KV-1とは、第二次世界大戦においてソ連軍が運用した重戦車である。
概要
第二次世界大戦期のソ連軍が使用した重戦車である。当時の常識を完全に逸脱した重装甲と当時としては強力な火力で、同時期に使われた中戦車・T-34ともどもドイツ軍に絶大な衝撃を与え、総統閣下を調子にのらせたドイツ軍の重装備化に拍車をかけるひとつの要因ともなった。
開発の経緯
1920年代の世界的流行に沿って作られた多砲塔戦車・T-35重戦車の後継どうすんべ、とソ連軍が考えだしたのは1937年。とりあえず「多砲塔」の後継を作ってみようということで、SMK重戦車・T-100重戦車といった試作戦車が作られたのだが、既にこの時期には多砲塔戦車のコンセプト自体の問題も薄々みんな気づいていたっぽい。何より軍事音痴のスターリンおじさんが珍しく多砲塔戦車に明確な死刑宣告ダメ出ししたことで、単一砲塔タイプの試作車も作られることとなった。これが後のKV-1の直接の原型となる。
これら試作車両は試験場でのテストや、ちょうど勃発した冬戦争での実戦テストを経て評価され、単一砲塔タイプが圧倒的に優れていることが証明された。これによりこの戦車がソ連軍の正式装備として採用されることとなる。
ちなみにKVの名称は、最高指導者・スターリンの古くからの盟友であり支持者でもあった当時の赤軍の最高幹部、クリメント・ヴォロシーロフにちなんでいる。もっとついでにいうとKV-1の設計者の義理の父親でもあったりする。コネ採用臭いとか言っちゃいけませんぜ、この時期ヴォロシーロフは政治的に極めてヤバい状況だったんで(「お前の指揮が冬戦争の苦戦の原因だ」とスターリンに夕食会の席上で罵倒されたのに対して「お前がまともな将校全部粛清したからこうなったんだろーが」と罵倒しかえして左遷されちゃってるのだ。第三者の前でスターリンにこんなん言って死なずに済んだのはヴォロシーロフくらいしかいない)。
構造
何はなくともその重装甲である。初期型ですら全周75mmという重装甲であり、当時の対戦車兵器に対しては充分すぎるほどの防御力を誇っている。ここにさらに「厚い装甲板作る技術がまだ無いからボルトどめで追加装甲貼ろう」(後に厚い装甲板が作れるようになったため廃止)とか「もっと分厚く作れるようになったから最大120mmまで増やしてみよう」とかの上積みを繰り返していたりする。
主砲は当時最大級の戦車砲である30口径76.2ミリ砲で生産が開始されたが、後の生産型では41.5口径76.2ミリ砲に変更になっている。……あれ、T-34と変わらないじゃん、って気づいた人も居るでしょうが、まあこの当時はこの火力でも充分すぎる域だったんです、はい。
機動力についてですが、冶金工場が元となった開発チームによって作られたことから導入できたトーションバー・サスペンションのおかげか、このクラスの着膨れ戦車としてはまだ機動力はマシなほうで、ソ連の誇る液冷ディーゼルエンジン600hpと組み合わされ路上35km/hの最高速度を記録している。
はい、それではお約束のオチタイム。戦時ということもあって仕方ない面はあるのだが、全体的に作りが粗いため精密性が特に要求される部位の出来が悪く、車重の重さによる扱いづらさも加わってさまざまな逆伝説を残している。曰く「照準装置が不正確」「ミッションの入りが渋いを通り越してハンマーで殴って入れるしかないレベル」「操縦手の交代要員兼整備士を追加クルーとして必要した」etcetc……。
改修と運用
実戦テストを兼ねた冬戦争への投入を経て、本格的な実戦となったのはドイツのソ連侵攻。1943年までにのべ4,000両強が製造され、主力重戦車としてドイツ軍・ソ連軍双方をしばしば苦しめている。
……いや、間違いではありませんぞ。上記の通りに乗員を苦しめるだけでなく、
- 40トン超えの車重のため、ただでさえ出来が良くないクラッチやミッションがあっという間に壊れる
- 道路インフラが車重に耐えられず、路面を掘り返して不整地に変え他車両の通行を妨害した
- そもそも橋が耐えられずに崩壊
- 重量増加する改修に伴って路上最高速も20km/h台に低下し味方の移動の足手まといに
とまあ、重戦車の運用に伴う問題点がぼろぼろ出てきてしまう惨状となってしまった。もちろんこれによってソ連軍は重戦車の運用が見た目ほど楽じゃないことを学んだのであり、その後のJS重戦車や戦後の重戦車群の運用についての貴重なノウハウを残し……てたらいいなあ。
というわけでさすがにソ連も懲りたため、総生産数4,000両強のうちラスト1,000両くらいは軽量型であるKV-1Sとして生産されている。着膨れしまくった車体構造を見直し、初期型よりちょっとマシな程度にまで装甲を削りつつ初期型より軽量化、また不評だったミッション周りも再構成して路上最高速も40km/h越えを果たした最終生産型。しかしその時期は既に1942年後半、IV号長砲身タイプが出回りだした時期と重なってしまう。減らされた装甲はⅣ号長砲身タイプの攻撃に耐えられないレベルになってきており、KV-1にとっては主砲がT-34と同レベルという問題に加えて装甲も不十分ってことになって、重戦車としての存在意義がなくなってしまったのもまた事実であった。かくしてソ連軍は次期重戦車であるJSシリーズの開発をスタートさせることとなったのである。
対日参戦時には極東方面に配備されていたKV-1が実戦に投入されており、これを最後に現役を退いた。
主な派生型
KV-2
陣地攻撃用として152mm砲を旋回砲塔に搭載した派生型。→KV-2
KV-85
次期重戦車であるJSの開発に時間がかかるため、JS戦車の砲塔をKV-1Sに搭載した折衷型戦車。
SU-152
旋回砲塔を持たない、固定式の152mm砲を搭載したソ連版突撃砲。「猛獣狩り」として威名を馳せた。
KV-3
フランスへの電撃戦を見たソ連がドイツ戦車の実力を過大評価して開発した派生型。KV-1を更に強化した装甲と長砲身107mm砲を搭載しVI号戦車に匹敵する性能であったが、当時のドイツ戦車はIII号戦車が主力でT-34で十分に対応可能だということが判明すると即座に開発・生産が打ち切られた。
同様の経緯でKV-4,KV-5など100トン越えのマジキチ超重戦車が開発されていた。
関連作品
動画
静画
↑のモデルは配布終了との事で悪しからず。
関連コミュニティ
関連項目
第二次世界大戦時のソ連軍の戦車 | |
---|---|
軽戦車・快速戦車 | BT(戦車) / T-26 |
中戦車 | T-28中戦車 / T-34 |
重戦車 | T-35重戦車 / KV-1 / KV-2 / IS(戦車) |
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