本ダービーにはかなりの情熱を燃やしていたのだが、自ら騎乗した(戦前調教師が騎手として騎乗が可だった)クレオパトラトマスが悪馬場に泣かされ9着に終わるなど、長い間優勝ができなかった。

しかし、このタチカゼ、なかなか勝たない。京都でのデビュー戦は6頭立ての4着。第2戦では優勝するもその次のレースでは6頭立ての6着。4歳(齢は旧表記)は最初は2着、1着と良かったのだが、次は4着。ダービーに備えて東京に移動した次のレースでは5着。掲示板に入っているというと聞こえは良いが、ほとんど6頭立て、多くて7頭立てなので後ろから数えたほうがいという始末。こんな状況で優勝はないだろうと思った伊藤調教師は、置いてきた他のが気になったため京都に帰ってしまう。

ダービー当日

タチカゼは戦績もさることながら、調教師も見捨てるような、ということで人気は低く、23頭出走の19番人気という人気の低さで単勝馬券72枚しか売れなかった。当日一番人気皐月賞トサミドリトサミドリはタチカゼと同じプリメロに持つが、のフリッパンシーはやはり小岩井農場が輸入した繁殖で、半三冠馬セントライト皐月賞天皇賞優勝したクリヒカリがいるという良血で、ここまで10戦8勝2着2回で5連勝中。まあ、人気が集まるのは当然だった。

そしてレース開始。1番人気トサミドリは先行して逃げ戦略をとったが、2コーナー付近でテツオーという低人気が追い越した際に掛かってしまい大暴走。さらに向正面でトサミドリのやや後方につけていたコマオーとミネノマツが落、これに驚いたのか2番人気桜花賞ヤシマドオターが内ラチをえてしまい競走中止。タチカゼは最後の直線でトサミドリをとらえ先頭に立つと、12番人気シラオキらの追撃をかわしてゴール。19番人気優勝してしまった。本命トサミドリは7着で大波乱のレースとなった。

単勝55,430円は、中央競馬における八大競走・GI級の単勝配当額としては今でも最高額で、中央競馬の全レースでも4位の配当額。また、当時は控除率が今よりも高かったため、今のルールであればもっと高額の配当になっていた。

この結果に一番驚いたのは京都競馬場にいた伊藤調教師だろう。優勝の知らせを聞いてただ呆然としていたという。

ダービー後

その後タチカゼは京都に戻って、オープン戦を2着、1着と今までにべて好走する。菊花賞では2番人気となるが、ダービー以降連勝を続けていたトサミドリの4着に終わる。5歳になり、4月に5週連続で出走、最後は3連勝して引退。特に引退レースではトサミドリを相手にアタマ差で優勝している。斤量が11キロも軽い状態での勝利だが。当時としては怪もないのに16戦での引退は随分引退だが、馬主の意向があったらしい。

その後は種となるものの、立った戦績を上げる産駒は出なかった。その後は競馬場の誘導として余生を過ごし、1965年に亡くなった。

なお、伊藤調教師はその後も日本ダービー優勝を出すことに挑み続ける。だが、1960年の(ジリ脚シーザーとして知られる)シーザーと、1961年オークス制覇後連闘したチトセホープの3着がその後の最高順位で、東京競馬場で自らが手掛ける日本ダービー優勝することを見届けることはなかった。

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https://dic.nicovideo.jp/t/u/52766752

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