概要
慶応2年(1866年)に社中の一員に加わり、いろは丸の機関方として乗り組む。いろは丸事件の際には坂本龍馬と共に談判に出席している。慶応3年(1867年)9月には陸奥源次郎(宗光)、千屋寅之助(菅野覚兵衛)らと共同で田辺藩と交渉し、商契約を結ぶことに成功した。11月に起きた坂本暗殺事件では激昂するあまり仇討ちをすると主張したが佐佐木高行に制止されている。
慶応4年(1868年)4月、千屋と楢崎君枝(お龍の妹)の結婚の仲人を務める。閏4月、海援隊が解散させられた後、奥羽方面に軍監として出征した。
明治以後の消息は不明。
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関連項目
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