『BABEL』とは、2015年03月12日に投稿された、Ke☆Ke(シャボン玉フェチP)作曲のVOCALOIDオリジナル曲。
作詞はラック=フューリア。作曲者のオリキャラの名前ではあるが、実質的には作曲者自身である。
概要
Ke☆Ke(シャボン玉フェチP)の2作目、オリジナル曲としては初めての作品であるが、
元となった楽曲は大合奏バンドブラザーズPの公式イベント「ラピスで、ご・め・ん・な・さい♪」に投稿したものである。
そちらのバージョンは公式youtubeチャンネルで配信されている。その元バージョンがこちら。
歌詞
Music | Ke☆Ke |
Lyrics | ラック=フューリア |
Vocal | 蒼姫ラピス |
Illustration | 千沙みかん |
昔彼らはこの地に生まれ
神の裁きで世界に散った
そして僕らに残った世界
人のコトバはもう通じない
生まれた時から全てが決められ従っていた
何も知らずに
自分の気持ちも決められていたと
気付いた僕は逃げ出した
形式で縛られた「幸せ」に背を向けて
だけど僕らは傲慢じゃない
こんな免罪符破り捨てて
歩もう未来へ自分の意思で
建てようバベルを夢とともに
気付いたときには全てを塞がれ押し殺された
何もできずに
自分の心に向けられた剣を奪った僕は
振り上げた
理由なく信じてた「常識」を切り払い
だけど僕らが逆賊でも
こんな烙印はぬぐい消して
進もう未来へ自分の意思で
建てようバベルを夢をのせて
神だから絶対だなんて
それは誰が決めたことなの
人の心を無視して
それが許されるなんて思えない
たとえコトバが通じなくても
歌はココロを伝えるから
どんな理不尽な運命さえも
アカシック書き換え壊していけるさ
だけど僕らは傲慢じゃない
こんな免罪符破り捨てて
歩もう未来へ自分の意思で
建てようバベルを夢とともに
楽曲への想い
ここからは作者による楽曲へ込めた想いです。
動画説明文の「神話のバベルの塔を元にいろいろ詰め込んだ」の「いろいろ」の部分です。
神話のバベルの塔の話は、神の勝手な偏見で起こされたノアの洪水から復興したての人類が、
一丸となって一つのことを成し遂げようとしたのに、神の勝手な都合によって、
人々がバラバラとなってしまう胸糞悪い物語です。
現代には神でなくとも、「自分が産んだ、育てた、与えている」からといって、自分の勝手な都合でいろいろ押し付ける
いわゆる毒親や、目上の人間に圧迫されている人が多いと思います。かつての自分もそうでした。
そういった人を勇気づけ解放する歌、そしてある側面では「神殺しの歌」としても作っています。
ここら辺はバンブラPのイベントで、「ラピスらしい」楽曲ということで、i-style projectの公式がネタにしてる
「腹黒発言を連発しているラピス」と本来の設定である「ピュアなラピス」を融合させた結果です。
歌詞の内容についてですが、1番は洗脳教育とでもいうべきことをする目上の存在の否定です。
何も知らなければ、教えられたものをそうだと思い込んでしまうのが子供です。
けれど、子供でもわかることはあります。「自分の気持ち」です。
転んで泣いているのに「痛くない!」とか、おもちゃを買ってあげられない時に
「こんなの欲しくないでしょ!」と言う親が居ます。
自分はそういう親を見ていて、すごく胸糞悪くなります。
痛いから泣いている、欲しいからねだる。簡単な話です。
そして何が幸せかを決めるのはその人自身です。
「これが幸せだからこれをしなさい」と強要されてすることが幸せなのでしょうか?
強迫観念に駆られ「これをやっていることが幸せなんだ。」と嫌々やっているのが幸せでしょうか?
もちろん勉強のように後の幸せにつながることもありますが、
無理して示された幸せの形を追うことが幸せとは限りません。
というか勉強はマジでやっとけ。この世界だと出来たほうが多少は将来の選択肢増えるから。
そして2番です。
これは自分の実体験、「親父を殴った」ことです。
高校あたりで前述の1番で書いたようなことに薄々感づいてから、親父の態度が自分に向けて厳しくなりました。
今までも毒親もいいとこというような理不尽な押しつけがありましたが、学校を休んでいるわけでもなく、
成績が悪すぎるわけでもなく、部活動にも励んでいたにもかかわらず、それまで以上にひどくなってきました。
そしてある日突然、理不尽な因縁に対してこちらが当たり前のことを返してただけなのに突然組みかかってきて、
座った状態のままテーブルに伏せさせられた時がありました。その時はどうにか抵抗して親父を殴りました。
そしてそれ以降、少しは親父の強硬的な態度が薄くなりました。
この経験から思ったことは1番のような真理に気づかれた権力者はそれを不都合とし、力を振るってきます。
それが権力であれ暴力であれ。特に後者ならば、こちらも暴力で返さないとどうにもならないです。
神話では神の圧倒的な力の前に人間はどうしようもありませんでしたが、現代社会のそういった闇の場合は
相手は人間です。場合にはよりますが抵抗はできます。
抵抗できない、してはいけないという常識を植え付けられているだけです。
特に相手が無抵抗だと思っている存在に対しては、暴力返しは有効です。
今、暴力返しを薦めるようなことを書きましたが、もちろん抵抗であってもむやみに暴力を振るうべきではありません。
注意するべきことはお互いがさらに上の暴力を振るえる場合は、お互いの傷が広がるだけです。
いわゆる無益な戦いが広がるだけなのでそこは見極めてください。
そして大サビです。
バベルの塔になぞらえて神を否定する内容となっていますが、
もちろんここまでで話した毒親などの存在も指しています。
元は序盤と後の歌詞に出てくる「コトバ」と「ココロ」の伏線を張りなおすために
「神のコトバが絶対だなんてそれは誰が決めたことなの」としていましたが、
それでは「言葉」に焦点を合わせてしまい「神」から焦点がずれてしまうと思いました。
だからそういった歌詞作りの伏線張りを捨てて、言いたいことに焦点を合わせるために、今の内容になりました。
そして最後に申し訳程度の歌の力を示す歌詞。でも一応、実際今の世界では歌で心が通じ合えることが
あるということ、それによって神話であった「言葉が通じない」ということを解決しかねないだけの力を秘めていること。
そして理不尽な運命と戦うときは、一般的な歌ならば「あなたがいるから」とか「頑張れば」とかっていうような
歌詞が多いですが、そんな真正面から馬鹿正直に戦う必要なんてありません。
運命そのものすら書き換えてしまうような力で搦め手で乗り越えたっていいんです。
神話になぞらえ、言葉が通じないなら歌で心を伝えて塔を完成させる。そういった表現です。
ちなみに「アカシック書き換え」のアカシックは、「アカシックレコード」のことです。
簡単に説明すれば、神のみが見ることができる宇宙の過去未来すべての記録のことです。
長くなりましたが、割と重めにこういった想いを込めているのでこれを読んだうえでもう一度聞いてもらえると嬉しいです。
関連項目
関連リンク
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